東洋大学史ブックレット7
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二%)・組織連合(一一・一%)・自治体(一六・一%)回は、地方の寺院などとの縁で行われることが多く、浄土真宗の寺院の勢力の強かった東海地方はそれだけ、馴染みも多かったといえます。また浄土真宗の僧侶のなかには哲学館の卒業生も多かったのです。一方、東京近郊は比較的手薄になっています。円了は地方に哲学や修身の知識を広めたいと考えていたため、あまり中央にいなかったことがこうした結果となっていると思われます。講演旅行は、地方からの要請に応じて行われました。『南船北馬集』に細かに記載があります。これにより明治四〇年~大正七年(一九〇七~一九一八)まで、講演の主催者、会場、講演内容の総数と比重を示しますと次のようになります。①講演主催者(総数:二六八七名)教育関係(二七%)・町村有志(一七・八%)・諸団体(一七・七%)・仏教関係者(一〇・②会場(総数:二六八七会場)    三 講演旅行の日数・地域・内容13

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