(仏教)の主催した中橋座での仏教演説には二○○○余名の聴衆が集まったといいます。明治三五年(一九〇二)に富山県に講演旅行に行ったときのことですが、井波の別院で聴衆が幾千人ということになり、声がかれてしまって、ほとんど出なくなったと巡回日記に書いています。マイクのない時代ですので、多くの聴衆を相手に大声で講演しなければならず、苦労も一通りではなかったようです。一二月六日には、再び愛知県へ入り、津島・熱田・大野(常滑市)・半田・西尾・蒲郡・豊川と巡回し、沼津へ出て、一五日に東京へ帰りました。最初の静岡県と愛知県は少し詳しく説明し、その後の巡回は簡略にしましたが、ほぼ同様な日程で巡回しています。「館主巡回日記」のまとめでは、一一月二日より一二月一五日まで四四日で静岡、愛知、岐阜、滋賀、三重の五県の三〇カ所、懇親会の演説もいれると九九回の講演だったとしています。一日二・二五回の頻度で講演を行い、移動し、挨拶回りを行ったのですから、休む間もなかったことでしょう。 8井上円了の全国巡講
元のページ ../index.html#12