えられた先生は詩作に耽っていたが、こんな詩ができたと養父に示された。それから夜は地方有志の依頼に応じて数十枚の書を認められた。その後、養父は学者の話が出れば必ず井上先生のことをいう。こうして学徳兼備の先生を推讃することを自己の有する名誉の一つに数えていたのである。これは『館主巡回日記』によれば、明治三五年の夏のことで、場所は福井県鯖江市の郊外にある小坂という村へ行ったときのことです。七月一九日に小坂の小学校で講演して、同地の明正寺へ宿泊しています。東京から立派な学者がやってくるというので、歓迎した様子が伝わってきます。講演の方も重要ですが、ほんの一握りしかいなかった東京大学の卒業者で、博士の学位をもった人物がやってきて講演をするというと、地方ではそれだけで大変な受け止め方をされた時代でした。娯楽も少ない時代でしたから、お祭り見物の気分で多くの人が集まったのでした。そうした人物がビールという新しい都会の生活様式を持ち 五 旅行道具と旅の様子 31
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