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東洋大学社会学部50周年 参考資料

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資料5-(1)

応用社会学科に課せられた任務は何か 学問か技術かを追求

昭和35年(1960年)12月15日 社会学部会報 第3号

「応用社会学科」が誕生して早や2年になろうとしている。しかも来春第1回の卒業生を世に送り,社会にその成果を問う年でもある。
 しかし,いまだ「応用社会学科」はその性格において"不明瞭なもの"と云われている。今日学会において「応用社会学科」は技術習得にその目的があるとなされている。したがって,およそ目的のはっきりした学科であろう。それなのによく"応用社会学科は曖昧だ"といわれる。本当に曖昧なのか。仮に曖昧だとするなら,どの点がそうなのか,どこが問題なのか。
 編集部はこの問題を取り上げてみることにした。
 古い話しを引き合いに出すようだが,今から約1年7ヵ月前,いい換えれば,東洋大学社会学部誕生の1ヵ月後,立教大学十番教室で,「応用社会学科とは」と題するシンポジウムが開かれた。その討論会に当学部からも2・3の先生が出席され「応用社会学科」の性格,その学問領域など種々の点について討議された。勿論,東洋大学の「応用社会学科」が討論の中心であり,対象であった。 討論も進みその学科が学問-厳密な意味のそれ-として存在し得るかどうか,即ちこのシンポジウムの核心に触れて来た。 ある若い教授は「過去の社会学理論を今日応用することはできない。なぜなら,それが過ぎ去った現実を分析した理論であるばかりでなく,今日アメリカなどで一般に利用,応用されている心理学的側面が導入されていないからだ。したがって『応用社会学科』が学問として存在し得るのは経営学・心理学の応用において初めて可能である。」と述べた。
 これに対し老教授は「いや,以前の社会学にも応用し得る側面がある。即ち都市社会学の都市計画しかり,また社会調査しかり」と「応用社会学科」の学問としての存在を理論づけた。
 会場はこのように,つまり,若手の教授派と老教授派にわかれ,応用社会学の学問論が討議されたのである。しかしその結論は非常に曖昧なものであり,聴取していた学生にも,納得行くものでなかったらしい。しいて結論らしきものを取り出すなら「『応用社会学科』は学問として存在し得ない。しかし1つの技術として社会において十分その性格を生せるのではないか」ということであった。つまり「応用社会学科」とは技術習得にその本来の姿があるようだ。-以上この討論会の記事は社会学科のS君の話しをもとにしている-。
 ところで「応用社会学科」が「学問」として存在し得ようが,「技術」としてその活路を見いだそうが,今日社会学部には応社の学生が約260名から在籍している。しかも,これら学生が入学案内書を参照し,多くの夢を抱いて入学してきたことであろう。
 その入学案内書には「応用社会学科」についてどう記されているだろうか。手元の36年度入学案内書を見てみよう。
「本学は昭和34年度から……従来の社会学科のほかに特に応用社会学科を新設し,あわせて我が国最初の大学テレビ局を設置し現代日本の要求する社会技師(ソーシャルエンジニア)の養成を計る。……中略……広報学・社会福祉学・矯正科学・図書館学などの理論・実践技術を修得させ,マスコミ技術者・社会福祉主事・労務管理者などを養成し,現代社会の要求に応じようとするものである」とあり,この学科の技術面を強調している。この主旨は大変結構なことである。
 しかし,現実の問題として,どのような講義が開講されているか。その実質的なもの,即ちその内容についても知る必要があろう。-ここでは「応用社会学科」在学生中でも最も多数をしめる広報学専攻の例を引いてみよう。(社会福祉学・図書館学専攻の者も広報学のそれと大差なく,特講・演習がそれぞれ違い,福祉のみ実習が4単位ある) ― 。
 まず一般教養・保健体育科目・語学は問題なかろう。問題は専門科目である。それは社会学部共通必修科目として,社会学概論・社会心理学・社会調査及び実習等があり「応用社会学科」の必修として,応用社会学概論・広報学がある。これに,広報学専攻のものは産業社会学・特講1・2・3・4,演習1・2を選択必修しなければならない。選択科目は社会学科と共通のものを選択すればよく,合計72単位履習すれば「応用社会学科広報学」を専攻したことになる。即ち,形式の上において実にスマートな社会技師ができ上がるのである。
 さてここで間近く社会技師になる4年生の方に登場願おう。
 広報学専攻のB君はまず「特講1・2・3・4・広報学これらは多々少なからず重複している」ときめつけ「名目上の分離はしているもののそれらは同一科目とみなせるようだ」と述べ,さらに「広報学を専攻したといっても,新聞記者の卵の養成だからな,また,その卵も今年はフ化しなかった」と少々皮肉な言葉を浴せていた。
 福祉学専攻の4年生はどうか。昨年「社会福祉研究会」で活躍したC君は「まあ我々は過渡期の学生であったためか」と前置し「福祉は実習が2,3あったので,その点貴重な体験をした。しかしカウンセラー,ソーシャルワーカーの基礎技術教育を施すようになるのは,あと5,6年後のことだろう」とかなり好意的な見方をしていた。また「しいて今日までの授業内容を語れというなら,まあ,広報学のそれとにたりよったりじゃないかな」ともつけ加えてくれた。
 最後に図書館学の専攻者D君に意見を求めたが,ノーコメントであった。
 このように「応用社会学科」4年生はかなり批判的な立場を取り,この学科の性格の曖昧さを認めているようであった。
 討論会・入学案内書・履習要項・4年生の意見などより「応用社会学科」をみてきた。それらから解るように応用社会学の特色は技術習得にある。また社会学科と区別する点もそこにある。いい換えれば,特講・演習・実習などそれぞれ技術習得という目標にその性格が沿って進められなければならぬはずだ。もしそれが4年生のいうように"重複された""役に立たない"それであるなら,何ら社会学科と変りなく,しかも,「応用社会学科」の存在すらも著々だ不明瞭なものになるだろう。
 これが,我が東洋大学社会学部の今後に課せられた任務である。

資料5-(2)

応社学科の新しい方向を探る
技術を無視 いまや過渡期は過ぎた

昭和36年(1961年)11月26日 社会学部会報 第7号

昭和34年学部昇格とともに,社会技術者育成と銘打って新設された応用社会学科(以下応社学科と略す)はいまもって社会学科と大同小異,なんら変りばえしない。学界においても応社学科は技術修得にその目的があるといわれ,教育方法もさして困難なことではないはずだが,いまだ性格がはっきりあらわれていないことは,やはり理工系技術教育とはおのずから異ったむずかしさがあるのかも知れない。それにしても社会学の技術応用を理論上では把握しながら,3年を経た今日まで実行に移せないのはどうしたことだろう。一貫性のない講座内容をみてしかり,テレビスタジオ,カウンセラールームなどの諸施設や器具のホコリをみてしかりである。
 いまや応社学は若い学問であるから,過渡期にあるからという言い訳のときは過ぎ去っている。過渡期には当然完成への陣痛があるはずだが,それ自体感じさせないということは開設以来進歩がないということにほかならない。かけ声だけで帆船が進むはずがない。また帆船が進まないのを風がないからだとあきらめ,風に代る何物かをさがしだそうとしない学生の無気力さは,前者よりも憂いたい。
 応社学という新しい分野を作り出そうとするとき,そこに有形無形の障害がたちふさがることは当り前のことだが,それを学部一体となって切り開き,応社学の真の姿に追ろうとする情熱に欠けた点は学部として深く反省する必要があろう。
 今年の就職状況は例年の如く悪い。それにも増してやり切れないのは,応社学科学生の大きな目標にしてよい某宣伝・広告会社などが本校を採用指定外に置いていることである。これはコネがなければ,本校の学生は実力があっても受験できないということである。裏をかえせば,われわれの勉強していることは社会的に認められていないことを意味している。だがそれはだれの責任でもない。少なくとも東洋大学社会学部全体の責任として考えねばならない。
 早大の心理学専修科では、日陰の心理学から脱却すべく,それを経営の分野に応用することに務め,いわゆる産学協同の形で産業界に心理学の重要性を認めさせる努力をしたそうである。その結果,就職状況は著しくよくなり,学者を志ざす者はその貴重な実践を持って大学院に進んでいるとのことである。資本家の手先などというイデオロギー的な問題を二の次にし,まず自分の専攻を世に認めさせることに没頭した早大の例は,どっちつかずの本学応社学科にとって頂門の一針ではなかろうか。

語学の弱さも原因か

学内でよく本学の特殊事情が云々という言葉を聞く。この意味は学校当局の方針批判のときの形容語に多く使われているらしいが,その実,最大の特殊事情は"語学ができない"ということである。これは哲学を中心に出発した本学にとって外来語よりも古典文学でも読むことを奨励した結果だろうが,皮肉なことに現代はそれが逆になってしまった。
 語学に弱い,それは学生自身が一番よく知り,一番悩んでいることであるが,学生の無気力さはこの語学に対する絶望と焦燥が入り乱れ,結局,なにも手につかないまま卒業してしまう者が多いようだ。ある卒業生が,"二兎を追う者は一兎をも得ず"の諺を大学で実証するとは思わなかったと語っていたが,語学一つの重荷がほかの勉強にさしさわり,遂にはどちらも駄目なまま終ってしまう。学生に気力のないのも学校に個性がないのも,こんな所に原因しているのではなかろうか。そして,それが応社学科沈滞のかくれた最大原困ではなかろうか。語学に対する劣等感は自分自身やればできるんだという欲求と実際にはできない現実とに根ざしている。心理学的にいえば,優越感への欲求が坐折して劣等感に転じている,のである。
 この辺で,やればできるんだという(本当にできる人は当然やるべきだ。)のぼせ上った気持は捨て去ろう。苦しまぎれではないが語学ばかりが人生のカギではないはずである。語学は弱いが,調査技術,あるいは校正技術では人には負けないといった自分の道を作ることを心掛けたほうが得策である。関西の棋士坂田三吉は学問がない,棋風に品がないと言われ,名人位につけなかったが,実力は当時の名人関根金次郎をしのいでいたといわれる。これはあまりよい例ではないが,われわれは少なくともなにか1つのものを握むことに努力し,その道の大家になることを志ざすべきである。中途半パが一番いけない。

救いの道は研究会

そうなるためには学部傘下の研究会を充実させることである。そしてもっともっと研究会を増やし,少数精鋭主義で行くことが望まれる。ある研究会が異った目的をもった学生によって構成されることは,たしかに得る所も多い。しかし,実際の研究行動にいたるとき,現存の雑居研究会では動きがとれまい。そういう意味からしても,調査研究会,ホテル研究会などぜひとも作るべきである。やっと最近,マス・コミ研究会あたりでマーケッティング研究会創設の動きがあるが,たいへん喜ばしいことである。
 これらの研究会が実際に作られ,その研究会の中からまた新しい研究会が作られるといった細胞分裂を起していけば,必然的に,情熱家達の小集団ができ上り,ほこりにまみれた施設や器具も生きてこよう。このときこそ,初めて各自の立場において,上向きの活動をすることができる。(むろん,あくまでも学生としての立場は守ってのことである。)
 最近,3年生の調査実習において,グループを作った学生が,各自のテーマにそって,映画会社や製菓会社,あるいは新聞社に働きかけて,共同調査というた形で実習が行われつつあるのも,応社学科の新しい方向を示すものとして注目される。(学生の主体性を認めているということを含めて)
 以上述べたことは,あくまでも,一つの方法にすぎない。しかし,小さなカラの中に閉じこもらず,このあたりで,応用社会学科の性格づけを教授・学生一体となって行なわなければならないことは疑う余地はない。その旗手となるのは,教授・学生一人一人にほかならない。<この論調に対する御意見・御批判をぜひともお寄せ下さい。先生方からもいただけたら幸いです>

資料5-(3)

有名無実の専攻コース 米林主任教授にきく

昭和39年(1964年)10月14日 社会学部会報 第26号

あなたは学生時代勉強をしましたか?」
「はい。大学の講義以外のところで」
――これは学部の一先輩の言葉であるが,よく聞かれることである。ではいったい,大学の講義のなかでは真の勉強というものはやれぬものなのか。大学生活の意義と価値は,講義以外のサークル活動,研究活動で見い出されている。むろんこれもしかり。だがサークル活動はそれなりに,大学の講義には最高学府としての内容と成果があって当然である。
 専攻は,大学で何を勉強するのか,何についてやるのかという,勉強の方向をいう。なかんずく,「演習」ゼミは,学生同士と,学生と先生が接触し得る,勉強の方法における大学の"生命"とも言うものである。
 専門の講義,演習のなかで,またそれらを通して学生が心から"勉強し得た"と言えぬ何かがありはしないか。昨年学部も5周年を迎え,大きく成長する時でもある。そこで『専攻問題』と題し,今日の専攻の姿を赤裸々にとらえ,「学問追求の場」の一助を歩もうとするものである。これは私たち学生の自己反省であると共に,学部教授会への怒りの声でもある。

有名無実の専攻コース

 社会学コース,社会誌学コース,民族社会学コースと3つの専攻コースがあるという。しかしこれを知る学生はあまりいず,自分はいったい何を社会学科のなかで専攻して勉強するのかはっきりしていない学生がほとんど。社会学科では何を勉強するのか。そうした専攻の講義課程はそろっているのだろうか。
 専攻の問題を探るには,あまりにも多すぎるものがある。現在の授業,またそれに附随する問題について,まず社会学科主任数授である米林教授にたずねてみた。

米林主任教授にきく

社会学科教育方針

「教育方針は創設以来変りません。つまり現代社会学の理論と,日本の現代の社会生活の実状を探るという点にあるんです。この方針を生かすため現在講座制というシステムをとっている。講座制というのは,講座・実験・臨床の3講座から成る研究システムのことです。しかし現在,大学当局の予算編制がずさんで,毎年予算不足といった状態で充分な研究体制がとれず講座制が徹底していない。これが非常に残念です。」と語っておられる。次に,

社会学科授業体制

「1年の時は,教養科目の中に統計・心埋・社会学などといった科目をぜひ入れるように。2年では,専門の基礎をしっかり学び,社会学に対する自分の問題意識を持つように。さらに3年で,調査及び実習という実践的な科目を中心に,充実した研究をするように。4年で自分の3年かかって行った研究をまとめ,卒論という形で残して欲しい。」と言っておられた。さらにこうつけ加えられた。「社会学に対する問題意識を持たねば,自分の研究というものはできない。」と,話しは発展して,

専攻コースについて

「現在社会学科には,理論・誌学・民族学の3専攻コースがあります。3・4年の専門の時に自分の学びたいと思うコースに沿ってゼミナールを選ぶようにして欲しいと思う。このコースは,学生自身が,1・2年のうちに持った問題意識によって決められるものです。自分はこれをやるのだ,という気持がなければダメです。3年になると同時に,自分の問題に即したゼミなり,専門なりを選んで勉強するようにして下さい。」

社会学科学生について

「まず第一に,もっと勉強をして欲しい。現在の学生は,あまりにも勉強をしない。大学に入って学ぶという気迫が欠けているようにみうけられる。その意味からぜひ卒論をとるようにして下さい。就職の障害になるといって選択になったが,自分の研究また大学生活をまとめるといった意味からいっても卒論は必要だと思っている。」さらに教授はこうつけ加えた。
「学生はもっと教授にぶつかってきて欲しい。学生の不勉強が教授陣の不勉強さを招く結果になるんです。」
 教授側のこうした考えを,学生はどう受けとめているだろう。

迷える小羊たち まぬがれぬ問題意識の欠如

 社会学科生のなかで特徴的なのは,第2志望でまわされた,という学生が多いことである。「社会学を勉強したかった」「家族を,民族の問題をやりたくて」という,主体的入学動機の学生も相当いることはいる。しかし「なんだかわからないうち」「なんとなく」の層の多さが,社会学科の特色を形作っていそうである。(編集部アンケート,昨年の3学年調査実習・学部生の自治意識調査などから)

専攻コース存在認知度

 現に,3つのコースが自分の学科にあることを知らない者が半数いる。それでも1年生を入れて,50%がなんとか知っていたことは,いく分救われるものもある。

コース選択

 3つのコースのうち,どれを選んでいるかについては,社会誌学コースが一番多く,理論社会学がわずかの差で続いている。民族学は極く少い。
 3年のある1クラスのゼミ45名について調べてみたところ次のようなものが出た。専攻コースの認知度では,知っているもの62%,知らない者38%。次に知っている者に対し,どのコースを選んでいるかでは,理論コース39%,誌学コース43%,民族コース18%。ここではっきりとされたことは,3学年に入っても,専攻コースがあるということすら知らない者が相当いることと,この1ゼミのクラスは,3コースの選択者が完全にごちゃまぜであるということである。「3年のゼミは全部で4つあって,そのうち2つを選択すればいい。その4つとも特別分類がはっきりしてはいないし,実質的にコース別もありません。その専攻コースというのは形式的なものでしょう」3年,4年の一致した学生の声。これでは,学生がたとえ問題意識を持って進もうとしても,講義課程のなかで,体系づけて勉強するわけにはいかない。まず演習すらその区別がはっきりしていないとは。

講義内容

 一部のクラスでは,内容や方法に満足している者が相当いる。「原書講読は,うちの大学では無理で意味がない。もっとゼミで"社会を見る目"を養うような方法が取られていいはずだ。」とある4年生の言葉。
 要望する講義内容では「社会誌学」の現に開講中のものが多い。他に「地域開発」「人口論」など。 何を専攻するのか,高学年で決っていないのは,明らかに不勉強で,間題意識の欠如はまぬがれない。しかし課程で体系づけもせずコースを決めよ,選べ,は無茶だというのが,学生の強い声。

資料5-(4)

学部傘下六サークルく

昭和40年(1965年)10月18日 社会学部会報 第33号

学部傘下六サークル前期活動概要

 長いと思われていた夏季休暇に終止符を打ち,学生時代で最も楽しい?試験が開始された。
 休暇中,学生諸君は,久しぶりに両親の待つ故郷に帰り,その膝元で,ゆったりと過ごした人もあるだろう。あるいは長期の休みを利用して遠い旅路に出向いた人もあったろう。そして,一喜一憂の思い出に浸っているだろう。しかしながら何れにしても楽しい夏であったに違いない。
 さて,ここで学部傘下の各サークル(社会学研究会,マス・コミ学研究会,社会福祉学研究会,図書館学研究会,社会教育学研究会,社会心理学研究会)における本年度春からの活動概要,及び白山祭を中心としての後期活動の動向というものを端的ではあるが,描いてみよう。
 各研究会の方々に次のような点について述べて頂いた。

  1. 前期活動状況及び反省
  2. 夏季休暇中の活動及び合宿,調査などの反省
  3. 後期活動の具体的内容
  4. 白山祭への動向,及び期待するところ

 なお,付け加えとして,各研究会の方々と書きましたが,各研究会の中心の方々です。悪しからず。

社会学研究会

 まず(1)の問題については,主に知識を身につける,いわゆる基礎的な事柄についての学習を行なった。各学年の社会学に対する捉え方に幾分かの相違点は見られたが,研究会全体の指標については明らかになったようである。
 (2)については,調査実習という形式をとらず討議一本であり,積極的に討論するあたり社会学への意欲を見せたようだ。なお,合宿地は,安房天津の国民宿舎,討議内容は,サークル問題,日韓会談,地域開発などの数項目にわたっている。
 次に(3)については,地域社会の変貌をとらえ,それを具体化したものを白山祭を目標に研究を進めていくという。なお,後期活動の一環として,井の中の蛙的な内容ではなくして,学外への進出交流,サークル問題,に連なる部員の一体化,来年度への展望などと意気揚々といえる。

マス・コミ学研究会

 (1)については,マス・コミという言葉の概念規定から出発し,現在のマス・コミの重要性を再確認し,社会学的にその基礎知識を広めるために学習会を,その手段とした。
 (2)については,現代の社会に広く浸透しているテレビについて,「テレビと生活」と題して調査活動を行なった。調査を,農村と都市に区別し,農村は,岐阜県加茂郡東白川村を対象とし,また,都市は,都内北区の赤羽団地をその対象とした。
会員1人1人が積極的に活動し,結果的には,好成績を収め,白山祭への意欲が期待されると今から張り切っているという。なお,後期活動については,白山祭に目標を置くが,研究会をより充実させるためには,他大学との交流を多く持ちたいと抱負を語っている。
 また,人事移動の件について,
 会長 藤沢 士朗(応社三)
 副会長 谷口 征男(社会一)
 副会長 星  武一 (応社一)
 書記 井上 徹男(応社一)
以上のように再任された。

社会福祉学研究会

 (1)については,福祉学の本質を学ぶための基礎学習,ついで農村調査に対しての下調べ及び心がまえなど行なう。会員同士の意見の喰い違いから大部混乱したようだが,まずまずといったところとか。
 (2)に関しては,8月17日から8月26日までの期間,東北型農村の実態を知るため,青森県津軽郡平内町大字内童子,及び田茂木にて合宿活動を行なう。結果的には,まずまずの成績であったという。
 後期の活動に関しては,農村実態調査の結果を集計し,それを白山祭で東北の農村の実情を知ってもらうため懸命に努力すると或るものは云った。なお,残念なことは,白山祭以外の事は別に指標がないように思えることだ。

図書館学研究会

 前期活動については,主に新人会員の基礎学習を行ない,現場の見学も数多く行なった。しかしながら一部会員に限られていた感があり,研究会としての体勢が出来ていなかったことは反省の余地があろう。 夏季合宿は,静岡県清水市三保ユース・ホステルで8月25日より,8月28日の4日間行なった。これは前もっての計画はなく,合宿地での調査形式はとらず「図書館学のとらえ方」に重点を置き,討論の場を多く設けた。この際,1年生が能動的態度を示し,時間的にもスムーズに運ぶことが出来たという。 後期活動は,白山祭を中心に学習会を行ない,白山祭では,これからの図書館のあり方を強く訴え,学習会を通じて自分達で未来の図書館像を設計しようと,意欲の一端を示している。総体的反省として,籍だけ入会している幽霊会員に頭を痛めているという。

社会教育研究会

 (1)については,社会教育の重要性などの基礎学習を行なった。会員の数が少なく4年生に頼っているという感は否めないだろう。 合宿に関しては,青年を対象に社会教育に関する現地調査を都下西多摩郡奥多摩町日原において行なう。この時は,日原地区全体を調査の対象にしたことによって,調査に追われ,前期に計画した懇談会の件は事実失敗に終ったという。 白山祭については,夏季合宿で収めた調査実数を集計し,その必要性を再認識してもらうといい,後期活動は,白山祭を契機として学習会の充実を図りたいと強調していた。そして,出来ることならば, 社会教育をより一層研究するために,社会教育全国協議会の講師を招き講習会をもちたいともいう。だが悩みとして社会教育をまだ認識していないせいか1年生が1人も入会していないことだと嘆いていた。

社会心理学研究会

 夏季休暇までの期間,各分科会(催眠術分科会,パーソナリティ分科会,調査分科会)ごとの研究目標に向って研究を続けてきた。そして結果的には活動計画におおむね沿ったものになったという。 夏季合宿に関しては,8月上句愛媛県上浮穴郡に「現代のマス・コミが農村においてどのように影響しているか」と題して調査を行なう。対象は,2つの小学校の4年から6年までであったが好結果で終了した。しかし,不参加者が若干いたことや計画に対しても反省すべき点があった。後期活動に関することでは,白山祭を中心に前期に失いかけていた研究会全体のバランスを正常化するという。白山祭では,調査結果の発表と,「個性を知る心埋学」と題して研究発表を行なう。そして,これからは,社会心理学の理論と実践を通じ,その内容を充実させていくと強調していた。尚部室は現自治会室を使用する。各研究会を総体的にみて,調査実習,あるいは学習会を通しての討議など,まずまずの成績ではなかったろうか。しかし,各研究会共に人間関係の内に生ずる混乱は避けられてはいなかったと云えるだろう。そして,年次別の,いわゆる縦の関係がまとまっていない点も否めないことである。無責任時代を漫歩するかのように会員とは名ばかりの人間が研究会内に存在することも欠陥であり,当人は,真剣に考えるべきだ。

資料5-(5)

各種学生研究会

昭和41年(1966年)6月27日 社会学部会報 第37号

社会学研究会 夜間中学生の実態調査 

 諸君も聞いて御存知とは思うが社会学研究会の今年度の研究テーマは「夜間中学生の実態調査」である。本研究会が何故このテーマをとり上げることにしたかはさておき,どのようにしてこの間題にアプローチしているかを述べてみたい。現在夜間中学校は全国で25校存在している。(各校の人数は4~5名から40名程度と実に多様である。)この25校を対象に「全国調査」にふみきることを計画,研究会を4ブロックに分け,地区別に役割分担を明確にした。Aブロック担当地区を兵庫(1校), 大阪(1校), 広島(3校), Bブロックを愛知(2校), 京都(4校),Cブロックを神奈川(7校),Dブロックを東京(7校)ときめ,ブロック代表委員会で意見調査をしながら調査目標を「地域較差」(地域によって夜間中学校は特色がある。たとえば発足当初において京都,広島は部落問題が中心となり,東京は第二次大戦の敗戦における困窮によるスラム形成に端を発して夜間中学が成立している),「家族崩壊」(夜間中学生の家族は再婚,離婚,病気等で常に家庭内は不安定でありそこに原因があるものが多い)にしぼりながら研究を進めている。遠隔地は郵送連絡をもってその実情を調べ,神奈川,東京は各学校を直接訪問するかたちをとっている。遠隔地については郵送連絡を依頼しても,否定的な学校が多く資料ならびに実情について調べることは困難となり調査員4名を関西に派遣現状把握に努力を払い,調査票作成に全力をつくし,6月下句の調査票配布を待っている。

図書館学研究会 図書館と住民のつながり

 我々が図書館学というものを学ぶとき,図書館は常に利用者を相手としていることを考えなければならないのである。現代において保存図書館も必要であろう。しかし,それにまして利用される図書館が必要なのである。従って図書館と住民とのつながりを明確化することにより,図書館の進歩発展があるのである。まずその第一歩として,直接に住民と接している読書運動というものを徹底的に追求してみる必要があるのです。
 読書することは,良いことであると一般に考えられています。
 しかし考えてみると,そういうことがわかっていてもあまり本を読まない。またつい俗悪低調な本にと走ってしまうのである。しかるに我々図書館側から読書指導を行なわなければいけないのである。同じ日本に生活しながら,本を読めない人々もいることも忘れてはいけない,以上のようなことを今年度の活動の目標として行くつもりである。これは1年間という時間的な制限を乗り超えなければ,十分なものは出来ないと思っている。我々会員はこのような長期にわたる研究というものを常にファイトをもって行なっており,そこから出てくる諸問題を,研究会にもちよって討論し,図書館の発展に寄与するとともに高い教養のある社会人を形成していくために活動している。

社会教育研究会 地域と社会生活

 昭和40年度活動の総括に基づいて,今年度も「地域と社会教育」を取り上げる。社会教育の歴史的な認識は勿論のこと,その背景にある政治的,教育的状況との関連性の中に追求しなければ,社会教育の現状を真に把握することは困難である。故に,全体会議において「(地域)開発政策と社会教育」をあげ,現在の地域開発の政策がどのようになされ,それに住民はどう対処しているか。そこでの社会教育の機能はどうあり,どうあらねばならないかを追求する。その全体会議と同時に,「公民館を中心として」「教育行財政と社会教育」という2つの分科会を設け,ミクロ的にあるいはマクロ的に社会教育の現状を分析し,全体会議との相互関連の内に,「住民の社会生活を改善向上するために必要な教養を高めること」を目的とする社会教育の現状と課題を,理論的にも実践的にも研究していこうと我々は考える。
 この方針に沿って,現在,分科会において理論学習が活発におこなわれており1年生を対象とした新入生教育もすばらしい成果をあげつつある。又,新入生歓迎合宿を中心とした文集もすでに創刊され,夏休みに現地調査の計画もあり,「理論と実践」をモットーとする社会教育研究会は,今や発展の途上にある。

社会心理学研究会 社会病理に取り組む

 新入生の台頭が目立って来た,活動とサークルがわかって来たのだ。今までの学習が,新しい知識を吸収できるだけのレベルに上って来たのだ。各パートも(パーソナリティ,催眠,集団と個人)一応基礎教育が終り,これから,一つの目標に向うのだ。現代社会が生みだす病理,偏見に取り組むのだ。8月の合宿において行う催眠とパーソナリティとの合同研究,暗示による性格療法。集団と個人の行う「近代人の疎外」,各大学に於ける疎外状況を,計画として打ち出している。

活動報告

4月 合宿
   新入生歓迎会

5月 基礎学習会中心に学習を行って来た。

6月 総会
   分科会
   学生部会
   現在会員数 52名

社会福祉学研究会 社会福祉の論理的追求

 本年度は社会福祉の良き理解とそれへの貢献の目的の基に,統一テーマ「社会福祉の理論的追求」-歴史的考察-を設定し活動を計る。
 今日社会福祉の必要性が強く感じられるようになった。そこで私達社会福祉学研究会では「社会福祉の理論的追求」つまり「社会福祉とは何か?」ということを,福研という場において理論追求しようとするものである。そして理論追求という立場から社会福祉の必要性はどのように過程を経てきたのか,何ゆえにその必要性が唱えられているのか,又,人間生活の安寧=社会福祉の確立とはいったいどういう意味なのか,等々を歴史的段階を考察し,認識を深め真の社会福祉のあるべき姿を追求しようとするものである。
 そして社会福祉の良き理解を計り,広くそれへの貢献をせんとするものである。

マス・コミ研究会 週刊誌の実態をさぐる

 本年マス・コミ研究会では最近様々な問題を社会に提起している週刊誌を取り扱うことにした。
 週刊誌は当初新聞の補助媒体的役割を果しニュース解説性の強いものであったが,現在は娯楽性が強くなり,マス・コミの逆機能という現象すらみられる。
 さてこの遇刊誌にどのように取り組みどのような結果を得られるかは白山祭に於ける発表に期待して欲しい。
 マス・コミ研究会では4月に迎えた新入生に対しては,東洋経済出版のマス・コミュニケイション読本と有斐閣出版の現代社会学入門で学習会を行っている。
この課程に於いてはマス・コミと社会学の基礎知識をつけることを目的としている。
 2,3年は会員同士のディスカッションを通じ広く深くマス・コミを捉えて行く方針を取っている。
 また研究会内部の運営を円滑に進める為,5月に執行部を改選した。そして会員同士の親睦を深める為,8月の末には群馬県野尻湖に合宿を計画している。
 尚,今後の基本的方針として,当研究会では自治傘下の研究会であることを再認識し,研究活動を自治活動の一環として捉え,全面的に自治会をバックアップして行く方針である。

資料5-(6)

白山社会学研究会の設立
昭和39年(1964年)「研究通信」 No.1

第一回総会開かれる

昨年11月23日午後1時より,大学院社会学研究室で第1回総会が,出席者約20名のもとで開かれた。はじめに総会に至る経過報告が山下より行なわれ,次いで研究発表が酒井俊二,鈴木緑郎両氏により行なわれた。
 経過報告では,昨年11月18日付の「総会のお知らせ」によって提出されていた役員会の検討事項を取りあげ,賛否を求め,結局役員会の意向通り決定をみた。
 その主な内容は,次の通りである。(1)白山社会学会(仮称)の名称を白山社会学研究会に決定した。(2)学会組織は,この研究会の積重ねの結果,将来適当の時期に行なう。(3)研究例会を年3~4回開きその都度研究会通信を発行する。(4)研究会の入会考は会費として年額300円を納入する。(5)従来徴収された会費700円は,白山社会学会創設のための寄附行為として取扱う。
 次いで「研究発表」に移り,先ず酒井氏から「電波の国際的交流に関する社会学研究」の題名のもとに,約1時間に亘り,インテンシブな発表が行なわれた。また鈴木氏は「温泉を中心とした観光地域の社会学的研究」-伊東市の事例-の題名のもとに同じく1時間にわたり発表された。そのあと質疑応答がなされ,5時頃散会した。両氏の発表内容はきわめて充実したもので,出席者の少なかったことが惜まれた。(両氏の発表内容の要旨を本通信に載せたので御一読下さい。)
 尚,次回の研究例会発表者は,中山真文,渡辺博史の両氏と決定した。
 以上が総会の経過である。右のように総会は,メンバーが比較的少なかったが,充実した研究発表によってきわめて有意義な総会となった。
 尚,補足として,白山社会学創設のために700円の会費を納入された方々のために(決定事項(5)参照)一応会計報告をさせて頂きます。どうも有難う御座いました。

38年度決算報告

収入
   13名分 9,100円
支出

  • 通信費 4,622円
  • 事務用品 145円
  • 事務アルバイト費 2,333円
    この内訳の主なるものは,第1号から4号までガリ印刷,及び発送事務,これは主として社会学部事務室の岩田君にお願いした。
  • 田辺寿利先生一周忌墓参 2,000円

計9,100円

資料5-(7)

A.白山ぶらりんこん ある学部学生の日記より
和36年(1961年)10月20日 社会学部会報 第6号

○月×日,今日の国電は,バカに混んだ。オレみたいに寝坊したヤツラが遅れじとしたのが集中したためか。1時間半も掛けて,毎日毎日,学校へ,たいして面白くもない講義を聞きに行くのも楽ではない。この頃とくにおっくうになって来た。
 あわてて来た1時間目の講義は何の事ない,休講だった。バカニシテル? まあいいや,この休講もめずらしい。息抜きができるからときたまこうなってもらいたい。2時限目までだいぶ時間はあったが図書館入りなんてできなく,友人との雑談で時間をツブした。
 2時限目の教授は,15分も遅れてきて,10分も早く終った。15分に10分で…,90分中65分の講義だったわけだ。まあいいや,ガッチリ時間から,少々オーバー気味にやられるよりまだましだ。
 食堂はあい変らず混みおる。食券を買うのに,ゾロゾロ並んでいるのもイライラしてくる。腹のすいてるせいだろうか。今日は,35円のラーメンを喰った。値上りムードのなかで,値こそ上ってはいないが,少々中味がもの足りない。35円のせいだろうか。昨日は,カレーライスだったが,オトトイはなにを喰ったか……,忘れた。たぶん,ラーメンであったことだろう。
 オレは,人に『何しに大学へ行っておるか』と聞かれたら『講義受けに!』なんて,到底云えたものでなく,それより『昼メシを喰いに!』との答えなら,確実性もあって自信がある。大学にきて,昼メシを喰うことも大切で,欠かせないことの一ツだ。今後も大いに喰ヲオ。それに,ほかに行くところのないオレにとって食堂は,唯一の憩いの場所である。たとえ薄暗く,きたならしいが‥。
 3時限目の語学の時間に,めずらしく練習問題を5人ほどに指してやらせた。ヨリにもヨッテ,オレを指すとは……。(ツイテナイ)どうやらさっきイネムリをしていたのが原因らしい。勉強をしてないのでできっこない。シャクにさわる。オレを目につけているんだろう。来週は休講にナッチマエ! 講義が終れば,学校には用はない。2時30分,気がムシャクシャしてたので,友人とパチンコへ行く。今日はまったくツイテナイ。
  百円スル。2つの講義と,パチンコで今日も終る。

B.逆説的読書論 講師 北田耕也
昭和36年(1961年)10月20日 社会学部会報 第6号     

資料5-(8)

ガンバレ 諸君の前途は洋々だ
卒業する4年生へ 高木 宏夫

昭和39年(1964年)2月14日 社会学部会報 第21号

4年生卒業おめでとう。卒業-それは規定の学課課程を終えることをいう。そのために随分苦労をしたひともいることだろう。でももう"学生さん"に終りを告げ,いま社会に巣立とうとしている。この4年間はいろいろとご苦労さまでした。卒業のはなむけの言葉を高木先生に寄せていただいた。(編集部)
 諸君はパンチのきいた4年間の学生生活をすごしただろうか。就職してはじめて,学生時代のノンキさを今さらのようになつかしがるものだが,その根源を要約すれば責任がないという一語につきそうだ。なにも先輩の歌手が「無責任云々」とかいう映画で活躍したから,後輩の諸君もそうだというのではない。一般に学生は,という意味である。
 卒業後の1年生が学生に教訓を垂れたもうて曰く,「大学で勉強したことなんか,社会に出てなんの役にもたたないよ」と。たしかに然り。僕のような専門の分野をつづけた人間ですらそう感じた。けれども,それはただ一面の真埋をついているだけにすぎない。 直接に役にたたないということはたしかに事実である。だが一方,大卒と高卒とはやはりちがうと経営者は言う。それは即物的にみないで,一応より広い視野から一つの事象を見,また把握する能力を大学の卒業生はもっている点でちがうと言うのである。これこそが,諸君がいやだいやだと考えながら,人によっては一夜漬けで頭につめ込んで4年間蓄積したものである。
 もし-残念ながら仮定法を使わなければならない学生もすくなくない-まじめに勉強し,自分から関係書をどんどん読みこなしていった学生ならば,大学の講義がきっかけとなり,また一般論化したものだという点で,勉強したことは直接に社会で役だってゆく。なぜなら,社会学には-とくに応用社会ではその分野が大きい部分を占めているが―特定の技術を含んでいるし,その技術は専門家として具体的な諸問題の処理に応用してゆく基本がなければ,こなせないからである。
 ともあれ,社会にでて役にたつものを得たはずなのだから,自信をもって第一歩をふみだしてほしいものだ。
 第一歩をふみだせと言いながら水をさすようなことを……と叱られそうだが,ついでのことに,これを読み流したついでに頭のすみに次のこともとどめておいてほしい。
 早くて1年おそければ3年の間に,現在の仕事がいやになって,職業を替えたくなる時期がある。まず例外なく誰もが経験することだという。とくにエリートとしてオレは一流どころに就職したと現在得意の人ほどそうだ。大きいメカニズムの中で極小部分の仕事を担当すれば,まず仕事に対する熱意がさめてくるのも当然だし,文字通り「生存競争」のみにくい人間関係にはじめて当面するので,自分をどこかに位置づけせざるを得なくなってしまう。「他人の花は赤い」といえば,自分以外のものはよくみえるということにほかならないが,こんな時期には,自分で一生懸命にそうではない,たしかにあの会社の方がずっとよい,やり甲斐がある,人も立派だと言い聞かせる。諸君は社会学で「調査」を学んだはずである。こんなときこそまず調査。客観的に事実関係を調べることだ。自分がその中にいるのだから,自らを含めていやむしろ自分を中心において,そのまわりと全体を調査することだ。もちろん,全体の中に位置づけなければならない。これこそ大学出身者にできるはずの芸当である。
 客観的に観察してみると,案外に特殊な条件はすくないもので,むしろ共通点が多い。これで動揺はおさまるはずだ。
 卒業に当って,ほんとうにいい大学だった,とほこりをもっているだろうか。おそらくそんなことはあんまり考えない人が多いにちがいない。むしろ,考えたくないから避けているのではないだろうか。弱点や悪い点の多い大学,相対的にみて,事実であろう。にもかかわらず,諸君は一生東洋大学出身というレッテルをはって歩かなければならない。
 歴史と伝統の古さという点では東洋大学は世に知られている。だが社会学部にはそれがないことも考えなければならない。だから,よくも悪くも諸君がそれをつくってゆくのである。諸君の社会での誠実な活動と人生,それがやがて“ほこり”(埃りではない!)を徐々にきずきあげてゆくのである。
 甘やかしていうわけではないが,人間の能力は大差ない,ただ環境的な条件が,入試の楽なまた入学後もきびしくめげない東洋大学に諸君を入学させたのだ。それに甘んじてはいけないし,ましてや劣等感をもってはならない。16年におよぶ学生生活に終止符をうって,新たに別の生活に入ってゆくのだから,もう一度この点を素直に見直して,自分の実力を,これから大いに発揮してほしい。
 はじめに言ったように,大学の勉強は一面では役だたない。つまり新たにこれから実務を吸収するのだから,どの大学を出ても同じスタートラインに並んでいるのだ。能力の差は,これからの努力と誠実さにかかっているのだ。ガンバレ! 後輩がつづいている。ほこりある社会学部の歴史と伝統の担い手となって,第一歩を堂々と踏みだしてほしい。

(たかぎひろお・助教授)