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国際シンポジウム「日本発のエコ・フィロソフィを求めて」

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主催

東洋大学「エコ・フィロソフィ」学際研究イニシアティブ(TIEPh)

共催

サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)

後援

読売新聞東京本社、東洋大学共生思想センター

日時

2009年11月28日(土曜日) 13時~17時

会場

東洋大学 井上円了ホール

特別講演

ドナルド・キーン(東洋大学学術顧問)

シンポジウム

  • ウイリアム・ラフルーア(ペンシルヴァニア大学教授)
  • フレデリック・ジラール(フランス極東学院教授)
  • 竹内 整一(東京大学教授)
  • 吉田 公平(東洋大学教授)

読売新聞東京本社、ならびに東洋大学共生思想研究センター後援で、国際シンポジウム「日本発のエコ・フィロソフィを求めて」が東洋大学井上円了ホールにて行われました。昨年文化勲章を受賞された本学学術顧問のドナルド・キーン先生と、日本学研究に関する先生方にお越しいただき、シンポジウムを開催しました。当日は、日本古来の自然観についてさまざまな提言がなされ、活発な議論が行われました。 

  

共催のIR3Sからは、住先生がおいでくださり、ご挨拶をいただきました。住先生は、人文学からサステイナビリティを研究する東洋大学が、理学系の研究所の多いIR3Sの中にあって、人間の行動に関する理念や価値観を研究することの意義についてお話しくださいました。 今回のシンポジウムは、キーン先生の特別公演である第一部と、お招きしたパネリストの方々による発表と討論という第二部からなるプログラムでした。 

  

まず始めに、キーン先生にご登場いただき、「日本文学に現われた自然観について」という題でご講演をいただきました。先生は、日本人の季節に対する感性の鋭さ、表現の豊かさに注目し、西洋文化の季節に対する理解との違いを述べられました。詩、演劇、絵画など、双方の芸術文化の豊富な例を挙げ、その対比から日本文化、特に日本文学の自然に対する構えをお話しくださいました。西洋文化において、冬は人間に悲劇的なものとしか捉えられず、克服すべきものであることに対し、日本の場合は、冬を享受し、自然に寄り添って生きることを目指し、冬を美しいと捉えるところに、特徴があるのだとおっしゃられました。しかしながら、特に現代の日本の文学にはその傾向がなくなってきており、今日では、日本人特有の自然に関する感性が失われつつあることが、自然環境の軽視を招いているのではと述べられました。自然の美しさを日本人が思いだすことによって、自然との共生を目指すエコ・フィロソフィが実現するのではないかとお話しくださいました。

 続いて第二部には、四人の先生方からご講演・ご提言をいただきました。  ペンシルヴァニア大学からお越しいただきましたウイリアム・ラフルーア先生は、「西行の草庵を訪ねて―その簡素な生活の豊饒の意味」という題で、西行の自然観と現代のライフスタイルに関するお話をいただきました。先生は、平安の時代に西行が都を捨て、田舎に生きることで、都の人々が自然の美しさである「あわれ」を、退屈しのぎ、即ち「ささび」としか捉えていないことを批判し、本当の自然の「あわれ」を知るため、欲望や煩悩を捨て、自然との一体感を得る必要があると考えていたのではないか、とおっしゃられました。更にこのことを現代社会の消費社会の在り方に対応させ、人間の欲望が自然を破壊すること指摘しました。人間と自然の関係は、互いに「とも」であり「とりどころ(恩人)」であることを西行の詩歌から見出し、この価値観こそがエコ・フィロソフィに貢献するものであると述べられました。 

  

次に、フランス極東学院からおいでいただきましたフレデリック・ジラール先生に、「妙音・自然・造化―如浄の「風鈴頌」をめぐって」という題でお話しいただきました。先生は、道元の『風鈴頌』解釈における風鈴の音、即ち自然の般若を説くことと、芭蕉の『奥の細道』における松島風景の妙たる表現を照らし合わせ、自然の「造化」という側面を述べられました。松島の島々、そこに生きる人々、草木、波、松など、自然のままでありながら、その自然自体が自ずと形作れていくといった、動的な世界、即ち造化であり、それを感じること、従うこと、還ることによって、自然を悟るのだとおっしゃられました。このような思想は、大陸の道教『荘子』に通じ、それを学んだ道元が自らの思想のなかで展開した表れでもあり、日本文化の自然との調和と融和という特徴に沿うものであると述べられました。 

  

そして、本イニシアティブの吉田公平研究員より、「欲望の解放と節制―時運とその功罪―」という題でお話しいただきました。先生は、身体内環境の問題、即ち欲望のコントロールを問題にしました。まず、近代社会を推進した原動力である「自由と平等」「功利主義」「近代科学と技術」が、我々の生活を豊かにしたのと裏腹に、環境問題のみならず、地球規模の飢餓・疾病・不安などの社会問題を生み出したのだということ。そして、この危機の裏側に、過剰な生産・消費・廃棄という現実と「利益第一主義」という理念が原因であると述べられました。それに対して先生は、欲望を節制し、「あきらめ(明らめ)」、余剰を分配するという、そのような欲望の在り方を持つことによって、「天理」即ち人々の幸福を実現するために欲望を昇華すべきであるとお話しくださいました。 

  

最後に東京大学の竹内整一先生から、「「おのずから」と「みずから」」という題で、その言葉の意味を解説しつつ、我々の自然に対する態度をお話しくださいました。「おのずから」とは、自然に成行きのままで、当然にという、自然な働きのことであり、「みずから」とは、我々の意志や行為などの営みのことであり、この相異なる営みと働きの関係が「あわい」と呼ばれるもので、人間存在と自然の関係を示しているのだと先生は述べられました。二宮尊徳や三木清の例を引き、人間の営みと自然の働きの関わりである「あわい」、即ち両者の相克と相乗が、技術から倫理にまで敷衍される普遍的な関係であることをお話しくださいました。 

  

各パネリストの発表後、本イニシアティブの竹村研究員を交えて総合討論を行いました。 討論の中で焦点となったのは、それぞれのパネリストの論点でもあった、日本人の自然あるいは社会に対する価値観についてでした。特にラフルーア先生の「とりどころ」や竹内先生の「あわい」という概念に対して、自然や社会との関わり合いの具体的な内容が問題になり、ジラール先生が紹介された日本の文化人の態度や思想が検討されました。その際、吉田研究員の提言なされた欲望に対する再考が、自然や社会に対する価値観を変更しうる可能性が開かれるのではないかということでした。人間の心の問題と科学技術の課題を考えるために、自然へと還帰するという道を具体的に模索していく必要性があるのではないかという竹村研究員の提言でシンポジウムは締めくくられました。