べては妖怪にして、日月も妖怪、星辰も妖怪、雨風や山川も妖怪とみたのです。そのため、その原因を究め解釈を与えようとします。その解釈ができないときは不安を覚えるようになります。ここから「百科諸学が世に起る」のでした。万物の解釈を与えるときに、人間の感覚によって見聞して得られるもの、「形質上」のもののみによって説明する時代でした。しかしこの時代の解釈は、現在よりみれば「迷見」や「妄想」のみでした。いわゆる学説ということはできませんが、これらは妖怪学の起源です。第二の想像時代は、人知が進んで、実際上、「有形質」のみにて解釈できないものがあることを知り、自然に「無形質」を想像するに至ったのです。想像作用が進むに及んで、「有形質の影像」がさらに変化して「無形質に近づき」、ついには感覚以上、経験以外に無形世界を「想立」するようになったのです。こうして、第一時期にあっては雨風や山川のそれぞれに霊ありとして「有形的の多神」を信じていたのが、その 井上円了の妖怪学34
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