東洋大学史ブックレット7
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舎が全焼してしまう事件があり、これを機会に、現在の白山キャンパスの場所に新校舎を建てることや、漢学専修科・仏教専修科の創設など校務に追われていたためと思われます。円了は、明治二九年正月に白山の地に東洋大学と東洋図書館を創設する計画を発表していましたので、哲学館の再建はその目標に沿って、進められることとなりました。その後、明治三四、三五年(一九〇一、〇二)と講演旅行が積極的に行われました。円了は明治三五年一一月にインド・欧米視察に出かけ、翌年七月に帰国しましたが、旅行出発直後に哲学館事件が起きました。当初、円了は、事件が穏便に収まると思って旅行に出かけました。しかし文部省の厳しい処分に対応を迫られ、旅行途上で急遽帰国しました。円了はこの事件に、文部省が哲学館に倫理科の無試験検定免許を認めないなら、資格試験に受かるように学生をしっかり教育するという方針で臨みました。独立自活の精神が、学生にたいして教育方針として示されました。しかし時が経つ 三 講演旅行の日数・地域・内容 11

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