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東洋大学社会学部50周年 参考資料

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東洋大学社会学部50周年 資料1

資料1-(1)

昭和21年4月をもって,文学部5科制に復帰した。「哲学」「宗教」「文学」「史学」「社会」の5学科である。戦前には社会学科はなく,戦後初めて社会学科がスタートした。しかるに,戦前には,大正13年,今日のマスコミ学専攻の前身的役割を果たした「文化学科」が設置された。同じ頃,夜間部に「社会事業学科」という今日の社会福祉学専攻の先駆け的な学科が置かれていた。文学部社会学科創設当時,専任教員はなく,林恵海,磯村英一,福武直,日高六郎先生などが兼任で講じていた。昭和24年3月第1回生13人が卒業する。この直後米林富男が専任教授として初めて着任する。

福武・磯村・日高各教授在職-思い出すままに-
教授 米林富男

昭和35年(1969年) 6月20日 社会学部会報 創刊号

私が初めて東洋大学に出入りする様になったのは,昭和24年の春である。その頃,東洋大学の教授を兼務して居られた当時の東京大学社会学科の主任教授林恵海先生が疎開先から東京に帰って,神田の寓居に病後の身体を養っていた私を訪ね,東洋大学に奉職する様勧誘せられたのである。私は大病のあとでもあり,戦争中から経営していた出版事業の後始末もあり,再び大学教檀に立つ事には躇躊せざるをえなかった。しかし旧制から新制に切り換えられる大学には制度上専任教員を置く必要がある,然るに当時東洋大学の社会学科には専任の先生はなく,林恵海先生を始め,磯村英一先生,福武直先生,日高六郎先生等は皆別に公務をもって居られる兼任の先生であった。
制度上専任が必要だと云うので名ばかりという事で私は東洋大学の教授に就任する事を承諾した。3月の末,東洋大学の門をくぐって現在のTV教室の所にあった事務室に学監愛沢恒雄先生(現在教務課長)を初めて訪ねた事を,今でも思い出す。愛沢学監の案内で加藤虎之亮学長の所に行き,辞令を受け取ったその足で社会学研究室を訪ねた。現在の図書館事務室がそれである。そして現在学生研究室に納まっている書棚2本にざっと一杯参考書が並んでいたが,学生の数は全部で40~50名,何でも2度の盗難に主な辞書は欠けているという事であった。社会学第1回卒業生の出た後で誠に家族的な雰囲気の中で,学生諸君は皆勉強に精を出していた。林先生は授業は担当されなかったが,たえず激励と援助を惜しまれず,磯村先生,福武先生,日高先生は従来と変わりなく本学の教壇に立たれていた。本学社会学部の基礎はこうして,これらの先生達によって築かれた事を銘記して置く必要がある。
慣れない教員生活と無理な出版労働がたたって,その年の夏私は再び病気で倒れた。それから約半年間,私は大学を休んだが,他の先生や松島静雄先生(現在東京大学教養学部教授)の御援助で,社会学科の運営には何ら支障は起らず,第2回の卒業生を無事世に送ることが出来た時は嬉しかった。
第2回の卒業生の中から松原猛君が助手に残った。同君の学生に対する訓練は仲々手厳しく,研究室は次第に整備されていった。こうして,学生の数もふえ,内容も充実して来ると,第2部,即ち夜間部にも社会学科を置いては,という案が大学当局から出された。新制への切り換え期でもあり,専任教授も増員の必要があったので私は八方に御願いして社会学者を求めた。当時NHKのビルの中にあったC.I.E.には多数の社会学者が御居でられたので,私はそれらの方々を訪ねて応援を求めた。菊地綾子先生や馬淵東一先生,杉政孝先生,関敬吾先生達がそれである。しかし,夜学の重要性を認識され,日本社会学界の巨頭田辺寿利先生の御出馬を願えた事は,東洋大学の社会学科を権威付けるに充分であった。「学問研究と教育とは両立すべきものではない。何故だろう? 研究は上向活動であり,教育は下向活動であるから,単一の人格がこの矛盾ある活動を同時に行いうるとは考えられない,従って研究者としての自分は絶対に教壇には立たない。」と云うのが,田辺先生の年来の主張である事は,学界周知の事実である。先生に教鞭を取る事を御願いしても無駄であるというのが先生を知る全ての人の常識であった。この常識を破って後輩である私を助ける為にまげて私の懇願を入れていたゞいた先生の御好意を,私は今でも忘れる事は出来ない。こうして,先生を迎えた本学の社会学科は急に活発になった。先生年来の主張である漁村や観光事業の社会学的研究も,マス・コミ(ジャーナリズム)の研究も,先生の示唆によって始められた。かくて当時田辺先生が神奈川県の専門委員をして居られた関係上,県の研究費に依って神奈川県の漁村の事態調査を始める事になり,その機会に東洋大学社会学研究所が創設され,右の調査はこの研究所が引き受け,田辺先生が初代の研究所長に就任されたのであった。昭和25年の夏,教授と学生とが一体となって片瀬の役場に合宿し江の島近辺の漁村の事態調査を行った事を未だに記憶している人は少なくないであろう。この調査は後に「神奈川県漁村事態調査報告書」として,東洋大学社会学研究所の名に於て発表せられた。

資料1-(2)

米林富男は田辺寿利を昭和26年教授として招く。同じく昭和26年には,東洋大学社会学研究所を設置し,初代所長に田辺寿利が就任する。この前年,神奈川県の委嘱により「漁村調査団」(社会学研究所の前身)が発足している。

財団法人東洋大学研究所寄附行為(案)

第1章 名称及び事務所

第1条 本会は財団法人東洋大学社会学研究所と称する。
第2条 本会は事務所を東京都文京区原町17番地に置く。
第3条 本会は必要に応じ支部を設けることが出来る。支部に関する規程は評議員会の決議によつて之を定める。

第2章 目的及び事業

第4条 本会は社会学並に社会問題に関する諸種の調査及び研究を綜合的に行い,もつて社会学,社会政策並びに社会事業の発展に寄与することを目的とする。
第5条 本会は前条の目的を達成するための事業を行う。
 一 社会学並に社会問題に関する諸種の調査及び研究。
 二 社会学並に社会問題に関する諸種の資料の蒐集,刊行,及び頒布。
 三 社会学並に社会問題に関する研究の発表会,講演会,講習会,定期刊行物の刊行及び出版事業。
 四 海外学界との連絡。
 五 その他本会の目的を達成するに必要な事業。

第3章 役員及び職員

第6条 本会に左の役貞を置く
理事長:1名
理 事:7名以内(内1名常務理事)
監 事:2名以内
評議員:20名以内

第7条 理事長及び常務理事は理事が互選する。
2 理事及び監事は評議員会が選任する。
3 評議員は理事会の決議を経て理事長が委嘱する。

第8条 理事長は所長を兼ねて本会を代表し会務を統理する。
2 常務理事は理事長を補佐し,理事長に事故がある時はその職務を代理する。
3 理事は理事会を組織し会務を執行する。
4 監事は会務の執行を監査する。

第9条 評議員は評議員会を組織し,理事長の諮間に応じて本会の重要な会務を審議する。

第10条 役員の任期は各2年とする。但し重任を妨げない。
2 補選によつて就任した者の任期は前任者の残任期間とする。

第11条 本会に名誉顧問及び顧問を置くことが出来る。名誉顧問及び顧問は理事会の決議を経て理事長が之を委嘱する。

第12条 本会に左の職員を置く。
幹事(事務局長):1名
研究員:若干名
研究補助員:若干名
書記:若干名
職員は理事長の命をうけて会務に従事し,理事長が之を任免する。

第4章 会議

第13条 理事会は理事長が之を招集してその議長となる。

第14条 評議員会は理事長が之を招集してその議長となる。
評議員会は毎年1回之を開く。但し理事長が必要と認めた時,又は全評議員の過半数の請求があつた時は臨時に之を開くことが出来る。

第15条 会議は特に定めるものを除く外定貞の2分の1以上出席するのでなくては之を開催することは出来ない。

第16条 会議は特に定めるものを除く外出席者の過半数を以て之を決し,可否同数なる時は議長の決するところによる。

第17条 会議に出席出来ないもので書面又は委任により表決権を行使した者は出席者と見做す。

第5章 資産及び会計

第18条 本会の資産は左に掲げるものより成る。
一 別紙財産目録記載の財産
二 本会の趣旨に賛同する者からの寄附金品
三 資産より生ずる収益
四 その他の収入

第19条 資産中左に掲げるものを基本財産とする。
一 前条第1項資産中の基本財産
二 基本財産として指定寄附せられたもの
三 評議員会に於て基本財産に編入すべきことを決定したもの

第20条 基本財産の元本は処分することが出来ない。但し事業逐行上止むを得ない必要を生じた場合は特に定める評議員会の決議及び主務大臣の承認を経てその-部を事業費に充当することが出来る。

第21条 本会資産の管理は理事会に於て之を定め,理事長が之を行う。但し基本財産中現金は確実なる有価証券を買入れ若くは確実なる銀行信託会社に預入れるものとする。

第22条 本会の経費は左に掲げるものを以て之考支弁する。
一 基本財産以外の資産から生ずる収益
二 寄附金
三 刊行物,講演会,講習会及び委託調査研究より生ずる収益
四 その他の収入

第23条 本会の会計年度は毎年4月1日に始まり翌年3月31日に終る。

第6章 附則

第24条 本寄附行為施行に関し必要な細則は理事会の決議を経て理事長が之を定める。

第25条 本寄附行為の条項は評議員会総数の4分の3以上の同意を得,且つ主務大臣の認可を経るのでなければ之を変更することが出来ない。

第26条 本会を解散しようとする場合は評議員総数の4分の3以上の同意を得且つ主務大臣の認可を経ることを要する。

第27条 本会の第1回の会計年度は創立の日より昭和27年3月31日迄とする。

第28条 本会設立当時の理事及び監事は左の通りである。

資料1-(3)

東洋民族文化懇話会規約(案)

第1条 本会は東洋民族文化懇話会と称する。

第2条 本会は東洋諸民族間の文化の交流並びに振興をはかることを目的とする。

第3条 本会の事務所は,東洋大学院社会学研究室におかれる。

第4条 本会は第1条の目的を達成するため左の事業を行う。
(1) 東洋諸民族の社会・文化の調査を行う。
(2) 懇談会・研究会・講演会の開催
(3) 出版物の刊行・頒布
(4) 外国の研究機関との連絡
(5) 学生・教授の交換・斡旋
(6) その他本会の目的を達成するに必要な事業

第5条 本会の会員は,正会員と賛助会員とする。
正会員は東洋大学専任教授,助教授及び職員にして,本会の趣旨に賛同し,全会員一致の推薦による
。賛助会員は年間2万円以上を本会のために拠出し,全会員一致の推薦による。

第6条 本会に左の役員をおく。
会長1名――会員総会により互選し,本会を代表する。
副会長1名――会員総会により互選し,会長を補佐する。会長,副会長の任期は夫々 年とする。
幹事――会員総会により互選せられ会務を執行する。幹事の任期は夫々年とする。

第7条 会長は少くとも毎年1回会員総会を召集しなければならない。

第8条 本会の会計年度は4月1日に始まり翌年3月31日に終るものとする。
会長は毎会計年度の終了後遅滞なく決算報告書を作り,会員総会に提出して,その承認を得なければならない。

第9条 この規約を改正するには会員総会3分の2以上の同意を得ることを要する。

附則
この規約は昭和30年 月 日より施行する。

資料1-(4)

米林富男,田辺寿利などの着任によって,昭和26年には社会学研究所,2部社会学科が開設された。同年10月には大学院社会学研究科を申請,昭和27年4月には修士課程が設置され,教育体系が次第に整えられた。昭和27年11月には,「東洋大学社会学研究室会報」創刊1号が発行された。山下袈裟男,藤木三千人の卒論題目がうかがえる。

東洋大学社会学研究室会報
昭和27年(1952年)11月 創刊1号

東洋大学創立65周年

  1. 卒業論文の2つの型について
  2. 27年度社会学科講座内容
    イ 社会学科1部講座内容
    ロ 社会学科2部講座内容
  3. 27年度卒業予定者卒業論文題目
  4. 職場の寸感
  5. 就職の状況について
  6. 社会学科学生の学内活動状況
    1 研究会の活動状況
    2 クラブ活動状況
  7. 研究室学生数
  8. 動静
  9. 通告
  10. 後記

1 卒業論文の2つの型について

卒業論文は,新制大学の履修単位の編成では,8単位に相当するので,旧制大学当時に比べれば,ウエイトは低くなっている。
けれども,卒論はレポート等とは異って,云はゞ大学在籍中の勉学の総決算であるから,実質的には,やはり評価が置かれるのは,各大学とも共通である。
従来の卒論を審査してみて,二つの型があるように見受けられる。
一つは,小説乃至雑誌論文風の型で,学術論文としてはいさゝか奇異に感ずるものがある。
今一つの型は,色々の書物の引用だけに終っているので,論題との間に一貫性がなく,矛盾した個所を平気で羅列し,しかも引用書が明記されていないものがある。
この二つの型も,当人の意図することを酌んでみると,必ずしも一概に悪いわけではない。
小説家風の論文では,当人が形式的にはオリジナルなもの,個性的なものを出そうとする意図をもったものであらうから,論文としては確かに一つのねらいである。たゞ,内容的に,個性的なもの,社会学の科学理論や調査論の中に表現出来なかったところに問題がある。
今一つの書物の引用だけに終った論文では,読んだ書物についての自分の理解を現わそうとする意図であったとすれば,論題について諸学者が発表した研究の限界を忠実に表現することは,博士論文を書くのではないから,卒論としては,やはり重要な一つのねらいである。
論題については,問題提起が明確で,諸学者の学説を正確に理解した論文や,苦心したと思われる調査の仮説が明瞭な論文は,読んでみて真面目で清楚な感じのするものである。
助教授 那須