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〔卒業生の声〕私の国際業務から

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私の国際業務から

栗本 紘夫(1965年 工学部機械工学科 卒業)

私は、昭和40年(1965年)に東洋大学工学部(※)機械工学科を一期生として卒業しました。
私達の世代は、昭和17年生まれゆえ、防空壕から東京空襲へ向かうB29の大編隊や、終戦直後、上野駅のプラットフォームからの一面真っ黒な焼け野原の光景が、現在でも眼底に焼き付いています。
また、工学部(川越キャンパス)の第一期生ですので、東上線鶴ヶ島駅から、建設途中であった校舎に、毎日山の中を通学していた事が、真に懐かしい思い出となっています。

フィリピン駐在時代
- HCP(Hitachi Cable Philippines社):1997年-2005年 (55-63歳)

私の国際業務より私の国際活動は、日立電線株式会社社員当時、フィリピン会社の設立、建設、立ち上げ、運営を、突然、責任者(社長)として命じられた時から開始されました。
実は私は、学生時代から英語、国語が大苦手であり、それが理数重点の工学部を選択した大きな理由の一つでした。よりによって、定年間近になってフィリピンという英語国に駐在とは、と身近の方々へ、苦情、不平を漏らしていた時もありました。
一般的に、民間企業の海外進出は、専門分野(製品等)の都合によって戦略的に進めて行きますが、最終的に人材の確保が非常に重要です。その時に、担当者の語学力によってプロジェクトの成否が問われる場合が、多くの過去の事例で示されています。
私にとって、フィリピン政府との交渉、フィリピン人スタッフとの日常業務の推進、業務を離れたコミュニケーション等、語学力の不足を真に味わった期間でした。また一方では、責任者(社長)として、製品業界の競争にいかに勝ち残れるかを、フィリピン人スタッフの方々と一緒に必死に模索し、真剣で常に緊張感のある期間でもありました。
日比両国の歴史的背景も配慮し、<HCP is “of the Philippino, by the Philippina, for the Philippines” Company>のスローガンの下、皆でこの新会社を盛り上げ、現在でも業界トップの一角を占めているとの事です。
先日、HCP社が創立17周年記念行事を社内で祝ったとの報告がありました。現在は4代目社長の下、約700名のフィリピン人従業員とか。高い失業率そして海外送金で成り立っている国で、家族を含めれば約数千名のフィリピン人の方々の日常生活を安定させ、また地方行政を含み、経済的・人的に、真にささやかではありますが、確実に、”国際貢献”に寄与、実行できているのではと思っています。
そして、我々の蒔いた種をここまで大きく成長させてくれた、後継者の皆さんの絶え間の無い努力に感謝しつつ、これからもHCP創業精神を忘れずに、この会社の引き続きの発展を強く願っている一人であります。

私の国際業務から

フィリピン法人(HCP)設立のときの調印式を伝える新聞記事より。
(直後の大勢の公式記者会見でのネイティブ会話は、まさに冷や汗ものでした。)

タイ・バンコク駐在時代
- BCC(Bangkok Cable Co.):2006年-2015年[現在](64歳-73歳[現在])

私の国際業務から2005年4月に、約7年間のフィリピン駐在を終え、日本に帰国しました。それと同時に約40年間の日立電線株式会社社員としてもピリオドを打ち、定年退職いたしました。
その後2005年秋に、タイ国の電線メーカーBCC(Bangkok Cable Co. Ltd.)社より、日本のJODC(通産省系)を通じ、電線製造の経営及び技術指導者を求めているとの紹介がありました。以後2-3度コンタクトを取り、日本でタイ国のビジネスビザを取得し、タイ国に行き労働省からの労働許可証を得て、2006年6月よりファクトリーマネージャー(工場長)として(大分歳を取った工場長ですが)、大勢のタイ人の方々と一緒に電線造りをスタートさせました。
私自身といたしましても、人生最後の国際貢献と考え、タイ語の全然喋れない、読めない、そして書けない外国人(日本人)ですが、一人カタコトの英語と手まね、図解などで、何とかコミュニケーションを取りながら、経営指導や技術指導を行っている所であります。
現在では、タイ人マネージャーも確実に育ってきており、工場長職をタイ人に引き継ぎ、私はアドバイザーとして彼をバックアップしつつ、かつ系列子会社を含めて幅広く関与する体制にし、現在に至っています。

現在、タイ国の産業界(特に製造メーカー)では、日本式の現場マネージメントの導入、実践が盛んに論じられています。発展途上国の一員である彼等は、今日まで、日系、米系、欧州系の色々な企業より技術導入や経営指導を受けて来ました。しかしここに至り、少なくとも物つくり(メーカー)に関しては、トヨタを代表とする自動車業界だけでなく、電機、機械、鉄鋼、非鉄、化学等の各業界においても日本企業に対する評価が高まっています。技術開発力やマーケット力だけでなく、日本式の独特のマネージメントを特に評価しているようです。
故に、タイ国のドメスティック企業(タイ資本家による)では、日本企業を卒業した、または実践中の人で、日本式マネージメントの指導が出来る経営者や技術者の採用に躍起になっています。
東洋大学工学部の創立の精神は “製造現場に密着した高度な技術者の養成”と私は解釈しており、諸先生より厳しく指導された事を記憶しております。東洋大学工学部の卒業生の中には、”物つくりをマネージメント出来る人材”が、大変多く育っているのではないでしょうか。成長期以来、再び日本において、”バブル不況を乗り越えた企業”間にこの精神の必要性が叫ばれているようですし、海外でも上記の様に日本人に対し指導、援助を強く求めていますので、皆さんの積極的な挑戦を期待しております。

私の国際業務から

終わりに

終わりに、私が還暦を迎えたとき、元の上司が励ましの為に贈ってくれた詩をご紹介します。現在までの私の精神的糧の一つでもあります。

=青春(The Youth)=

青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に、初めて老いがくる。

(一部中略)

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望のある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大偉力との霊感を受ける限り人の若さは失われない。

サミュエル・ウルマン
(岡田 義夫 訳)

略歴:

1965年 東洋大学工学部(※)機械工学科卒業
日立電線株式会社入社
1991年 同社 日高工場絶縁製造部部長
1997年2月 同社 本社国際本部副技師長
1997年9月 Hitachi Cable Philippines Ltd. 代表取締役 社長
2004年 HCP社 及び PHCP社 顧問
2005年4月 日立電線株式会社 定年退職
2006年6月 Bangkok Cable Co Ltd Samutprakarn Factory manager
2009年 同社 Chachoengsao Advisor Factory manager
2012年- 現在 BCC/BSC/BSP社 Advisor

※2009(平成21)年に工学部を再編し理工学部へと変わりました。

(2015年9月取材)