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学祖の日

1年生が学祖・井上円了先生について学びます

本校の創立者である井上円了先生は、1919(大正8)年6月6日、中国への講演旅行の途中、大連という町で倒れられ、61歳でお亡くなりになりました。東洋大学京北中学校・高等学校では、1学年で井上円了先生の命日に近い5月下旬から6月上旬に、学祖を偲ぶとともに、学祖の功績を学ぶ機会を設けています。
学祖墓参の様子1学祖墓参り2
東洋大学京北中学校1年生は、先生の命日に近い5月下旬から6月上旬に、「学祖墓参」を行います。学祖・井上円了先生の眠る中野区の蓮華寺と隣接地にひろがる哲学堂公園を訪問します。哲学堂は、井上円了先生が精神修養の場として、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園で、現在は中野区により管理されています。

東洋大学京北高等学校1年生は、6月初旬の東洋大学白山キャンパス訪問の日の午前中、東洋大学井上円了記念学術センターの先生の講演を聞き、世界的な視野を持った近代日本の先駆者の一人であった学祖・井上円了先生について学びます。
講演会01講演会02

教育理念「諸学の基礎は哲学にあり」

(井上円了先生の言葉です)

井上円了先生の業績

画像:学祖の日

近代日本の先駆者の一人

以下の観点から井上円了先生の業績が見直されています。

①江戸時代から明治維新になる時期に、日本と同じ小さな島国のイギリスがどうして世界のリーダーになれたのかに井上先生が関心をもったこと。

②文明の進歩により世界が狭くなっていることに感動して、グローバルな視野を持ち、3回の世界旅行に出かけ、特に世界の最北と最南の都市まで旅した冒険者であったこと。

③世界の各地域の文化圏の代表としてヨーロッパからソクラテス、インドからシャカ、中国から孔子、近代の哲学者の代表としてカントを「四聖」としたこと。

実践哲学者・社会教育としての活動

井上先生は、哲学というものは口先だけでは意味がなく、実践こそが大事だと考えました。そして、青少年の哲学学習の場として哲学堂を創設しました。また井上先生は、日本の国に「迷信」と言われるものが多く、幽霊・鬼・天狗などは迷信そのものであるとしました。そして迷信は、正しいものの考え方や明るい心を持つための障害となると考え、なぜ迷信が起こるのかを解明しようとしました。先生は「おばけは迷信だ」ということを学問的に研究して『妖怪講義録』という本にまとめ、社会にその考えを広めました。井上先生のことを「おばけ博士」と呼ぶのはこのためです。そして井上先生は、全国各地で5500回あまりの講演会を開き、哲学・妖怪の話を社会に広める活動をしました。

教育者としての活動

井上先生の目指した教育は、バランスのとれた人間を育てること、学校とは「人の人となる道」を学ぶ場であるという考え方でした。青少年が自分の正しいと思うことを追究し、迷信に惑わされないための正しい知識を身につけることを願い、その実践の場として、明治20年に哲学館(現在の東洋大学)、明治31年に京北中学校(現在の京北高校)、明治38年には京北幼稚園を創立して、教育活動を盛んに行ったことはよく知られています。さらに、明治41年には、井上先生の後継者である湯本武比古が京北実業学校(現在の白山高校)を創立しました。