の「妖怪学著書論文目録」をみれば、その過程をたどることができます)。最初の論文は、明治一八年七誌などを通して読者を調査員として、妖怪に関する事実の報告を求める方法で資料収集に着手していたのです。このような調査はその後も続けられ、『哲学会雑誌』『通信教授心理学』『哲学館講義録』でも行われました。 このようにして、円了は大学卒業以来、妖怪関係の資料収集を進めていました。そして、その研究がどのように進められたのでしょうか。(『井上円了選集』第二一巻所収の円了月二五日の『学芸志林』の「易ヲ論ス」でした。つぎが明治二〇年二月五日の『哲学会雑誌』の「こッくり様ノ話」と続き、単行本・論文・報告などを書き続けるようになったのです。一般的に円了は「妖怪」という言葉を定着させた人物と言われていますが、はじめから「妖怪」という用語を使っていたわけではありません。その用語法の変遷を調べてみると、円了は明治一九年の研究会では「不思議研究」を使っていました。その 三 不思議研究から妖怪不思議研究へ15
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