東洋大学史ブックレット6
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市での例を紹介しましょう。この講演は、一回目が「精神修養」、二回目が「妖怪談」でした。地元の新聞の報道によれば聴衆は三〇〇名を超えていたといいます。このとき小学生で円了の講演を聴いた人はつぎのように語っています。私は小学五年生、円了先生のお話はめずらしかった。親たちが迷信深く、夕方さびしかった。暗くなるとこわかった。狐火、鬼火、人魂の話など、円了先生は絶対おっかないものでないと説かれました。それから大人たちのお茶飲み話でも、迷信らしいものがでると円了先生のお話になりました。私は子供心に気持ちが明るくなりました。このように、円了の講演は民衆の生活経験に合理性を与えたものであったのです。著書と全国巡講によって、円了の妖怪学は日本の近代に普及し、円了自身が妖怪博士・お化け博士と言われるように、「妖怪ブーム」にまで発展しました。大正八年六月六日、円了は中国・大連で講演中に倒れて急逝しました。そのとき、 七 『妖怪学講義』の具体的内容    43

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