くは「文学博士」です)。通教育の進歩の障害する点もあり」「学術上いちいちこれが説明を与えられているのは、すこぶる有益のことと思考いたし」「このような著述があまねく世に公行されれば、今よりのち、迷信の旧習を減退する一助となるでしょう」という評価があり、同月二二日に宮内大臣から明治天皇に奉呈され、天皇は『妖怪学講義』を愛読したといわれています。このように、円了の「妖怪学」は社会的な評価を受け、さらに民衆から「妖怪博士」「お化け博士」と呼ばれるまでに、社会に普及したのです。(円了は正しその後、円了は財団法人「東洋大学」を設立して、学校から引退し、全国各地で社会教育(修身教会運動)を一人で行いました。この講演では、地元の要請によって演題が決められました。妖怪学の話は、地方の人々に人気があり、全講演の四分の一に達しました。これほど、円了の妖怪学は民衆から注目されていたのです。具体的にはどうだったのでしょうか。たとえば、大正五年八月一一日、山形県酒田 井上円了の妖怪学42
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