大学として認可された)。と、学生も無試験検定免許の復活を望むようになり、板挟みになった円了は、明治三九年(一九〇六)に哲学館大学を辞すことになります(明治三六年八月に哲学館は専門学校令により円了は、哲学館を辞してから、哲学堂に引退し、ここを拠点に修身教会運動に力を注ぐようになります。大学を辞してから、校務に縛られなくなった円了の講演旅行は、飛躍的に増加していきます。南半球一周旅行で国内講演の少なかった時もありますが、おおむね年間二〇〇日を越える日々を講演旅行に費やしました。通常の人物では考えられないほどの精力的な活動だったことがわかると思います。円了の講演旅行は、全国に及びました。表1には講演を行った県を年次ごとにまとめて示してあります。最初は東海地域がはじまりで、四国、山陰と廻り、山陽、北海道、北九州と巡回しました。その後、北陸、沖縄と南九州を中心に廻り、東北に入るのは大正元年になってからでした。また東海地方は何度も巡回しています。円了の巡 井上円了の全国巡講12
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