もなし、食事も小言を言えません。まずたいていは小学校で話をして、そのままそこで寝泊まりし、時には教室のテーブルを並べて、その上に寝るようなこともあり、食事などもお話にならないありさまです。その間に村長、校長などより地方の人情・風俗をありのまま聞き取るためには、それらの衣食住に不足がましいことを言うどころではありません。進んでドブロク一杯も共にし、彼らの飲む手製のタバコも飲まなければならないのです。こうして初めて漫遊の目的を達することができるのですと説明したそうです。人びとの間に親しく交わって、教えを説いた円了らしい姿勢が示されています。円了は、哲学館事件でイギリスから帰国した直後の、明治三六年(一九〇三)九月に「修身教会設立旨趣」を発表し、修身教会運動を呼びかけました。そして哲学館大学を辞した後は、哲学堂に引退して、この運動のために全国を巡回することになりました。円了の講演旅行の目的がここにまとめられていますので、その内容を少し説明し 四 講演旅行の規則と修身教会・国民道徳普及会 19
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