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第5章 社会学部(2 応用社会学科)

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2 応用社会学科

 今日東洋大学社会学部は、社会学科、社会福祉学科、応用社会学科、2部社会学科の4学科から構成されており、そのなかで応用社会学科のみが三専攻にわかれている。この三専攻とは、マスコミ、社会心理学、図書館学となっている。この学科構成をみて、あるいは不審の念を抱かれる方が多いかもしれない。なぜなら、この学部構成が、学問領域別により構成されている部分と、研究対象領域別により構成されている部分が混在しているからである。
 本来、大学の学部名称は必ずしも学問領域に拘束されなくても構わないが、学科名だけは学問領域と関係がなければならないというのが、今日の風潮である、したがって、学部名称は、極端なことをいえば、そのような学問が学問の世界から社会的に認知されていないようなものでも構わないが、学科名だけは、そのような名称の学問が学問の世界で認知されたものでなければならないというわけである。例えば、不動産学部は存在はしえても、不動産学科は認められないというわけである。ちょうどこれは、学部長は学者でなければならないが、学長は学者でなくていいというのと似ている。
 このような観点から、社会学部の構成をみると、応用社会学科の三専攻のコース名に問題がある。それは、マスコミュニケーション学が社会的認知を得た学問名であればよいが、現時点では、この名称は研究対象名であり、学問名としては定着していない。そのため、社会学部の構成が、なにも知らない学生は別として見る人の目からみれば、何か不統一な雑然とした感を与えるのである。そのように考えると、なぜ、マスコミ学と社会心理学と図書館学とが一つに纏められて応用社会学を構成することになるのか、その学問的根拠のあいまいさまで問われることになる。
 昭和34(1959)年4月、文学部から独立して社会学部が発足したとき、社会学部第一部に社会学科とともに応用社会学科が置かれた。当時の開設授業科目は、社会学部設置のため文部省に提出した申請書によると、以下のとおりである。

  • 社会誌学、社会学特講、社会学演習:教授 米林 富男
  • 広報学、人口問題社会学特講 講師:三原 信一
  • 広報学、社会学特講、社会学演習:教授 千葉雄次郎
  • 社会福祉学概論、社会福祉方法論:講師 塚本  哲
  • 犯罪社会学、矯正保護法制、社会学特講:教授 内藤 文質
  • 社会調査、社会学演習:講師 石川 淳志
  • 図書館学:助教授 鈴木 賢治
  • 社会学特講(マス・コミ)、同演習:講師 北田 耕也
  • 応用社会学概論、社会調査:助教授 村田 宏雄
  • 広報学:講師 小野 秀雄
  • 社会心理学、社会学演習:助教授 モーゼス・バーグ
  • 精神衛生学、社会学特講:講師(医博)土井 正徳
  • 図書館学:助教授 和田 吉
  • 図書館学 講師 武田虎之助

この応用社会学科に昭和37(1962)年4月、学科課程別専攻コースとして、広報学(現在のマスコミ学専攻)、社会福祉学、図書館学が置かれた。昭和 38年4月には、これら三コースのほかに、心理学教育学専攻コースを設置し、これが昭和三9年4月に社会心理学専攻コースと名称を変更した。そしてそれと同時に、これら4専攻コースが学則上にも専攻コースと明記された。この4専攻の構成はそのまま最近まで継続したが、平成4年4月に社会福祉学専攻が社会福祉学科として独立したため、応用社会学科はマスコミ学専攻、社会心理学専攻、図書館学専攻の三専攻コースで構成されることになった。
 応用社会学科の学生定員は発足当時は50名であった。しかし昭和5一(1976)年3月に、大学の定員変更に合わせて200名となった。また昭和61年 4月には、さらに定員250名に拡大した。ところが、平成4年4月の社会福祉学科の誕生により、応用社会学科の定員は150名に減少したが、そのいっぽう、大学人学年齢の人口増加に対応して臨時定員を50名加えたため、現在の総定員は200名となっている。
 応用社会学科の専任教員は現在、マスコミ学専攻4名、社会心理学専攻5名、図書館学専攻4名、合計一3名である。
 現在、卒業に要する応用社会学科の履修単位数は、三専攻とも共通で、一般教育24単位、外国語一2単位、保健体育4単位、専門教育90単位、合計一30単位となっている。

Ⅰ マスコミ学専攻

1 マスコミ学専攻の発足

マスコミ学専攻コースは、応用社会学科の説明にみられるように、昭和34年の社会学部誕生とともに登場し、昭和37 (1962) 年4月に正式な専攻コースとなった。
 昭和三6年度の入学案内書は、発足当時の広報学専攻のカリキュラムについて、次のように述べている。
 まず一般教養・保健体育科目・語学は問題なかろう。問題は専門科目である。それは社会学部共通必修科目として、社会学概論・社会心理学・社会調査及び実 習等があり、「応用社会学科」 の必修として応用社会学概論・広報学がある。これに、広報学専攻のものは産業社会学・特講Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ、演習Ⅰ・Ⅱを選択必修しなければならない。選択 科目は社会学科と共通のものを選択すればよく、合計72単位履修すれば「応用社会学科広報学」を専攻したことになる。

2 カリキュラムの変遷

マスコミ学専攻コースの開設科目は、当初から今日まで数回にわたって改正が加えられてきたが、その骨組みに大きな変更はみられない。しかし、その骨組みのなかで、時代の推移とともにそれなりの変化がみられる。
 発足いらい30余年のうち、ほぼ前半期には、マスコミの実務的教育の比重が比較的高かったといえる。昭和55年の『講義要項』をみると、授業選択の基本的心構えとして、

  • マスコミ学専攻コースに学ぶ学生の大部分は、卒業後、新聞・放送・出版・広告などのマスコミ界へ進むことを希望している。……そのためには、まず すぐれた語学力を養わねばならない。マスコミ関係では特に語学が重視され、語学に弱い者がこの世界に進むことはきわめてむずかしい。また高度の一般常識が 要求されるため、社会・人文・自然科学の広範な領域にわたる基礎知識を習得するようつとめなければならない

と、述べている。
そして、そのような判断にしたがって、開講科目も現実的な知識の習得を目指す授業が多く設けられていた。たとえば、三原信一教授の「マスコミ学演習」は、 英字新聞の社説を選択・編集したテキストを用いて、「国際関係についての知識の増進とともに英語読解力の向上を目的とする」ものであった。また、田中菊次郎教授の「マスコミ学特講」は、「時事問題研究」と題されており、その内容を「われわれには時事問題についてバランスのとれた把握が必要である。社会の周辺の中から自己のテーマを、自由に見出し、これを徹底的に追及したい。……」と説明している。
 しかし実務的な内容をもった科目は次第に減少し、マスコミの構造、機能、責任など、広くマス・コミュニケーションに対する学問的理解をめざす科目が増大 する方向に変化していった。平成4年度の『講義要覧』のコース説明をみると、「マスコミ学専攻は、マス・コミュニケーションおよびそれに関連した領域につ いて広く研究・教育を行うことを目的としている。そのため、マスコミ学演習やマスコミ学特講を初めとして、特色ある専門科目を各学年に配置し、マスコミを めぐる現代的な諸問題を多角的に学ぶことができるようになっている」 と述べている。
 そしてさらに、近年にいたり、マス・コミュニケーションを含むコミュニケーション一般の問題や情報化問題が注目されるようになってきた状況に対応して、 マス・メディアに限定されないコミュニケーション関係科目の比重を高めるとともに、コンピュータ操作能力の習得を目的とする「情報処理基礎実習」および、 情報問題に対応する能力の育成を目指す科目として、「情報環境論」「情報行動論」「情報管理論」の三科目を、マスコミ学専攻を含む応用社会学科の共通科目 として開設した。
 こうした改変を経た結果、平成2年4月に改正・実行された現在のカリキュラムにいたっている。その特徴は右に述べたように、情報の理解・活用に対する教 育を重視する立場から、応用社会学科に共通する基礎科目として情報関連科目を開設し、これを特に履修を要望する指定選択科目として位置づけている点であ る。
 現在のマスコミ学専攻の専門教育科目は90単位で、その内容は以下のとおりである。

  • (1)必修科目24単位(全科目を履修する)
  • マス・コミュニケーション概論  4単位
  • (平成5年3月卒業者まではコミュニケーション理論)                
  • 社会学概論 4単位
  • 社会調査 4単位
  • 社会調査及び実習 4単位
  • マスコミ学演習Ⅰ 2単位
  • マスコミ学演習Ⅱ 2単位
  • マスコミ学演習Ⅲ 2単位
  • マスコミ学演習Ⅳ 2単位
  • (2)指定選択科目 (マスコミ学専攻が特に指定して、これらの中から一定単位以上の履修を求める)
  • 情報環境論 4単位
  • 情報行動論 4単位
  • 情報管理論 4単位
  • 情報処理基礎実習 2単位
  • 社会心理学概論 4単位
  • マスコミ法制論 4単位
  • ニューメディア論 4単位
  • 広告論 4単位
  • 新聞論 4単位
  • 放送論 4単位
  • 放送学実習Ⅰ 4単位
  • 放送学実習Ⅱ 4単位
  • マスコミ学特講Ⅰ 4単位
  • マスコミ学特講Ⅱ 4単位
  • マスコミ学特講Ⅲ 4単位
  • (3)共通選択科目(社会学部全体の共通科目で、一定単位以上を履修する)科目名は省略

3 教員と担当科目

前史時代 三講座時代(社会学部社会学科設置申請の骨格)
マスコミ学専攻コース発足以来の専任教員の在任期間と担当科目は、以下のとおりである。なお在任期間は、応用社会学科教員としてのものであり、担当科目については、退職教員は主要専門領域、現職教員は平成4年度の担当科目である。

  • 千葉雄次郎(故人)(昭和34~43年) マスコミ法制論、マス・メディアの責任など
  • 三原 信一(故人)(昭和34~48年) 新聞論、時事問題など
  • 北田 耕也(昭和34~49年) 大衆文化論、日本文化論など
  • 広畑一雄(昭和34~現在) マスコミ学演習、社会教育演習、社会教育団体論、視聴覚教育
  • 田中菊次郎(昭和48~54年) 新聞論、時事問題など
  • 広瀬 英彦(昭和47~現在) コミュニケーション理論、マス・コミュニケーション概論、マスコミ法制論、マスコミ学演習
  • 磯部 成志(昭和5一~現在) マスコミ学特講 (大衆文化)、マスコミ学演習、社会調査及び実習
  • 三上 俊治(昭和58~現在)    情報環境論、社会統計学、情報処理応用実習、社会調査および実習
  • また、マスコミ学専攻コースの科目を担当している非常勤講師と担当科目は以下のとおりである。
  • 諸橋泰樹 (マスコミ学特講)、松本寛美 (マスコミ学特講)、清水正三郎 (マスコミ学演習、放送論)、北根豊 (新聞論)、 
  • 古川良治 (ニューメディア論)、小宮山恵三郎 (広告論)、小川文弥 (マスコミ学演習)、磯村健2 (放送学実習)、小島明(放送学実習)

(広瀬英彦)

Ⅱ 社会福祉学専攻

1 戦前の動向

平成4年(1992)年4月、社会福祉学専攻は応用社会学科から独立して社会福祉学科となる。そこでここでは社 会福祉学科成立を含めて、主に戦後の動向に中心をおくが、戦前すでに社会事業科が成立しているので、はじめに戦前の動向に若干ふれておきたい。
 東洋大学における社会福祉にかかわる研究教育の土壌はもともと学祖井上円了の教育理念の中に広く存在していたが、これが最初に具体的な形で現われたのは、明治45(19一2)年の学科改正にみることができる。すなわち、専門部第一科(倫理教育諸科)において、社会教育および感化救済事業従事者養成を目 的として学科目の改正を行っている。改正により新たに設けられた科目は10科目に及んでいる。そして、大正10(192一)年には、夜間ではあったが専門 学校令にもとづく社会事業科が成立している。これは三カ年間の専門教育課程による学科の設置で、当時のわが国における社会事業教育の点からみれば画期的な 出来ごとであった。この社会事業科の設置を企画・実施したのは時の学長境野哲であった。
 境野は井上円了に直接薫陶をうけた仏教学者で、社会事業科設置後は、自ら実践道徳と仏教概説を講じている。学科長は医学者の冨士川辞で、彼は医学を基礎 に社会問題を広く研究対象としていた。当時の社会事業科教育課程表をみると、社会科学系列の科目と並んで、生理学、衛生学、心理学などヒトの有機体にかか わる科目の配置がみられるが、これはおそらく医学者としての冨士川に負うていたものと思う。
 社会事業科は、東洋哲学なり、仏教思想を社会事業実践のバックボーンとしながら、広く科学的研究と結合させて社会事業教育を推進したものと思われる。昭 和三(1928)年には、東洋大学も大学令により認可を得るが、社会事業科はこの時期に社会教育社会事業科と改称している。そして昭和4年の世界恐慌以 来、わが国の社会・経済の変動に伴い、この学科の学生数も次第に減少し、昭和9年には閉鎖となっている。

2 社会福祉学専攻コースの成立まで

戦後の社会福祉にかかわる研究教育の動向については、便宜上、昭和37(1962)年の社会福祉学専攻コースの成立するまでとそれ以降に分けて考えてみた い。そこではじめに社会福祉学専攻コースが成立するまでの経緯をみておきたい。  戦後の社会福祉事業は、戦前の社会事業時代に比べるとその発展は目を見張るものがあるが、昭和20年代は極端な物資・食糧不足等々により、救貧的事業が その中心であったが、昭和30年代には社会福祉事業の領域も次第に整備拡充されるようになり、いわゆる福祉国家体制の形成期を迎えることになる。そしてこ れと関連して社会福祉にかかわる専門的な研究教育の社会的必要性が高まり、多くの大学では、この時期以降に社会福祉の学部・学科、専攻等の制度をもつよう になった。
 さて、東洋大学では、昭和21(1946)年、旧制文学部のなかに新たに社会学科を増設し、ついで昭和24(1949)年には新制大学の移行にともな い、文学部のなかに新制度の社会学科を設置している。そしてこの時期から昭和34年に至る間は、社会福祉の分野に関わる科目の開講は特になく、社会学との 関連で部分的に取り扱われていたにすぎなかった。しかし、昭和34(1959)年の社会学部創設時には多くの科目が開設されている。
 社会学部創設にあたっては、昭和20年代から林恵海、田辺寿利、鈴木栄太郎、磯村英一、米林富男など多くの教授たちの構想と努力に負うているが、その中 心となってこれを推進したのは米林富男教授であった。学部設置準備委員長であった米林教授の学部構想の一端を昭和三3年の大学要覧の記事から要約してみよ う。
 まず、最初に学祖の「建学の精神」にもとづいて現代社会に即応する教育体制を整備し、国家有為の人材を養成すること、第2に、このたび文学部第一部、第 2部に所属する社会学科を社会学部第一部、第2部に昇格させ、従来の社会学科のほかに、特に応用社会学科を新設し、現代日本の要求する社会技師、ソーシャ ル・エンジニアの養成を図ること。第三に、応用社会学科には、大正期に成立、その後休止していた社会事業科および文化学科を復活させ、さらに図書館を加え た内容にしたいこと、となっている。
 このように学部創設にあたっては、応用社会学科の中に社会福祉学、広報学(マスコミ)および図書館学にかかわる研究教育分野を構想していたのである。
 昭和34(1959)年4月開講の社会学部応用社会学科専門教育科目一覧表をみると、次のようになっている。すなわち共通必修科目、選択必修科目および 選択科目からなり、共通必修科目には6科目・24単位があてられ、応用社会学科の学生としても社会学部の学生であることから、社会学概論、社会調査および 実習は必修科目となっている。選択必修科目には、社会福祉学、広報学および図書館学の専門分野におけるそれぞれの科目が配置され、それぞれ28単位以上を 履修することになっている。また、選択科目は一8単位以上となっている。
 以上のように、応用社会学科は基本的には社会学を基礎科学とし、その上に各分野別専攻コースの設置を予定した科目の配置がなされていた。
 そして、これを実質化したのが昭和37(1962)年度の学科課程別専攻コースの設置である。これによって社会福祉学、広報学、図書館学の専攻コースが 成立し、さらに翌38(1963)年には社会心理学専攻コースも成立して、応用社会学科は4専攻コース制となり、平成4年4月社会福祉学科の独立までは、 この組織体制であった。

  • 林恵海は東京大学文学部社会学科の専任教員であったが、当時、東洋大学文学部兼任教授として教鞭のかたわら社会学科創設に尽力された。

3 社会福祉学専攻コース成立後の展開

昭和37(1962)年4月開講の社会福祉学専攻コースの学科課程表をみると、基本的には学部創設当時の考え方がそのまま踏襲されていることである。すな わち、共通必修科目に社会学概論、社会調査、社会調査および実習、それに社会心理学を加えて4科目一6単位が位置づけられている。ついで、この上に社会福 祉学専攻として必要な専門科目三2単位が選択必修科目として配置され、さらに関連科目として22単位以上の履修ができるように選択科目が配置されている。 なお、卒業論文については、この年度から選択科目・8単位となっている。
 このように、社会福祉学の研究教育組織は、戦前の社会事業科を復活させ、社会学を基礎科学として新たに生成することになった。
 ところで、社会福祉学専攻コース成立期の専攻所属の専任教員は塚本哲、内藤文質、モーゼス・バーグのわずか3名で、他は社会学科および他専攻の教員なら びに非常勤講師等に依存していた。そして時の経過とともに専攻コースの拡充が図られ、専任教員も少しずつ増員されている。いま、その経緯をみると次のよう になろう。
 昭和三9(1964)年度に、それまで社会学科に所属していた山下袈裟男(助教授)は、昭和41年度設置予定の大学院修士課程との関連で社会福祉学専攻 に所属替えとなった。ついで、翌40年度には、同じく大学院設置の必要から最高裁判所法務技官の土井正徳が精神衛生関係科目担当として専任教授に就任して いる。表―5は、昭和41年度社会学部入学案内にみる社会福祉学専攻の専門科目担当者の科目一覧表である。
 なお、土井正徳教授は、不幸にも昭和41年の中途で亡くなられたので、昭和42年度に国立精神衛生研究所から田村健2を教授で迎えている。
 次に、昭和48(197三)年には、同53(1978)年設置予定の大学院博士課程設置の必要から孝橋正一教授を京都の龍谷大学から招聘しているが、さ らに大学院博士課程が開設した昭和53(1978)年度にもう1名の増員人事が行われ、淑徳大学から今岡健一郎教授を迎え、ようやく社会福祉学専攻の専攻 教員は7名になった。

表-5 教授・講師および主な担当科目(昭和41年度)

教授・医博○土井 正徳特講(精神医学的
社会病理学、医学
知識)演習
教授・大学院社会
福祉学専攻主任・
文博
磯村 英一社会病理学、演習
教授・一部社会学
科主任・文博
米林 富男社会学概論
教 授○塚本 哲社会福祉学概論特
講(ケース・ワー
ク、ケース・スタ
ディ)実習
教 授○内藤 文質社会福祉法訓、犯
罪社会学演習
教 授村田 宏雄社会心理学
教 授○モーゼス
・バーグ
特講(精神分析、心
理療法)実習
助教授○山下袈裟男特講(コミュニテ
ィ・オーガニゼー
ション)演習
助教授奥田 道太社会調査
助教授藤木三千人社会調査実習
兼担教授(文)恩田彰(文)特講(グループ・
ワーク、グループ
・ダイナミック
ス)
兼担教授(法)鎮西 恒也特講(社会福祉行功)
兼任講師梶原 武雄特講(社会保障、教育史)
兼任講師・医博大竹 太郎特講(児童福祉論、
ケース・スタデ
ィ)
兼任講師上田 千秋社会施設管理

○印が社会福祉学専攻所属の専任教師である。

そして平成三(199一)年度には、社会福祉学専攻から社会福祉学科への昇格を前提として2名の増員人事が行われている。
 以上のように、社会福祉学専攻の専任教員数の増員の経緯は、基本的には、大学院修士課程および博士課程の設置ならびに社会福祉学科増設を背景として行わ れてきたことがわかる。ただし、昭和53(1978)年度の増員人事については、昭和5一(1976)年度の学部入学定員の大幅改正との関連もその要因の 背景となっているように思う。すなわち、学部創設時には、社会学科および応用社会学科とも入学定員は50名ずつで合計100名であったが、51年度の改正 では、社会学科100名、応用社会学科200名、合計300名となっている。なお、入学定員は、昭和61(1986)年度、白山学部の一、2年生の朝霞校 舎への移転時に再び改正されて、社会学科150名、応用社会学科250名、合計400名となっている。
 さて、専任教員の構成と専攻の教育課程表とは密接に関連しているし、教育課程表はそれぞれの時期における教育方針・内容を示しているので、若干の年度についてその要点をとりあげてみよう。

表-6 昭和44年度社会福祉学専攻専門教育課程表

区分第1年次第2年次第3年次第4年次
授業科目名授業科目名授業科目名授業科目名









(56)
社会福祉学演習Ⅰ(2)社会学概論(4)
社会調査 (4)
社会心理学概論(4)
社会福祉学概論(4)
社会福祉学演習Ⅱ(2)
社会福祉学特講Ⅰ(4)
社会福祉方法論Ⅰ(4)
社会調査および実習(4)
社会福祉方法論Ⅱ(2)
社会福祉方法論Ⅲ(2)
社会福祉学演習・実習Ⅰ(2)
社会福祉学演習・実習Ⅱ(2)
社会福祉学特講Ⅱ(4)
社会福祉学特講Ⅲ(4)
社会福祉学特講Ⅳ(4)
社会福祉学特講Ⅴ(4)
社会福祉学特講Ⅵ(4)
5科目のうち4科目選択






(74)




(18)
  *社 会 法 制(4)
*宗教民族学(4)
文化人類学(4)
社会学史(4)
社会誌学(4)
産業社会学(4)
教育社会学(4)
社会思想史(4)
*犯罪社会学(4)
社会福祉行政(4)
*人口問題(4)
経済史(4)
経済政策(4)
憲法(4)
民法(4)
人文地理学(4)
社会教育(4)
精神分析および療法(4)
医学知識(4)
家族論(4)
社会病理法(4)
統計調査法(4)
社会教育実習Ⅰ(2) 社会教育演習Ⅱ(2)
社会政策(4)
卒業論文(8)
  • 1.大学院に進学するものは卒業論文を必修とする。
  • 2.社会教育演習を選択履修するもので社会教育主事を希望するものは社会教育演習Ⅰ およびⅡを履修しなければならない。
  • 3.( )は卒業に必要な最低単位数
  • 4.( )は当該科目の単位数
  • 5.年次欄が数欄にまたがっておかれてある科目は、そのまたがっている年次の中で履修する。
  • 6.*印は隔年講義
  • 7.特講の講義科目名は次のとおりである。特講Ⅰ 児童福祉論、特講Ⅱ 社会保障論、特講Ⅲ 臨床心理学、特講Ⅳ 精神衛生、特講Ⅴ 社会福祉法制、特講Ⅵ 施設管理論

4 朝霞校舎への移転から社会福祉士法への対応

さて、大学は、昭和42(1967)年教養課程の川越移転計画の失敗と大学紛争の経験から、増大するマスプロ教育への対応策として、白山により近い朝霞の 地に新しい校地を求め、その整備を急いでいたが、昭和52(1977)年度には、ようやく1年生のみの授業が開始された。そして昭和61(1986)年に は、白山5学部・教養課程一、2年生の朝霞校舎への移転が行われたが、この間、大学と学生間には多くのトラブルがあったことは周知のことである。
 ところで、この時期に最も心を砕いたのは学生の学習上に支障のないよう万全の対策をとることであった。幸い一部の科目について、白山と朝霞の両校舎で受 講できるよう若干の手直しと運用上の暫定措置がなされた。その結果、専門教育課程表にはそれほど大きな変更はなかった。しかるに、昭和62(1987)年 5月成立の社会福祉士および介護福祉士法の制定に伴い、これへの対応によりその教育課程表は大きく変更されることになった。
 この法律は、社会福祉の専門職養成を意図したもので、社会福祉士は別名ソーシャルワーカー、介護福祉士は別名ケアー・ワーカーと呼び、いずれも名称独占 による専門職である。このうち大学が対応したのは社会福祉士で、国の定めた指定科目(一5科目中一三科目の履修)を大学で開講し、これを取得した学生が国 家試験を受けられるといった資格制度である。この法律の制定と同時に、専攻内で直ちにその対応を協議し、とりあえず、昭和63(1988)年度の専門教育 課程表の改訂を推進した。幸い社会福祉学専攻では、国の指定科目の大部分を開講していたので、若干の科目の追加と国の決めた形式に適合するよう応急の処置 を行った。そして国の定めた科目・形式等についてきちんと整理できたのは平成元(1989)年であった。これらの過程で特に骨の折れたのは、国の定めた機 関・施設で4週間以上の現場実習が義務づけられたことであった。そのため初年度は試行錯誤しながらも、担当事務局と専攻教員の総力をあげて対応し、軌道に のせることができた。
 現場実習は平成4年度で5年目になるが、実習に参加した延べ人員は一88名に及んでいる。また、国家試験はすでに4回実施されているが、受験者総数は73名で、合格者は8名となっている。国の平均合格率は20%前後であるから、その半分程度の合格率となっている。
 このように社会福祉士制度の成立は、単に専門教育課程表の改訂にとどまらず、社会福祉士という社会福祉学専攻にとって固有の資格制度をもつことになり、その特色が鮮明になったが、他方では、大学における社会福祉教育のあり方が改めて問われることにもなった。

5 社会福祉学科の独立

社会福祉学科設置については、大学院博士課程増設の直後からその声はあがっていた。それが具体的な形として現われたのは、昭和54(1979)年10月の 定例教授会で、時の応用社会学科主任であった山下による学科設置の提案であった。学科設置の理由は、端的にいえば、すでに大学院博士後期課程も成立し、社 会福祉学専攻では大学院制度は一応完成したので、大学院との整合性を図り、かつ、学部の研究教育体制の整備拡充が求められていたのである。幸い教授会では 満場一致で承認されたが、大学の校地不足のため、この件はそれ以上の進展はみられなかった。しかるに昭和61(1986)年4月、白山学部の教養課程一、 2年生の朝霞校舎への移転を契機に、校地問題は一応緩和されたので、同年4月の定例教授会で再度、学科設置の確認を求め、併せて大学当局にその推進方を要 請した。その後、紆余曲折を経るが、平成元(1989)年12月に大学理事会の承認を得て2名の増員人事を行い、平成3年4月開設を目処に学科教育課程表 の改訂・整備を行った。しかし、予定どおり進捗せず、結局1年遅れの平成4(1992)年4月にようやく開設の運びとなった。
 この結果、社会学部の学科構成と学則定員は次のようになった。すなわち、学科構成は社会学科、応用社会学科および社会福祉学科の三学科制となり、学則定 員はそれぞれ150名、150名および100名、合計400名となっている。要するに三学科制になったが、学則定員は、従来の応用社会学科を分割したのみ で総数には変更はなかった。

区分第1年次第2年次第3年次第4年次
授業科目名授業科目名授業科目名授業科目名






(90)




(30)
社会福祉学概論(4)
社会福祉学演習Ⅰ(2)
社会学概論 (4)
社会調査 (4)
社会福祉方法総論 (4)
社会福祉学演習Ⅱ(2)
社会調査および実習(4)
社会福祉法制(4)
社会福祉学演習Ⅳ(2)






(2)
  ●社会福祉学演習Ⅲ(2)
●社会福祉援助技術演習(2)
●印の2科目から1科目を選択
 




(58)





目 
 *社会保障論(4)
*児童福祉論(4)
*老人福祉論 (4)
*社会福祉発達論(4)
*社会福祉方法論Ⅰ(2)
*社会福祉方法論Ⅱ(2)
*社会福祉方法論Ⅲ(2)
*障害者福祉論(4)
*社会福祉行政(4)
*公的扶助論(4)
*地域福祉論(4)
医療福祉論(4)
人間発達論(4)
医学一般(4)
介護概論(2)
臨床心理学(4)
社会福祉学特講(4)
社 会 病 理 学(4)
社会心理学概論(4)





 情報処理応用実習(2) 
情報処理基礎実習(2)
情報環境論(4)
情報行動論(4)
文化人類学(4)
社会統計学(4)
家族社会学(4)
教育社会学(4)
アジア社会学(4)
マス・コミュニケーション概論(4)
時事英語(4)
社会学史(4)      経済原論(4)
社会史(日本) (4)   日本経済史(4)
社会思想史(4)    経済史(4)
宗教社会学(4)     政治学原論犯罪社会学(4)
(国際政治を含む) (4)
発達社会心理学(4)   憲法(4)
社会政策(4)      行政法(4)
社会教育演習Ⅰ(4)  労働法(4)
社会教育演習Ⅱ(4)  哲学概論(4)
社会教育団体論(4)
  卒業論文(8)



  社会福祉援助技術現場実習(6)




(教
科)
日本史(4)
外国史(4)
地理学(4)
地誌学(4)
自然地理学(4)
 
    備考
  • 1.区分欄の数字は卒業に必要な最低単位数
  • 2.( ) は当該科目の単位数
  • 3.複数の年次欄にまたがっておかれている科目は、そのまたがっている年次の中で履修する。
  • 4.教職科目(教科)欄の5科目は卒業に必要な単位としては認められない。

表―7、平成4(1992)年度の社会福祉学科専門教育課程表である。これによると、必修科目・選択必修科目および指定選択科目・共通選択科目等、従来の 形式からみると科目の配置はやや複雑になっている。これは基本的には、社会福祉教育の中に、専門職の資格要件を満たす科目とこれに捉われない福祉教育の側 面、さらに主に現代社会に対応できる視野の広い人間の養成といった側面をもつ科目の配置と組合せから構成されているからであろう。
 また、学科の専任教員は現在8名で、就任時の早い順にみると、山下袈裟男、田村健2、天野マキ、山手茂、窪田暁子、池田由子、古川孝順の各教授と佐藤豊 道助教授で、このうち池田、古川両教授は増員人事、佐藤助教授は定年退職者の後任人事として、いずれも平成三(199一)年4月に就任している。なお、平 成5年4月には、東京大学から園田恭一教授が専任として就任予定である。
 このように、社会福祉にかかわる研究教育については、今日、最も充実した教員組織と2一世紀を視野においた学科教育課程表のもと、新しい時代に対応でき る体制をとりつつある。そして初代学科主任に山手茂教授が就任し、鋭意その発展に努めている。また、現場実習の助手採用の件も、目下その手続きの過程にあ る。以上が、社会福祉学科成立の経緯と現状である。  そこで最後に、いままでふれることのなかった若干の点について付け加えておきたい。
 まず、第一は児童相談室である。これは昭和三9(1964)年2月、社会学部および文学部の関係学科・専攻の専門教員をスタッフとして実施している児童 相談事業で、社会福祉学専攻教員は全員が構成員で、今日まで多くの実績を残すとともに、相談室は学生の研究の場ともなっている。
 第2は、学科との関係で、本学専攻が全国レベルの学会の大会を引き受けて実施したのは次の2つである。(1)日本老年社会科学会第10回大会、昭和4三 (1968)年11月2日、三日、ただし、大学は学園紛争の渦中にあったので会場は東京新国際ビル8階で行った。(2)日本社会福祉学会第26回大会、昭和 53(1978)年9月2三日、24日。
 第三に、社会福祉学専攻コースが成立して以来、社会福祉学の専門教育にご尽力いただいた専任教員および非常勤の多くの人たちがいた。以下はその一覧である。

  • 社会福祉学専門教育関係者一覧(○印は本学専任教員)
  • 石本 忠義     ○磯村 英一    ○今岡健一郎      一番ヶ瀬康子
  • 市川一宏       宇留野功一     上田 千秋      江口 英一
  • 大山  博      大竹 太郎     大野 勇夫     0恩田  彰
  • 小川 政亮      梶原 武雄     川上 昌子      河田 正勝
  • ○菅野 重道      黒田 俊夫    ○孝橋 正一      小松 源助
  • 小島美都子     05島 貞次    ○佐藤 恒信      佐藤  進
  • ○坂口 順治      桜田百合子     寿田 鳳輔      副田あけみ
  • 園田 恭一      高橋 種昭     高橋 重宏      高山 忠雄
  • 高沢 武司     ○田中  寿     田端 光美      地主 重美
  • 鎮西 恒也     ○塚本  哲     東條 光雅     ○土井 正徳
  • 星野 信也      阿 和嘉男    ○松本 武子      前田 正久
  • 前田 大作      村井 隆重    ○村田 宏雄      松村 常雄
  • ○モーゼス・バーグ   森田 明美    ○内藤 文質      仲村 優一
  • ○藤島  岳      藤森 岳夫     矢野  聡      山口 春子
  • ○吉沢 英子     ○吉田 久一     米林 富男      渡辺  定
  • 渡邊 益男

資料
『東洋大学8十年史』(昭和42年11月)
『東洋大学史紀要』(昭和59年度版)
昭和34年以降の学部履修要覧各年度版および東洋大学教職員名簿
「社会福祉学科設置申請書」(平成3年)
米林富男提供資料ほか

Ⅲ 社会心理学専攻

1 社会心理学専攻の経過

この稿は、社会心理学専攻コースの歴史といってはおおげさだが、その成り立ちのはじめから今日までの経過をのべることが目的である。それにもかかわらずな ぜその冒頭(序文)に、現在の学部構成に水をさすような問題を投げかけたかというと、このことが、社会心理学専攻コースの誕生に、きわめて深い関係があ り、学問的にみれば、不統一、雑然としかみえない学部の構成であったからこそ、社会心理学専攻が生まれたという歴史があるからである。
それというのも、社会心理学専攻コースは、社会学部成立当初から存在した専攻コースではない。社会学部が文学部社会学科から独立してひとつの学部として発 足した当時、社会学部は社会学科、応用社会学科、2部社会学科の三学斜からなり、そのなかで応用社会学科のみ、広報学専攻、社会福祉学専攻、図書館学専攻 の三専攻から構成されていた。マスコミという言葉は俗語で、学問の名称でないので広報学専攻と称したわけである。したがって、社会学部発足当時の学部構成 は一応学問的名称で統一されていたわけである。しかも、そのなかには、どこを探しても社会心理学という名はでてこない。それもそのはずで、社会学部発足当 時、関係者の中で、社会心理学専攻コースが応用社会学科のなかに生まれるなど予想だにしていなかったからである。後年社会心理学専攻の発足以来、この専攻 を担当してきた私ですら、社会心理学専攻が生まれるなど、考えもしなかったのだから、これは当然のことであった。では、なぜそれが、社会心理学専攻コース を生み出すことになり、応用社会学科が4専攻になったのか。そのいきさつを知ってもらうためには、応用社会学科がなぜつくられたのか、それについて語る必 要がある。
いまから30余年前のわが国では、社会学のプレスティージが、学問的世界の中で、今ほど高くはなかった。したがって、社会学部の存在など、日本中どこの大 学を探してもみられなかった。いやそれどころか、社会学科として独立の学科名称のあるところさえ、国立大学でも、東大、京大ぐらいなもので、私立ではわず かに日大にみられるぐらいなもので、きわめてささやかな存在にしか過ぎなかった。当時の社会学が社会学とは何を研究する学問であるかという学問対象の規定 に終始したかの感があるのをみても、学問としての存在理由をまずは明確化することにせまられていた当時の情勢が、偲ばれる。だが、このような情勢のなか で、実証主義を掲げる社会学としては、学問対象の規定以外に、この学問知識がなんとかして社会に応用できることを示そうとする願望も強く動いていた。この ような情勢のなかで、米林教授の手によって、社会学部がつくられたのである。そのため、社会学部は理論的研究と現実社会への応用ということで、社会学科と 応用社会学科の2学科がもうけられたのである。
だが、社会学の知識を現実の社会に応用するといったところで、当時の社会学は学問対象の規定に追われていただけに、社会に応用するにたるだけの内容など、 まだ全くなかったといってよかった。したがって、社会のどの分野に応用できそうなのか、それをまず明確にする必要があった。そのような観点にたって社会を 見ると、応用できそうな分野といえば、まず、新聞、出版、図書館等の業務分野とそれに当時新しく発足した公民館活動を中心とした社会教育の分野などであ る。もちろん、以上の分野にしても、当時の社会学の知識がどれほど役だつかは疑問であったが、当時の東大社会学科の卒業生に新聞記者になったというより、 それしか就職口がなかったといったひとが多かったことと、同様の状態が資本的にははるかに弱小な出版にみられたこともあって、広報学専攻と図書館学専攻が 生まれたのである。なお、その頃、東大社会学科の教授であり、定年後本学の社会学科の教授になられた戸田先生が、中央矯正保護審議委員会の委員長になられ たことにより、非行少年の矯正保護の面でも、少年法のなかで社会学の必要性が法制化されるなどのことがあって、これをきっかけにして社会福祉も社会学の知 識が応用できるのではないかということで、社会福祉学専攻ができたのである。だが、その中で積み残された分野がひとつあった。それは社会教育の分野であ る。終戦以来、かつて文学部の一学科にしかすぎなかった教育学が教育学部として独立し、そのなかの一学科をさして、社会教育学科と教育社会学科というカ レーライスとライスカレーの違いといっては失礼だが、そのような名称の学科が、各大学で続々設立され、社会学、教育学のどちらがこれらの分野で主導権を握 るかなどの問題もあった。本学では、文学部にすでに教育学科が歴史をもって存在し、そのため、社会学部に社会教育専攻コースを設けるには、まだ力不足の点 があり、やむを得ずこの分野は応用社会学科のなかにとりこめなかったのである。
ところで、社会学部の創設で忘れてならないのは、今はない学内ケーブルテレビの施設を東洋大学が全国ではじめて開設したことである。この施設は大教室にお ける過密授業による非人間的な教育を解消し、面対面で教員と学生とが触れ合えるような教育をテレビというメディアを利用して行おうというものであり、それ を新興の社会学部が主として実験的に担当するという狙いであった。このため新聞と限定せず、広報学専攻コースと称するようになったわけである。
当時としては、他大学に見ない試みであり、また社会では民放各局が相次いで開局、NHKも教育テレビ局を設けるなどのことがあり、社会学部のこの試みは新聞を賑わしたものである。
だが、そうなると、ここに視聴覚教育を兼ねた社会教育を専門的に指導することができる人が必要となり、城戸先生が迎えられた。迎える条件として、社会学部 にあらたに教育心理専攻コースを追加することが約束された。城戸先生としては、教育学科創設につながる専攻を望まれたようであるが、文学部の反対にあい、 これは実現出来ず教育心理専攻となったわけである。1960年開設されたこの教育心理専攻コースは、約10人ほどの専攻学生を入学させ、城戸、北田、広 畑、村田、それに文学部から恩田が兼担で開設された。テレビ・スタジオから有線による放送により授業が開始され、放送の技術面は事務の世良が担当した。
ところが、この教育心理専攻コース開設まもなく城戸先生が北海道教育大学学長として転任されることになり、あたらしく城戸先生クラスのひとを専任として早 急に探さない限り、授業継続が不可能な状態に陥った。だが、突然のこととて適任者を探すことは、当時としては至難であった。そこで、暫定的に村田が主に なって担当することの相談があった。だが、私としては、当時社会心理学に関しては、すでにいくつかの専門的著作があったが、教育心理に関しては、何ら研究 業績がないところから、社会心理専攻コースならば、引き受けられるが教育心理専攻コースでは引き受けようがない旨回答した。軽い気持ちで答えたまでのこと だったが、これが教授会で承認され、法人も認めることになって、ここに社会心理学専攻コースが誕生してしまったのである。
だが、学生としてはこの決定は大変迷惑なことだったに相違ない。教育心理を専攻しょうと思って入学してきたにもかかわらず、自分達の知らぬ間にいつの間に か社会心理を専攻することになってしまったのだから、戸惑いが生ずるのも無理もない。この戸惑いは当然不満となってあらわれた。少し後、こういうことをす れば、当然大衆団交ものだが、当時の学生はおとなしいもので、私のつたない説得にも応じてくれ、社会心理学に専攻替えをすることで、自分達の将来の設計を たてることにしてくれた。もちろん、そのための支援を約束したが。果たして支援できるものかどうか、誠に心もとない状況であった。それというのも、社会心 理学は当時まだ今ほど社会的認知をえておらず、全国の大学でもこれを専攻するようなコースをおいているところがなかったからである。

2 当初の社会心理学専攻コースの内容

しかし、発足した以上はカリキュラムを編成せざるを得ない。だが、そうかといって、社会心理学を担当してくれるひとはいない。そういう状態だったので、社 会心理学といっても、実験的なことはあきらめて、もっぱら記述的な社会学に近い社会心理学を教育することにし、暫時間に合わせることにした。そのため、北 田が大衆文化論、高木が大衆運動、広畑が広報活動、恩田が臨床心理、私が社会心理を担当するという形で発足した。だが、当時大学当局は、これを支援してく れて、臨床心理の実習用に、観察室、心理テスト室などを備えた臨床心理実習室を準備してくれ、児童相談所の開設を認めてくれた。その一方、テレビスタジオ からの放送が聴取者にどのように受け取られるかを分析するためのオウディアンス・アナライザーや精神電気反射検流計などの購入を行い、当時としては、他大 学にない社会心理学の実験装置や実習室をもつことになった。だが、人間のほうになるとことのほか渋く、社会心理学を専門的に研究教育する教員はおろか、児 童相談室の専任助手や以上にあげた装置の保守要員の採用は一切認めてくれなかった。当時これらの助手や要員は、科学研究費や警察庁の特別研究費をもらうこ とで、アルバイト代を払い手当するということ以外に方法がなかった。したがって、児童相談室での相談は(主として進学相談であったが)恩田と私が交代であ たった。このような状態であったので、これら相談室や実験装置があっても、これを教育にいかすということはできなかった。。
社会心理学専攻コース開設2年目にして、社会心理学専攻があっても、それを専門に担当する教員が私一人ではあまりにも弱体であることが認められ、新しく教 員2名の教員採用の枠が認められた。当時としては、社会心理学専攻の発展方向を片や臨床心理を学習させ、不足していた特殊学級の教員養成、他はようやく盛 んになりだした広告宣伝産業で活躍するアドマン養成のため、心理学的なマーケティングの知識の学習、さらに、コンピュータ時代を予想して、コンピュータを 駆使するオペレーション・リサーチの習得に狙いをおいたのであるが、オペレーション・リサーチの方の専門家としては、心理学でも嘱望されていた太田を科学 警察研究所から迎えることに成功した。だが、臨床心理に関しては、予定していたひとを他大学にとられ、その後は適当なひとがえられず、その後かなりのちま で、この方面の教育は断念せざるを得なかった。。
しばらく、この状態が続いたが、69年早稲田大学システム研究所教授の心理学者大川が本学専任教授にきてくれ、社会心理学で多変量データ解析と意思決定を 主として担当することになり、ここでようやく3名のスタッフで専攻を運営することになった。専攻らしい教育が行える基礎がととのったというわけである。そ れに伴って、カリキュラムも大改正を施し、従来の記述的な社会心理学から客観的観察による数値データとそれを数学モデルで処理する実験科学的な社会心理学 の方向に進むことになったのである。その頃、すでに初期の大型コンピュータを大学は導入しており、社会心理学の専攻学生は、これら大型コンピュータ言語を 履修するものが多くなってきた。だが、この頃は、社会心理学専攻担当教員は、経営学部とともにコンピュータによる教育の企画立案に委員として参加していた ものの、これを学内で教育に取り入れることをしなかった。いやできなかったといったほうがよいかもしれない。それというのも、70年前後、大学紛争で大荒 れした時代前後の活動家学生のなかには、かつての機械破壊運動同様な考えからコンピュータを資本主義に奉仕するものだとし、学内のコンピュータを破壊しよ うとすら企てるものが英雄視された時代となったからである。だが、コンピュータこそ使用できないものの、将来のコンピュータ時代の到来にそなえ、社会心理 学専攻では、記号論理学の講義を短大の永井によって行ってもらい、どうしたわけか、この講座は活動家学生も好んで履修していた。

3 社会心理学専攻コースの発展

しかし、社会心理学専攻が、本当の意味で社会心理学専攻らしくなったのは、大学紛争が終息を迎えてからである。紛争終了後、太田が筑波大学で社会工学の専 任となるため、本学をさり、かわりに、稲城を新進気鋭の社会心理学者として迎える事が出来た。以来しばらくの期間、社会調査を社会科学における経験科学的 研究方法であるとの視座のもとに、従来の文化人類学の現地調査から発足して大数の法則を前提としたどちらかといえば、記述に近い古典的な調査方法から実験 的な調査方法へと変身させることと、実験による研究方法の本格的な指導が行われるようになった。だが、学生の数学的知識の弱さが、これらの研究方法による 指導を押し進めるにあたってのいかんともしがたい障害であった。早い話、意思決定の支援システムを学習するには、少なくとも、行列の演算、ことに逆行列、 固有値・固有ベクトルの問題についての解法の習得を必要とする。そのため、大川は、学生に対して、その習得を指導しようとしたが、学生がついてこず、結局 断念せざるを得なかった。調査結果のデータ解析にしても、カイ自乗検定を理解させるのがやっとという有様であったのである。したがって、この頃は社会心理 学専攻らしくなったというものの、まだ、本当の意味での社会心理学を指導できるという状態ではなかった。
いうならば、社会心理学の教育を担当するものとして、絶望的な状態から脱却できはじめたのは、ひとつには学生の質が向上してきたことと、パソコンの発達普 及による。本学は大型コンピュータの導入が早かったが、パソコンにょるコンピュータ教育には、他大学にくらべ、当初かなり遅れをとった。だが、幸いにし て、大型コンピュータの端末をパソコンがわりに使用することができるような大型機種であったため、これをつかっての BASIC 言語とそのロジックの学習は可能であった。最初にこの点に着目したのは、本学のなかでも社会学部応用社会学科の図書館学専攻の井出であった。これを利用し て、図書館学専攻では、リファレンスからデータベースの作成、検索の授業が行われた。これに刺激され、社会心理学専攻では、社会調査の方法を指導するに当 たり、パソコンを利用することを思いついた
当時文部省は通産省の要請をうけ、大学の文系学部においてもコンピュータ教育を進めることを強く要望していた。だが、これは大学側にしてみれば、問題があ る。なぜならば大学は学問を研究教育するところである。コンピュータの使い方だけを教育するのなら各種学校で十分である。大学でことに文系学部でコン ピュータ教育をとりいれるのならば、教育する学問の研究に何らかの形でコンピュータが必然性をもって関与することがなければならない。この点では、簿記会 計に基本をおく経営学部は有利である。したがって、当時の文部省のコンピュータ教育に関する通達類を見ると、経営学を中心にすえて考えているとしか思えな いものが多かった。社会学や心理学などは、コンピュータ教育という点からみると、問題にならなかったようである。事実、この頃から大学あるいは学部や学科 の新設や増設ラッシュがはじまるが、そのなかには、情報科学とか経営情報学科などの名称をつけたものが、断然多かった。社会学関係の分野では、戦前から後 発の学問によくみられがちな傾向であるが、学問的プレスティージを高めるため、なににでも新しい分野での問題を他の学問に先駆けて取り入れようとする傾向 があった。このため、他の学問研究者からは、社会学帝国主義と悪口をいわれたほどである。この傾向がよいか悪いかは別にして、東洋大学の社会学部にも、そ の創設以来ついている。そうなれば、社会学部としても、コンピュータ教育に関して経営学部にまけないくらいの実績をあげていかなければならない。それには 単にコンピュータ言語やそのロジックを教えるというのでなく、社会学の研究にコンピュータがかくことのできぬ用具であるような分野をみつける必要もあっ た。そうして大学文系学部におけるコンピュータ教育とは、このようなものであることを天下に率先して示す必要もあった。
このような背景のもとに、社会心理学専攻では、本来社会科学の研究法である社会調査に、パソコンを使用することを試験的に実施した。それでわかったこと は、標本調査のための台帳づくりから標本抽出、調査票の作成集計から基本統計量利用によるデータ解析、カイ自乗検定や平均値の差の検定、それにバブル崩壊 以来企業や行政がその利用を渇望している分散分析や相関行列を利用する重回帰分析や判別分析、因子分析、クラスター分析にいたるまで数字に弱いはずの社会 心理の学生でもプログラムの組み方を教えることによって容易にこなせることが判明した。卒業論文にも因子分析を利用するものがでてくる始末である。これに よって、社会心理学こそ、文系学部におけるコンピュータ教育の主座を占める学問であることを示すことができるようになった。この頃、計数工学を学部でおさ め大学院で心理学を専攻した大島を社会心理学専攻に迎えることができ、コンピュータ時代に対応する科学といわれる認知科学を指向した社会心理学を確立する 道が開けた。
その後、いままで企図しながらも実現が頓挫していた臨床心理学の分野でも、久保をむかえることができ、専攻設立以来の願いを果たすことができた。さらに学 問的研究の古い者は定年を迎えて漸次さり、社会心理学専攻は、新進の若い教員が入れ替わり、今日、ますます時代にマッチするどころか、先どりする学問とし て、急激な発展をしつつあり、大学のコンピュータ教育でもわが国をリードする立場につきつつある。

Ⅳ 図書館学専攻

1 学部創設前史

昭和34(1959)年、社会学部が創設されるに当たり、応用社会学科に広報学専攻コース、社会福祉学専攻コースとともに、図書館学専攻コースが設置され た。東洋大学ではすでに昭和25年4月に和田吉人教授を中心として図書館学講座が発足し、学生を対象とした正規の科目として授業が行われていた。講習では なかったが、現職の図書館員のために聴講生を募集していた。講師として加藤宗厚先生ほか3名の方々が来校されていた。当時の学生の受講生は2百人ぐらい、 聴講生は数名程度であった。
昭和27(1952)年3月に聴講生を対象とした公開講座を開講し、学生は正規の課程を受講することになった。この公開講座は特別な時間割編成として夜間 に開講された。開講科目は司書講習の科目と単位数は含んでいたが、講習の規定とは別に自由に編成されていた。昭和27年3月に開講科目が司書講習の担当科 目として認定された。昭和34(1959)年、社会学部が創設されるに当たり、応用社会学科に広報学専攻コース、社会福祉学専攻コースとともに、図書館学 専攻コースが設置された。東洋大学ではすでに昭和25年4月に和田吉人教授を中心として図書館学講座が発足し、学生を対象とした正規の科目として授業が行 われていた。講習ではなかったが、現職の図書館員のために聴講生を募集していた。講師として加藤宗厚先生ほか3名の方々が来校されていた。当時の学生の受 講生は2百人ぐらい、聴講生は数名程度であった。
昭和27(1952)年3月に聴講生を対象とした公開講座を開講し、学生は正規の課程を受講することになった。この公開講座は特別な時間割編成として夜間 に開講された。開講科目は司書講習の科目と単位数は含んでいたが、講習の規定とは別に自由に編成されていた。昭和27年3月に開講科目が司書講習の担当科 目として認定された。
昭和27年12月に、司書補講習の委嘱申請を行い、28年1月から講習が開始された。また、昭和31年2月、司書講習の委嘱願を文部大臣に提出し、翌月、委託を受けた。
昭和27年12月に、司書補講習の委嘱申請を行い、28年1月から講習が開始された。また、昭和31年2月、司書講習の委嘱願を文部大臣に提出し、翌月、委託を受けた。

2 学部創設期

昭和34年4月に発足した社会学部は、社会学科と応用社会学科の2学科の構成となり、応用社会学科は、社会福祉学・広報学・図書館学の三講座で構成され た。図書館学講座が含まれた根拠として、「たまたま本学では昭和26年頃から図書館司書の短期養成講座を開いて好評を受け、受講者は年々増加の一途をた どっていた。そこで図書館学は、マス・メディアの有効利用を研究する学問であるという考え方もあり、むしろ図書館学科を新設の社会学部の中に入れてはどう かということになった」と、『東洋大学8十年史』に述べられている。前史でも触れたように、東洋大学では、図書館学教育の下地があり、社会からも高い評価 を受けていたことが、学部発足に当たって、将来は一学科とする前提のもとに図書館学専攻コースが応用社会学科のなかに設置されたものである。とくに他大学 に多く見られるように文学部や教育学部ではなく、社会学部に設けられた理由(根拠)は、当時、応用社会学科の構想を推進された方々、特に、現和田名誉教授 の「図書館も一つの社会的な運動であると理解し、図書館学の基礎は社会学でなければならない」との認識に基づいていた。
次に、学部発足時のカリキュラム検討会では、「第一に、応用社会学科の内容は情報の科学と行動の科学の両方面から理解できる。広報学と図書館学は情報の科 学に依拠しているし、社会福祉学は行動の科学によっている。ここでの情報科学とは、インフォメーション・サイエンスではなくて、コミュニケーション理論で ある」と語られている。

3 カリキュラムの変遷と教育活動

昭和34年度のカリキュラムは、つぎのとおりであった。

共通必修科目(24単位)  ( )のなかの漢数字は単位数

  • 社会学概論 (4) 2年次
  • 応用社会学概論 (4) 2年次
  • 社会調査及び実習 (4) 3年次
  • 社会心理学 (4) 3年次
  • 広報学 (4) 4年次
  • 卒業論文 (4) 4年次

選択必修科目(28単位)
応用社会学科の選択必修科目は、A社会福祉学を主として履修する者、B広報学を主として履修する者、C図書館学を主として履修する者、として、それぞれ科目が指定されていた。図書館学の科目は次のとおりであった。

  • 社会福祉学概論(4)2年次
  • 図書館学(4)2年次
  • 図書館学演習Ⅰ(2)3年次
  • 図書館学演習Ⅱ(2)4年次
  • 図書館学特講Ⅰ(4)3年次
  • 図書館学特講Ⅱ(4)4年次
  • 図書館学特講Ⅲ(4)4年次
  • 図書館学特講Ⅳ(4)4年次

昭和三5年度のカリキュラムには、共通必修科目に新たに「社会調査」4単位3年次配当が追加された。
昭和三6年度のカリキュラムは、共通必修科目から「卒業論文 4単位」が削除された。また、「図書館学」が「図書館学概論」と名称を変え、「図書館学演習Ⅰ~Ⅴ」がいずれも三~4年次の履修科目に改められた。
昭和37年度から、「応用社会学科図書館学専攻コース」となり、これまでのような主として履修する専門科目の形が専攻所属学生の必修科目に改められている。

第一部応用社会学科図書館学専攻コース
共通必修科目(一6単位)

  • 社会学概論(4) 2年次
  • 社会調査(4)2年次
  • 社会調査及び実習(4)3年次
  • 社会心理学(4)2年次

選択必修科目(三2単位)

  • 図書館学概論(4)2年次
  • 図書館学演習Ⅰ(2)三/4年次
  • 図書館学演習Ⅱ(2)3年次
  • 図書館学特講Ⅰ(4)3年次
  • 図書館学特講Ⅱ(4)3年次
  • 図書館学特講Ⅲ(4)三/4年次
  • 図書館学特講Ⅵ(4)三/4年次
  • 図書館学特講Ⅴ(4)三/4年次
  • 図書館学特講Ⅳ(4)4年次

昭和38年度は、専攻必修科目が三6単位となり、新たに「図書館学特講Ⅶ」 4単位(三/4年次)が加えられたが、この年度に限られている。
昭和三9年度の専門必修科目は38単位となり、次の科目構成となった。そして、この年度のカリキュラムが、以後の改正が行われるまでの原型となった。

  • 図書館学概論(4)2年次
  • 図書館学演習Ⅰ(2)1年次
  • 図書館学演習Ⅱ(2)2年次
  • 図書館学演習Ⅲ(2)3年次
  • 図書館学演習Ⅳ(2)3年次
  • 図書館学演習Ⅴ(2)2年次
  • 図書館学特講Ⅰ(2)三/4年次
  • 図書館学特講Ⅱ(4)3年次
  • 図書館学特講Ⅲ(4)3年次
  • 図書館学特講Ⅳ(4)三/4年次
  • 図書館学特講Ⅴ(4)三/4年次
  • 図書館学実習Ⅰ(2)4年次
  • 図書館学実習Ⅱ(2)4年次

昭和41年度の科目名とその内容および担当者は次のとおりであった。

  • 図書館学概論(4)武田虎之助教授
  • 図書館学演習Ⅰ(2)基礎ゼミ鈴木賢祐教授
  • 図書館学演習Ⅱ(2)原書講読鈴木賢祐教授
  • 図書館学演習Ⅲ(2)分類法鈴木賢祐教授
  • 図書館学演習Ⅳ(2)目録法鈴木賢祐教授
  • 図書館学演習Ⅴ(2)図書館奉仕和田吉人教授
  • 図書館学特講Ⅰ(4)図書館制度論和田吉人教授
  • 図書館学特講Ⅱ(4)図書館管理法和田吉人教授
  • 図書館学特講Ⅲ(4)図書及び図書館史武田虎之助教授
  • 図書館学特講Ⅳ(4)資料組織論武田虎之助教授
  • 図書館学特講Ⅴ(4)参考資料解説和田吉人教授
  • 図書館学実習Ⅰ(2)分類・目録法実習武田虎之助教授
  • 図書館学実習Ⅱ(2)資料調査法実習和田吉人教授

48年度から「ドキュメンテーション」が新設され、村尾成充講師が担当した。
昭和49年度からは、学生の増加もあって、演習・実習科目にコース増が行われ、また「文献解題」が新設され、岡田教授が担当した。
カリキュラムの改正に向けて
図書館学専攻の専門科目について、次のような改正が行われてきた。
(1) 学年配当の変更
「実習ⅠおよびⅡ」の4年次での履修が困難な状況から、これを3年次に、関連する 「演習ⅢおよびⅣ」 「特講Ⅲ」を2年次に移した。またゼミに当たる「演習Ⅱ」を2年次から3年次に移して上級学年における指導が行えるように配慮した。
(2)本格的な改正に向けての準備
高度情報化時代の到来等、社会的な状況の変化に対応するため、情報学関連科目の増を中心とするカリキュラムの本格的な手直しを図る必要に迫られている状況 から、昭和57年頃から検討を開始し、他学科・専攻に先駆けて具体案の作成に取り組み、とりあえず専攻の専門科目の範囲内で変更が可能な改正を昭和61年 度から実施した。この改正は、数年後に予定された社会学部全体のカリキュラム改正に連動するものとなった。
(3) 新カリキュラムの構成 社会学部の全面的なカリキュラム改正に伴う図書館学専攻の専門科目構成の骨子は次のとおりである。 

  • (1)一・三・4年次に「演習」を置き、各4コースとして、専任教員がそれぞれ担当する形をとり、演習科目を充実する。
  • (2)「概論」 「演習」 「実習」 および 「特講」 の科目名を「図書館学……」から「情報図書館学……」に変更する。講義科目は内容がわかる科目名とする。
  • (3)「演習」および「実習」科目のコース数を整理することによって、新しい講義科目を設けて、専門選択科目を魅力的な紅のにする。特に、情報学関連 科目を重点的に整備する。また、「情報図書館学特講」 を2科目設けて、数年ごとに内容と担当者が変る科目とし、変化を持たせる。

4 人事(専任教員・兼任講師)

(1) 専任教員
発足時から昭和61年度までの専任教員の氏名および在職期間は次のとおりである。

  • (氏名)(在職期間)
  • 和田吉人教授 昭和30年~61年
  • 鈴木賢祐教授 昭和34年~42年1月
  • 武田虎之助教授 昭和37年~43年
  • 青野伊豫児教授 昭和42年~50年
  • 天野敬太郎教授 昭和42年~47年
  • 岡田温教授 昭和44年~48年
  • 井出翁教授 昭和49年~平成3年
  • 石井敦教授  昭和50年~現職
  • 岩淵泰郎教授 昭和55年~現職
  • 常盤繁教授 昭和61年~現職

(2) 兼任講師・非常勤講師
昭和62年度までの非常勤講師の氏名および在任期間は次のとおりである。

  • (氏名)(在任期間)(担当科目)
  • 武田虎之助 昭和4三~44年 概論・特講Ⅰ
  • 丸山昭2郎 昭和46~51年 演習Ⅳ
  • 宮坂 逸郎 昭和46・48年 図書館学Ⅲ
  • 長澤 雅男 昭和47~48年 特講Ⅴ
  • 石山 洋昭和47~50年 図書館学Ⅱ・Ⅳ
  • 山崎 武雄 昭和47~52年 演習Ⅲ
  • 石黒 宗吉 昭和47~51年 特講Ⅱ
  • 村尾 成允 昭和48~54年 ドキュメンテーション
  • 森 清昭和48~55年 演習Ⅲ
  • 岡田 温昭和49~51年 概論・特講Ⅲ・文献解題
  • 多田 2郎 昭和50~56年 実習Ⅱ
  • 青野伊豫児 昭和50~56年 演習Ⅴ・特講Ⅳ
  • 井上 哲也 昭和5一~62年 演習Ⅳ
  • 丸山 泰通 昭和53~56年 演習Ⅲ
  • 上河辺定利 昭和52~56年 演習Ⅳ
  • 大野沢禄郎 昭和52年 実習Ⅰ
  • 牛島 悦子 昭和52~56年 実習Ⅱ・ドキュメンテーション
  • 岩淵 泰郎 昭和53年 実習Ⅰ
  • 宮内美智子 昭和54~60年 演習Ⅲ・実習Ⅰ
  • 常盤 繁昭和57~60年 特講Ⅳ  
  • 菅原 勲昭和57~61年 演習Ⅴ
  • 谷 昌博昭和56~59年 ドキュメンテーション
  • 石川 徹也 昭和60~62年 ドキュメンテーション・情報管理
  • 鮎沢 修昭和60~62年 演習Ⅲ
  • 黒澤 正彦 昭和61~63年 実習Ⅱ・ドキュメンテーション
  • 小川 徹昭和61~62年 文献解題・特講Ⅳ
  • 藤田 節子 昭和61年度ドキュメンテーション
  • 平井 理昭和58~62年 図書館学Ⅵ

5 研究活動、学会、研究会

教員の研究活動は、それぞれの研究領域で活発に行われてきたが、昭和62年に「白山情報図書館学会」が発足し、毎年秋に研究大会を開催するほか、年に一回 の「学会誌」を発行している。会員は卒業生を主体として約100名である。また、年に数回、研究例会を開催している。また、教員の専門分野をテーマとした 研究グループがあり、卒業生を中心にして活発な研究活動を行っている。日本図書館学会の研究大会が東洋大学を会場としてこれまでに2回開催された。

6 学生活動、就職・卒業後の進路

(1) 「図書館学専攻生の会」
図書館学専攻では、学生自治会とは別に「専攻生の会」がつくられた。研究活動のための団体というよりは、専攻生の親睦を図ることが主な目的であったが、ゼ ミが1年次と2年次にしかなく、上級学年では専攻生として連絡が取りにくいこともあって、横と縦の結びつきの場として役立って来た。しかし、将来は、白山 図書館学会として、卒業生を中心とする図書館学研究を目的とする学会へ発展することを目指していた。「白山情報図書館学会」の発足によって発展的に解散し た。また、この会では4年に一回、現役学生と卒業生を網羅した名簿を作成してきたが、この名簿は現在は、「図書館学専攻同窓会」によって引き継がれ、編集 発行されている。
(2) 「図書館学研究会」
大学公認のサークルとして、「図書館学研究会」 が結成され、学生による活発な研究活動が行われている。現在の研究会がスタートしたのは、石井敦教授が着任した昭和50年4月以後である。この研究会はそ れ以前にも存在していたが、石井教授の指導によって実質的な活動を開始したものである。顧問は石井教授が担当して現在に至っている。
(3) 「図書館学専攻同窓会」
卒業生相互の親睦を図り、卒業生と現役学生との結びつきを実現するため、昭和59年に「東洋大学図書館学専攻同窓会」が結成され、会長に第一期卒業生の早 川義章氏が選出された。和田吉人教授が名誉会長に就任した。同窓会は、4年ごとに名簿を刊行するほか、4年次の学生の参考となるように、先輩として経験に 基づくアドバイスも行っている。また、「同窓会名簿」と「会報」は、学生には無料で配付される。 (4) 就職・卒業後の進路
学生が大学を卒業して社会人となることは、人生における大きな転換点である。学生自身はもとより、父兄にとっても大きな関心事であろう。図書館学専攻の学 生は、平均して60名前後で推移しているが、その全てが図書館への就職を希望するわけではない。これまでのところ平均してその三分の一の学生が図書館への 就職を目指し、他の三分の一がコンピュータ関連企業に、そして残りの学生が企業や一般公務員の事務職、教員等を目標としている。専攻が図書館学であるとこ ろから、図書館に何名就職できたか、に図書館界や他大学が注目し、その結果が教育や学生に対する評価の目安にされるところがある。このため、大学教育は、 就職を念頭に置く必要はないとしながらも一層の努力が求められる。年度によって違いはあるが、前述のとおり、毎年、30%~40%の学生が図書館への就職 を希望し、おおむねその目標が実現していることと卒業生が図書館界においても活躍し、よい評価を得ていることは、現役の学生にとっての自信につながってい る。
昭和三5年度第一回の卒業以降、図書館学専攻の卒業生数は、約1500名である。

7 現状と課題

昭和62年以後、学部のカリキュラム改正が行われ、授業科目もその内容とともに一新された。図書館学専攻では、特に情報学関係の科目を増やし、概論、演 習、実習等の科目名を「情報図書館学概論」のように改めたほか、科目およびコースを整理して3年次のほかに4年次にもゼミ(演習)科目をおいて、4名の専 任教員が一コースをそれぞれ担当する等の改善を図っている。内容の充実とともに受験生の志望者も増えている。
今後の課題としては、学部創設時の目標であった学科への昇格問題がある。社会福祉学科が実現した現在、応用社会学科の発展に向けて積極的に取り組まなければならない。