円了の講演旅行は、本格的には明治二三年(一八九〇)から、その死の大正八年(一九治三九年(一九〇六)から大正七年までの分だけでも講演数五二九一回、聴衆一三〇万六八九五名であったと報告されています。大変な日数をかけ、鉄道のないところでは馬車や人力車を用い、それも使えないときは自ら歩いて峠を越えて講演旅行を行いました。この間、日本は近代化が進み、鉄道網が形成され、都会の文化が地域にも浸透し始六 おわりに一九)六月まで、その時々の多少はありましたが、絶え間なくつづけられました。明 六 おわりに33
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