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2007年10月13日公開シンポジウム報告

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国際シンポジウムの詳細

10月13日(土)
東洋大学 白山キャンパス 井上円了ホール
国際シンポジウム「今、地球を維持する哲学とは?―エコ・フィロソフィを求めて―」
(What Kind of Philosophy Can Sustain the Earth Today? ―The Search for an Eco-Philosophy―)

挨拶松尾友矩(東洋大学学長、TIEPh機構長)
住 明正(東京大学IR3S教授)
基調講演吉川 弘之(産業技術総合研究所理事長)
「2050年までの地球の課題」
パネル・ディスカッション 1. 伊東 俊太郎(東京大学名誉教授)
「科学の自然観と倫理」
2. 間瀬 啓允(東北公益文化大学教授)
「キリスト教の自然観と倫理」
3. デレアヌ フロリン(国際仏教学大学院大学教授)
「仏教の自然観と倫理」
4. ウィリアム・ボディフォード(UCLA教授)
「アメリカ思想の自然観と倫理」
5. 竹村 牧男(東洋大学教授)
「日本思想の自然観と倫理」

TIEPhとIR3Sの共催による国際シンポジウムが2007年10月13日に東洋大学、井上円了ホールで行われました。各方面の専門家の方々にお越しいただき、「今、地球を維持する哲学とは?―エコ・フィロソフィを求めて―」というテーマで、環境問題の実践に関わるエコ・フィロソフィを求めて、東洋と西洋の伝統的な自然観や倫理、ライフスタイルについて活発な討議が交わされました。

開会のあいさつ

松尾学長

松尾学長

住先生

住先生

≪シンポジウム内容≫

世界規模で環境を保全するといったスケールの大きな、しかも緊急な問題に私たちは直面しています。この課題は、国や研究分野を超えて様々な専門家が解決に乗り出すべきものであるだけでなく、人類の課題として私たち一人一人が実際に取り組まなければならない課題です。そしてこの課題の解決に向けて、私たちの誰もが了解し、実践できる生き方(エコ・フィロソフィ)を探求し、示唆する様々な考察が提案されました。

吉川先生

吉川先生

パネリストとして発表していただいた伊東俊太郎先生は、人類の歴史が「農業革命」や「科学革命」などを経て、「環境革命」へとさしかかっていると説き、「自己組織的生世界的自然観」について提言していただきました。「科学革命」では、機械論的自然観が支配するなか、デカルトが人間は「自然の主人にして所有者になる」と述べ、ベイコンは自然を支配し自然の上に「人間の王国」を作ろうとしました。この延長上に、自然を資源と考える大量生産、大量消費、大量廃棄が成立したということです。それに対し「環境革命」においては、自然を「自分自身で自己形成してゆく生きとし生ける生命体」(SOL)としてとらえ、人間もこの生命体の一つの環であることを自覚する必要があると先生は示唆されました。

伊東先生

伊東先生

次の間瀬啓允先生の講演では、地球温暖化をはじめ、様々な環境問題は、私たちのライフスタイルそのものが原因であると言及され、「今、あなたは肥えた豚ですか? それとも、痩せたソクラテスですか?」と問いかけられました。そもそも人間存在は、ほかの生命的な存在の連鎖のうちに成立する「エコシステム」のうちに存在しており、宗教は自然のいのちと一体となることから歩みはじめています。キリスト教には、自然世界を聖所としてとらえ、人間が献身的に自然世界を世話する「スチュワードシップ」という考え方があります。これはエコロジカルな生き方の基本であり、モラルの根本を成していると述べられました。自然な生活を保持し簡素に生きようと心掛け、量を貪らずに質を求めることにキリスト教や古人の教えがあるということです。現代の私たちはそこから学びとれるものがあるのではないかと最後に提言されました。

間瀬先生 

間瀬先生

デレアヌ フロリン先生には、インド仏教の自然観を紹介していただき、初期仏教以来続いてきた「慈しみ」の精神について講演をしていただきました。この「慈しみ」の精神は、仏教の修行や生活の倫理にたいして中心的な役割をはたしており、その具体的な倫理規定として「不殺生」が求められます。出家した僧の場合、人や動物だけでなく樹木や土壌さえも害してはならないのです。ここまで厳しい規定は、仏教には他の生きとし生けるものへの「共感」があり、幸福を求める気持ちを「共有」していることが根拠となっています。先生は環境問題を考える際に、インド仏教から学べる点があるとするならば、この「慈しみ」の心ではないだろうか、自分の安らかな暮らしを求めるものは、友の生き方も尊重するべきであると提言されました。

デレアヌ先生 

デレアヌ先生

ウィリアム・ボディフォード先生は、北アメリカでの仏教の教えと実践をご紹介され、新しい仏教の環境倫理について論じていただきました。北アメリカで仏教は、自然と特別な親和性を持つ宗教として認知されていますが、これはもともと西洋のロマン主義と仏教が結び付いたために知られるようになったとのことです。この影響を受けたソローは、伝統的な東洋の仏教が野生を危険なものと考えるのに対して、「野生性のうちに世界の保全(preservation)が存在する」と述べ、自然を人間が管理する「保護」(conservation)では不十分で、人間の手で触れられていない野生の「保全」を強調しています。北アメリカではこのソローの声明がエコロジカルな運動のモットーとして用いられており、この新しい展開によって仏教は、その歴史の中で新たな出発をすることになりました。先生は、この仏教の進化が21世紀のグローバルな社会的要請に適合する手助けになるのだと考察されました。

ボディフォード先生 

ボディフォード先生

最後のパネリストである竹村牧男先生は、自然の一部でありながらも、自然を守れない「自己」とは何者なのかという問いを立てることで、人間の生き方をあらためて問い直されました。人間はそもそも自然の中で生み出され、自然の中で生かされている存在であることから、自己は、環境と個体とが交流する総体として把握されるべきであり、仏教では禅・天台・真言等がひとしくこの考え方を説いているとのことでした。たとえば空海は、六大所成の仏こそが本来の自己の身であり、その仏は身・土を含み、個々人の身心と自然は切り離されえず、その本性(空性)において平等であると考えました。こうした考え方は、他者の立場も尊重する「共生」の原理を展望しうるものであり、エコ・フィロソフィに多くのヒントを与えるものだということです。先生は、自己についてのこのような自覚は、欲望至上主義への反省をもたらし、私たちのライフスタイルの変革、ひいては社会関係の変革へと向かう主体を打ち出すものであると提言されました。

竹村先生

竹村先生

総合討論では「自然との一体化」についての議論がなされ、その一体化と同時に自己のかけがえのなさが失われてしまわないように気をつけるべきだという意見も出てきました。また、東洋大学の山田利明先生からは、道教においても人間の身体と自然を一体のものと考える思想があることが紹介され、シンポジウムでの議論は、自然を破壊することは自分自身を破壊することと同じであるという結論に集約されると述べられていました。

総合討論 

シンポジウムの様子

シンポジウムの様子

今回のシンポジウムには、大学関係者以外の一般の聴講者も含めた400人ほどのみなさまに御参加いただきました。今後も東洋大学TIEPhは、新たな「エコ・フィロソフィ」を求めて、さまざまな試みを行ってゆきたいと考えております。