東洋大学史ブックレット7
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す。当時小学校が講堂などを整えて、地域の中核としての位置を占めるようになっていったのです。円了の記録にも、しばしば郡内一の立派な校舎だといった地元の自慢が記されています。地域の集会の場が、寺院から小学校へ比重を移す過程は、地域に近代社会が根ざしていく過程でもありました。その他は、豪農の屋敷や地方都市では演芸場などがあてられました。講演内容では、詔勅修身が中心で、妖怪迷信と哲学宗教でだいたいを占めています。この比重は、時期的にはそれほど変わりませんが、大正期には妖怪迷信や哲学宗教の比重が若干増しているようです。人びとの間に、少しずつ迷信打破や学問への興味が広がっていたことがあったのでしょう。 三 講演旅行の日数・地域・内容 15

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