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第5章 社会学部(1 第1部社会学科)

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1 第1部社会学科

1 社会学部社会学科―前史文学部社会学科の時代―

東洋大学は、昭和21(1946)年4月に、旧制文学部、「哲学」「宗教」「文学」「史学」に、新たに「社会学科」を加えて、5学科制として発足している。戦前には社会学科はなく、戦後に初めて社会学科が成立したのである。しかし、戦前には、大正10(1921)年、文化学科と社会事業学科が専門学校令のもとに成立しているが、この文化学科には、社会学関係およびマスコミ関係の科目が設置されていた。戦後の文学部「社会学科」および、後の「応用社会学科マスコミ学専攻」の前身は、この文化学科にその源流があるといってよい。また、同時に設置された社会事業学科は、後の「応用社会学科社会福祉学専攻」の前身といえよう。
 さて、社会学科は、昭和24(1949)年の新制大学成立までは、戦前から関係が深かった、東京大学文学部社会学科専任教員――林恵海、福武直、日高6郎や、東京都民生局に在職していた磯村英一などの兼任教授によって授業が行われていた。昭和24年3月第1回生13人が卒業する。そして、新制大学移行にともなって、制度上専任教員が必要となり、林恵海東大教授の勧めにより、米林富男が主任教授に就任し、米林教授により新学科の教員スタッフが集められ、社会学科の教育体制が整備されたのである。教員構成において理論社会学分野の目玉になったのがフランス社会学の巨星、田辺寿利であった。かれを中心に、人類学、民族社会学分野――馬淵東一、呉主恵、心理学――望月衛、社会病理学――那須宗一、倫理学――斎藤知正などの専任教員が学科を構成した他、磯村英一、福武直等々、多くの兼任教員が出講していた。
 昭和26(1951)年には、東洋大学社会学研究所も開設され、初代所長に田辺寿利が就任している。
 ついで、昭和27年には、文学部第2部社会学科および、大学院社会学研究科修士課程、昭和29年には博士課程も設置され、この時期に新制度による社会学科関係の教育体制が完成している。 この後、昭和28年には、田辺寿利は東北大学へ、馬淵東一は都立大学へ、那須宗一が中央大学へ転出し、田辺の後を戸田貞三が、那須の後に杉政孝が専任教員として就任している。田辺は、その後金沢大学を経て、昭和34年の社会学部創設にともなって東洋大学に戻っている。

2 社会学部創設と社会学科

昭和33(1958)年9月、東洋大学社会学部増設認可申請書が提出され、翌年1月20日付で認可となった。
 設置申請書には、「すなわち社会学科においては、理論社会学、社会誌学、民族社会学等の理論を教授するとともに、特に社会誌学においては社会調査の技術を、また、民族社会学においては移民の問題を学習せしめ、社会調査技術員、海外移住指導者の養成を計りたい……」とうたわれている(東洋大学社会学部増設認可申請書 昭和33年9月30日)。このように社会調査技術員と海外移住指導者養成が東洋大学社会学教育の出発であった。
設置申請書にみられる開講科目および、科目担当者は以下のとおりである。

  • 社会学史:教授 田辺 寿利
  • 社会心理学:*講師 波多野完治
  • 民族社会学:教授 呉 主恵
  • 社会学特講:講師 藤木三千人
  • 社会学概論:教授 鈴木栄太郎
  • 宗教学概論:*講師 小口 偉一
  • 社会学特講:教授 増谷達之輔
  • 社会学特講:教授 横江 勝美
  • 社会調査:*講師 福武 直
  • 社会政策:*教授 磯村 英一
  • 社会学演習:*講師 菊池あや子
  • 社会思想史:助教授 福鎌 忠恕
  • 社会調査実習:*講師 安田 三郎
  • 民族学:*講師 関 敬吾
  • 宗教民族学・調査実習:助教授 高木 宏夫
  • 社会心理学:講師 望月 衛
  • 社会学史:講師 山下袈裟男
  • 社会学特講:*講師 秋元 律郎
  • 文化人類学:講師 高橋 統一

*印は、非常勤講師・教授

このようにして、東洋大学社会学部の設置準備態勢が整い、第1期の学生募集の「入試要項」ができあがった。「時代の要求に応ずる社会学部設置の準備態勢は整った」という標題で、「本学の建学の精神は、東洋古来の学術文化の本旨を究明し、その真髄を昂揚するとともに、広く欧米諸国の学問思想を摂取融合して、普遍的にして、しかも民族の個性豊かな新しい文化を創造しようとするところにある。……」として、文学部社会学科に加えて、応用社会学科を新設し、社会学部を創設して、新しい概念であった社会技師(social engineer)の養成を目指したのである(社会学部創設時の「社会学部入試要項」)。
 このように、社会学科と応用社会学科は表裏一体の関係にあった。この考え方は以下の米林の言葉に端的に表われている。
 昭和34年、関西学院と神戸女学院の2大学を会場にして開かれた日本社会学会第32回の2日目「社会学の応用」を課題としてシンポジウムが開かれた。米林富男も報告者の一人であった。彼は、「現代の人々は現代の課題解決の上で、いかに社会学に対して大きな期待を寄せているか、そしてまた現代の社会学者はこうした生活に密着した学問に、社会学を改造することに、いかに熱意をもっているかが痛切に感じられる。……」と述べているが、この視点が社会学科と応用社会学科から成り立つ社会学部の教育理念の基盤をつくっている。社会学部増設認可申請書「目的及び使命」にみられる社会技師ソーシャル・エンジニアの養成を計らんとする思想は、応用的な実学指向の社会学観から生まれた(「社会学の応用」米林富男 雑誌『同行』昭和34年12月号、45~47。また、米林富男は「応用社会学の各分科組織に関する草案」という手書きの草稿を遺している。理論社会学を中軸とする社会学科に、前身の社会事業学科と文化学科の伝統をふまえて、あらゆる実践的学科課程の設立を意図している(応用社会学の各分科組織に関する草案 手書き原稿)。
 米林の学部創設の構想は、大学法人側との緊密な連携によるものであった。
 社会学部創設を法人側から推進したのは、第22代学長大嶋豊である(東洋大学学長に就任した大嶋豊 昭和33年10月24日 毎日新聞朝刊)。日産コンツェルンの総帥であった鮎川義介に、東洋大学総長就任を懇請し、日立製作所の倉田主税の協力を得て、東洋大学の産学協同(Industrial Associate Plan or Industria Liason Program)を押し進めた。この産学協同の発想をアメリカから導入したのは米林である。東洋大学工学部の設立もこの考えから生まれている。米林は、東洋大学を、日本のマサチューセッツ工科大学にすることを夢見ていたといわれている(米林喜男証言)。
 学内にテレビ局を開局し、学内放送を始める他、ラジオ、テレビを使っての通信教育、マスコミの人材養成など、テレビのもつ教育効果や機能にいち早く注目したのも米林の発想によるものであった。しかし、学部創設前夜の東洋大学の経営は危機的であり、教職員給与の遅配・欠配が続いていた。当時、米林富男を知る人の一人は、「先生の先見性は衆目の認めるところであったが、惜しむらくは、当時の東洋大学には、資金がなかった……」と述懐している(シンポジウム「21世紀の社会と大学教育」1989年12月2日東洋大学白山校舎 北田耕也)。
 この他、大学テレビ放送と証券テレビ放送の協同も構想されていた(「大学テレビ放送と証券テレビ放送」米林富男草稿手書き)。
 また、教育機会の拡大の目的から、学部設置により、社会学科関係が通信教育の重要な一環として加わる予定であり、専用の教科書が社会学研究室で編集された(教科書執筆のお願い状 田辺寿利先生 御机下 昭和33年9月10日)

3 社会学科3専攻コースの機能

社会学科が創設されて5年目、すなわち第1回の卒業生を送りだした段階での学生の評価はどんなものであったのか。当時の学生発行のミニ・コミから探ってみよう。「社会学コース、社会誌学コース、民族社会学コースと3つのコースがあるが、これを認識している学生はあまりいない。一体社会学科の中で何を専攻しているのか知らない学生がほとんどである。社会学科では何を勉強するのか。そうした専攻の講義はそろっているのだろうか。こうした専攻問題について社会学科主任教授の米林先生に尋ねてみた」(有名無実の専攻コース 米林主任教授にきく 昭和39年10月14日 社会学部会報第26号)

[社会学科教育方針]

「教育方針は、創設以来変わりません。つまり、現代社会学の理論と、現代の日本の社会生活の実状を探るという点にあるんです。この方針を生かすために、現在講座制というシステムをとっている。講座制というのは、講義・実験・臨床の三講座からなる研究システムのことです。しかし、大学当局の予算編成がずさんで、毎年予算不足といった状態で充分な研究体制がとれず、講座制が徹底していない。これが、非常に残念です」と米林は学生に語っている(同上)。
 高い理想を掲げて発足した社会学部であったが、設置理念を支える予算や研究組織の体制が不十分であったことが認められる。

[専攻コースについて]

「現在社会学科には、社会学理論、社会誌学、民族社会学の3専攻コースがあります。3、4年の専門の時に、自分の学びたいと思うコースに添ってゼミナールを選ぶようにして欲しい。このコースは2 2年の時に持った問題意識によって決められるものです。これを自分はやるのだ、という気持ちがなければダメです。……」と米林は、学生へはっきりした問題意識形成を促している (同上)。
3コースのうち、どれを選んでいるかについて、簡単なアンケート結果が残っている (同上)。

3コースの存在を知っているか? N=45

  • (1)知っている 62%
  • (2)知らない 38%

SQ・知っているものだけ回答

  • (1)社会学理論コース 39%
  • (2)社会誌学コース 43%
  • (3)民族社会学コース 18%

何を専攻するのか、高学年で決まっていないのは、明らかに不勉強で、問題意識欠如は免れない。しかし、教育課程で体系づけもせずコースを決めよ、選べ……は無茶だというのが、学生の強い声である(同上)。

[添付資料]

 社会学部創設に先立ち、東洋大学は、教育用FM放送の実用局設置申請を関東電波管理局に提出した。こうした産学協同の理念に基づく、学内テレビ局開局に関する資料一覧を添付する。

  • 資料1 「講座放送を目ざす」東洋大など開局を申請 昭和33年7月3日 朝日新聞 朝刊 東洋大学はテレビによる一般講義を計画した。 資料2 「テレビで一般講義」東洋大学が計画、学内に小型スタジオすし詰め講座の解消に 昭和33年11月10日
    東京新聞 朝刊 東洋大学は、昭和33年12月20日、テレビを使った講義を始めた。
  • 資料3 「テレビ使って講義」東洋大学きょう開局式 昭和33年12月20日 日本経済新聞 朝刊
  • 資料4 「新時代!テレビ講義」東洋大学のスタジオ完成 昭和33年12月20日毎日新聞 朝刊 東洋大学「テレビ研究生」という名目でテレビタレントの養成を始める。
  • 資料5 「東洋大にも養成所」タレント不足見越し昭和34年1月4日 朝日新聞 夕刊
  • 資料6 「東海大、東洋大で試験放送」来るか大学の放送ブーム 昭和34年1月26日 教育学術新聞
  • 資料7 TVで学内放送 東洋大の例 優れたメディアの教育テレビ 昭和34年12月16日 電子文化新聞(上記の資料は、米林家から発見され、いずれも東洋大学百年史編纂室に所蔵されている)

4 社会学専攻コースの変遷

前史時代 三講座時代(社会学部社会学科設置申請の骨格)

  1.  社会学理論研究 担当 田辺寿利
  2.  社会誌学研究 担当 鈴木栄太郎
  3.  民族社会学研究 担当 呉 主恵

(1) 昭和41~44年

  1. 社会学コース 社会学の基礎理論を学ぶ。
  2. 社会誌学コース 都市や村落のような地域社会や色々な企業体のような機能集団を実証的に研究する。
  3. 民族社会学コース アジアの諸民族ならびにその文化変容を探求する.。

以上の3コースのうちいずれかのコースを選んで所定の単位を取得しなければならない。いずれのコースも相互に密接な関連をもっている。
一般教育の人文科学系では、哲学、心理学、歴史学を、社会科学系では、経済学、社会学、政治学を、自然科学系では、統計学、生物学、地理学などを履修することが期待されている。社会学の基礎知識として社会学概論、社会学史、文化人類学、社会心理学、このほかに、社会調査の方法に関する一般的な知識を学ぶ必要があるとされている。

(2) 昭和45~46年

 前掲(1)の社会学コースが、社会学理論コースと改められる。中身も、社会学の諸学説やその基礎理論を学ぶとされた。

(3) 昭和47~50年

 (1)~(3)の専攻分野は、はっきり分かれてしまったのではなく、いずれも現代社会の実証的な究明をその目標におき、相互に密接な関連をもちながら学ぶことを求めている。
 一般教育の社会学では、社会学部指定の総合講義(黒川純一教授代表)の履修を求めている。社会学概論、社会学史、社会調査、社会心理学概論、文化人類学、社会病理学、統計調査法のうち、2科目の履修を義務づけている。

(4) 昭和51~52年

 (2)の社会誌学は、社会調査によって、各種機能集団を実証的に研究するに改められている。社会調査重視がはっきりうたわれた。一般教育の社会学は、社会学部指定の総合講義(藤木三千人教授代表)に改められている。社会学基礎演習が必修科目として一年次から開講されることになる。社会学的思考の基礎となる知識や考え方を学ぶことに目的がおかれた。

(5) 昭和53~54年

 基礎教育科目として、社会統計学、社会病理学、文化人類学、社会心理学を設け、4科目のうち、3科目選択とした。12単位の語学の他に、社会学部の卒業単位として、4単位の語学を設けた。この年度から、社会学基礎演習は、朝霞校舎で開講されるようになった。また、内外の講師を招待しての、社会学特別演習(選択)も構想された。

(6) 昭和55年

 (2)社会誌学コースを地域社会学コースと改称した。社会学特講を設け、重要と思われる問題領域やトピックスを中心に組まれた。特定枠に拘束されず、社会の複雑かつ動的な側面を照らし出している。12単位の語学の他に、社会学部の卒業単位として、2単位の語学を設けた。

(7) 昭和56~57年

 (3)民族社会学コースを文化人類学コースと改称し、世界の諸民族の生活様式を比較して、人類文化の法則性を探求することとした。

(8) 昭和58~平成元年

 (2)地域社会学コースは、主として家族、村落、都市などの基礎社会や種々の機能集団を、および、教育、政治、経済、法、宗教など社会の下位システムを実証的に研究するとした。

(9) 平成2年~

 (1)の社会学理論分野に加えて、(2)家族、村落、都市などの基礎社会と、そこにおける種々の機能集団を研究する地域社会学分野、(3)教育、政治、経済、集団、宗教、産業、労働などの社会の下位システムを実証的に研究する分野、 (4)世界の諸民族の生活様式を比較して、自らの文化を探求する文化人類学の4つの分野を設定した。
 「社会調査および実習」を、問題意識の明確化、分析枠組みの構築、仮設設定、調査票の作成、現地調査、収集資料の分析、報告書の作成を通して、実証的な研究をするとし、社会調査重視の傾向が一層進んだ。  

 

5 「社会調査および実習」 の変遷

 「社会調査および実習」の前史時代にふれながら、記録の残っている、昭和46年以降の社会学部開講の「社会調査および実習」の担当者、調査主題等をまとめてみよう(3年おきに担当者、調査主題を列挙)。

 前史時代

 昭和27(1952)年の文学部社会学科時代の開講科目に社会調査実習が2コース。社会調査が1コース登場する。これが、「社会調査および実習」のスタートである。
 磯村英一教授 都市社会調査実習(大学院)、演習
 福武 直講師 農村社会調査実習(大学院)
 森本照夫講師 社会調査、経済調査
 このように当時の社会調査実習は、大学院と共同で行われ、併せて、演習とも連携していたことが特徴である。昭和27年度の提出卒業論文をみると、42件中、調査に基づく、実証的な研究が、90%以上を占めていることが判明する。こうした実証的な教育の場が、社会調査実習であった。
 社会学部創設者である米林富男は、以下のように、社会学科や社会学部の基本理念を叙述している。「東洋大学の社会学科では、日本や東洋の家族、村落、都市、民族といった諸問題の実証的研究を進めるために、理論社会学の講座とともに、社会の実態調査を主とした社会誌学、民族社会学などの講座が設けられており、それぞれ最高の専門研究者を教授に迎えることに成功したのである。……右のように、大学の社会学教育が社会技師(social engineer)の養成を目的とするなら自然科学部門における工学部や医学部と同様に、技術実習の場をもたなければならない。われわれは、それぞれの専門に応じて、こうした技術実習場を新設し、これを総合的に運営するために、社会学部附属の社会学研究所を設置した。……」(雑誌『同行』昭和34年12月号より)。
 東洋大学社会学科に社会調査実習が設けられたのは、こうした米林構想に基づいていたのである。社会調査室が白山に設けられ、戸田貞3、磯村英一、福武直などによって実証主義的な社会学が講じられていたのである。
 社会学部設置申請書によると、社会学部設置委員のなかで、社会調査実習担当者として申請されている教員は、以下である。このスタッフが文部省の資格審査を受けて、社会学部社会学科で初めて「社会調査および実習」を担当した。なお、「社会調査」と「調査実習」は、連動しており、「社会調査」の単位取得者のみが、「調査実習」を履修できた。現在、「社会調査および調査実習」と科目名を表わすのは、「調査実習」のみでは、2単位にしかならないため、講義科目の「社会調査」を連結させて、4単位とする工夫が、後々なされたものである。

 [専任教員]

 助教授 高木宏夫(宗教民族学、社会調査実習)

 [非常勤講師]

 福武直(社会調査)
 安田三郎(社会調査実習)
 上記のメンバーで出発した後、鈴木栄太郎、小山隆なども調査実習担当者に加わり、当時の日本を代表する実証主義的な社会学のメソッドを教育したのである。小山隆の口癖は、「現代の社会現象を、実証主義的に研究しなさい……」であった。また、「京大の思弁的な社会学に対して、東大の研究室は、戸田が導入したアメリカ社会学の方法論に基づいて、実証的なメソッドを追究してきた。……」ともよく話されていた。
 周知のように、鈴木栄太郎、小山隆などは、戦後いち早く、CIE(GHQ教育局)の要請で、米軍の専用ジープに乗り、日本各地の社会調査を開始したが、この機会に、ハーバート・パッシンなどを通じて、アメリカの最新の調査手法が、日本にもたらされ、この成果も、東洋大学の社会調査実習教育に反映されたのである。 このように、社会調査技術者養成を大きな教育目標に掲げて、昭和34年に、社会学部が創設されたが、初代の社会学部長の千葉雄次郎は、「社会学部出身者は、皆、当時大流行の調査の理論を学び、調査技術を身につけているので、各方面で大いに重宝がられている実状である」と回想している。
 学部創設時の「入試要項」には、社会学科は、「社会調査技術者、海外移住指導者を養成する」とうたわれているのは前述のとおりであるが、学部創設当時の日本からは、毎年1万人もの人々が海外に移民していたことを特筆したい。現在日本に戻っている日系人たちは、かれらの2、3世なのである。
 「社会調査および実習」は、スタート時から、学科、専攻の壁を超えた、学部の共通開講科目であった。社会学科、マスコミ学、社会福祉学、社会心理学、図書館学の各専攻生から構成され、共通調査課題についてそれぞれの専門的な立場からフィールドワークを積み重ね、あわせて、学科専攻を超えて、相互に交流を深めることから、「社会調査および実習」のコースは次第に増加していった。以下、記録の残っている、昭和41(1966)年以降の「社会調査おび実習」担当者と調査主題を3年おきにおってみよう。調査主題に、それぞれの時代性が反映されている。これは、とりもなおさず、その時代の社会学演習の課題でもあった。

昭和41年

 (1)村田宏雄、(2)藤木三千人、(3)奥田道大、(4)太田英昭、(5)飽戸弘、(6)石川晃弘
 社会調査の基本技術および統計調査に関する基礎知識を演習、実査、集計、分析等の諸作業を通じて具体的な指導を
 する。ただし、この科目の受講者は、「社会調査」の単位合格者に限る。

昭和44年

 (1)佐藤慶幸、(2)奥田道大、(3)石川晃弘
 調査の立案から仮説構成、調査票作成、現地調査の実施、集計および資料整理、分析、報告書作成までを指導する。

昭和47年

 (1)藤木三千人 村落のモノグラフ調査、過疎問題を内包する典型地域調査。(2)小松洋一 農村社会の構造と農民意識調
 査。(3)駒井洋 国際社会の中の日本人のイメージ調査、日本人の外国人に対する意識調査。(4)石川晃弘 大都市の社会
 構造と中小企業調査。(5)佐藤慶幸 調査グループ・テーマ別調査。(6)加藤譲治 日本人の労働、余暇観調査。(7)村田宏
 雄 (8)太田英昭 (9)広瀬英彦 (10)竹中和郎 韓国調査(駒井)が最初の海外社会調査実習であった。

昭和50年

 (1)藤木三千人 新入生の入学動機調査、農村社会調査の複合テーマ。(2)小松洋一 農村調査。(3)奥田和彦 消費行動、
 購買行動、使用言語、貯蓄行動など経済行動の社会調査。(4)村田宏雄 (5)太田英昭 (6)竹中和郎 (7)西尾一雄 (8)村井
 隆重 各自テーマ自由選択。(9)加藤譲治 逸脱、逃避行動、集団指向性、アイデンティテーに関する社会調査。
 社会学科履修3コースの中の、(2)社会誌学は、「社会調査によって、各種機能集団を実証的に研究する」に改められて
 いる。社会調査重視がはっきりうたわれた。

昭和53年

 (1)藤木三千人 地域構造と住民の社会意識調査。(2)池田正敏 新潟県弥彦村調査。(3)奥田和彦 消費行動、購買行動、
 使用言語、贈答行動、廃棄行動など、日常生活での経済行動の社会調査。(4)村田宏雄 自由テーマ調査。(5)大川信明 「農
 民の社会構造と社会意識」調査。(6)磯部成志 マスメディアに関する各種調査。(7)西尾一雄 自由テーマ、グループ別
 調査。(8)近藤礼一 消費行動分析調査。(9)村井隆重 祖親性に関する老人問題調査。(10)加藤譲治 余暇に関する調査。
 (11)西山茂 新潟県弥彦村の家族、宗教調査。

昭和56年

 (1)藤木三千人 知多半島篠島の住民意識調査。(2)池田正敏 長崎県諌早市調査研究。(3)西山茂 ボランティア奉仕活動
 グループ調査。(4)丹野朝栄 栃木県茂木町調査。(5)大坪省三 台東区上野調査。(6)大川信明 尺度を用いた調査。(7)磯
 部成志 地域生活情報の実態調査。(8)西尾一雄 「都市居住者の意識と生活行動」調査。(9)嶋澄 自由テーマ別グルー
 プ調査。(10)村井隆重。

昭和59年

 (1)池田正敏 地域社会の計量分析。(2)西山茂 宗教社会学調査。(3)丹野朝栄 地域と教育調査。(4)大坪省三 台東区上
 野調査。(5)芳賀正明 秩父調査。(6)西尾一雄 「市居住者の意識」調査。(7)磯部成志 「週刊誌の受け手」調査。(8)嶋
 澄 社会福祉、就職に関する調査。(9)村井隆重 山梨県小淵沢における高齢者調査。(10)村田宏雄 パソコンによる統計
 処理調査実習。社会調査に、村田宏雄によってパソコンによるデータ処理が導入された。

昭和62年

 (1)丹野朝栄 「変貌する農村」調査。(2)池田正敏 「岐路に立つ地方都市」苫小牧調査。(3)西山茂 亀岡市、綾部市の
 宗教社会学調査。(4)中山伸樹 「足元の社会を調査する」。(5)大坪省三 北海道の都市社会学的調査。(6)芳賀正明 秩父
 調査。(7)西尾一雄 「新人類の意識」調査。(8)磯部成志 「月刊誌の受け手」調査。(9)嶋澄 グループ別自由テーマ調
 査。(10)前田正久 高齢化社会に関する社会調査。(11)常盤繁 「公共図書館と住民」調査。(12)村田宏雄 パソコンによる
 統計処理調査実習。村田によってパソコンによる高度な数量分析が講じられた。

平成元年

 社会調査室は、社会学部資料室と社会調査室が合併、一室となって縮小移転する。資料室は、情報資料室と名称を変
 更する。社会調査データのコンピュータ処理が進展した。調査対象の国際化も進み始めた。
 (1)西山茂 在日韓国・朝鮮人の宗教社会学調査。(2)池田正敏 外国人労働者社会調査、千歳川放水路計画社会調査。(3)
 藤木三千人 「地域計画と住民の生活意識」調査。(4)中山伸樹 「足元の社会を調査する」。(5)芳賀正明 秩父調査。(6)
 西尾一雄 「社会意識の世代間差異」調査。(7)磯部成志 「生活情報と生活意識」調査。(8)嶋澄 地域社会調査。(9)副
 田あけみ 社会福祉ニード、サービス提供過程調査。(10)常盤繁 公共図書館利用者調査。(11)稲木 哲郎 「平和問題に
 関する意識と知識」調査。フィリピン、韓国、ブラジルなどの海外調査も進捗する。 

6 社会学科歴代専任教員一覧

昭和24(1949)~平成3(1991)年

 [氏 名] [着任年度] [退職年度]

1千葉雄次郎* 昭和34年 昭和43年 

2田辺 寿利* 昭和34年 昭和36年 

3増谷達之輔 昭和29年 昭和35年 

4鈴木栄太郎* 昭和34年 昭和40年 

5米林 富男* 昭和24年 昭和42年 

6呉 主恵 昭和26年 昭和52年 

7横江 勝美* 昭和34年 昭和47年 

8福鎌 忠恕* 昭和26年 昭和62年  

9村田 宏雄 昭和34年 昭和63年

10高木 宏夫 昭和34年 在職中

11山下袈裟男 昭和30年 在職中(39~応社)

12高橋 統一 昭和34年 在職中

13藤木三千人 昭和34年 在職中

14奥田 道大 昭和34年 昭和45年

15小山 隆* 昭和39年 昭和47年
 特任教授 昭和48~50年、大学院委員長

16老川 寛 昭和39年 昭和41年 

17磯村 英一 昭和41年 昭和47年
 特任教授 昭和48~50年  

18宮沢 洋子 昭和42年 昭和44年
 (細井)東洋大学短期大学へ  

19黒川 純一* 昭和45年
 特任教授 昭和49~50年、大学委院員長 

20小松 洋一* 昭和45年 昭和50年

21丹野 朝栄 昭和47年 在職中 

22駒井 洋 昭和47年 昭和49年

23小林幸一郎 昭和48年 在職中 

24岩井 弘融 昭和49年 昭和63年

25島田 知2 昭和49年 在職中 

26茨木 竹2 昭和49年 昭和50年

27池田 正敏 昭和51年 在職中

28喜多川豊宇 昭和51年 在職中

29西山 茂 昭和52年 在職中

30大坪 省三 昭和53年 在職中

31芳賀 正明 昭和53年 在職中

32松本 誠一 昭和60年 在職中

33中山 伸樹 昭和60年 在職中

34細井 洋子 平成元年 在職中

35田原 音和 平成2年 在職中

36竹内 郁郎 平成3年 在職中

37岡本 耕平 平成3年 在職中

*印 物故者

*上記のリストに含まれる教員は、昭和34年の社会学部創設時以降に、専任教員として在職したものである。なお、当時存在した、兼任教授は、他に本務校をもつため、リストから除外してある。また、兼任教授歴は、専任教授歴に加えず、専任としての在職期間のみを示してある。創立以前に在職した専任教員は、本文中に記述した。

9 専任教員数の変化(社会学部社会学科創設以降)

  • 昭和34年 12名
  • 昭和35年 11名
  • 昭和36年 12名
  • 昭和37年~40 11名
  • 昭和41年 10名
  • 昭和42年 11名
  • 昭和43~44年 10名
  • 昭和45年 11名
  • 昭和46年 10名
  • 昭和47年 12名
  • 昭和48年 11名
  • 昭和49年 12名
  • 昭和50~51年 11名
  • 昭和52年 12名
  • 昭和53~59年 13名
  • 昭和60~61年 15名 [朝霞移転対応で増教員]
  • 昭和62~平成元年 14名
  • 平成 2年 15名
  • 平成 3年 17名 [臨時定員増対応で増教員]

10 学生定員、卒業生等

[学生入学定員の変遷]

  • 昭和24年 文学部社会学科 80名
  • 昭和34年 社会学部社会学科 50名
  • 昭和51年 社会学部社会学科 100名
  • 昭和61年 社会学部社会学科 150名
  • 平成 3年 社会学部社会学科 200名 臨時定員増

[卒業生数]

最低数昭和28年 3名 最高数昭和58年 196名 総数 4096名

(喜多川豊宇)

2 第2部社会学科

1 学部・学科組織の変遷

1 前史――社会事業科(大正10~昭和9年) 東洋大学社会学部の2部の教育の前史は、古くは大正10(1921)年2月に専門部社会事業科(夜間)が新設された時にさかのぼる。これは昭和3(1928)年に社会教育社会事業科と改称され、その後9年には廃止された。しかし、この旧制の夜間制教育は法令上の規定がないまま認められていたものであり、また、その後17年間は2部社会学科の前史は空白で、昭和22年に制定された「学校教育法」に基づき初めて2部の学部が法的に制度化されることとなった。

 2 文経学部第2部社会学科、文学部第2部社会学科(昭和26~34年) 昭和25(1950)年9月に文部省に対し学部増設申請が提出された。翌26年1月に認可が下り、4月に文経学部第2部社会学科が国文学科、経済学科とともに開設される。このとき、社会学科の入学定員は50名。しかし、わずか一年後の翌27年4月には文経学部第2部が廃止されると同時に、2部は文学部と法経学部に改組され、文学部第2部社会学科が国文学科とともに設置される。

 3 社会学部第2部社会学科(昭和34~現在) 昭和34年4月、社会学部の新設に伴い社会学部第2部社会学科が発足する。入学定員は80名、総定員は三20名に増加した。翌35年3月には社会学部第2部社会学科として最初の卒業生11名を送り出している。前年までの卒業者には文学士の称号が与えられ、この年から社会学士の称号が与えられるようになった。昭和60年から入学定員は一30名に増員され、現在にいたっている。

2 学生数の変遷

(1) 入学者数

表-1 第2部社会学部科学生数の推移(昭和26~36年)

卒業者入学定員入学者
3年2年1年合計
26年-50人-5人27人32人
27年-50人27人--18人
28年-50人28人-43人71人
29年19人50人-4人24人28人
30年22人50人27人4人26人57人
31年17人50人12人3人28人43人
32年24人50人4人-18人22人
33年14人50人7人-23人30人
34年13人80人10人-30人40人
35年11人80人6人-21人27人
36年21人80人6人1人40人47人

注) 卒業者数は100周年記念卒業者名簿、入学者数は学籍による

表 ― 1に見えるとおり、文経学部第2部社会学科、文学部第2部社会学科期の8年間を通じ、入学定員に対する入学者の受け入れ率は低かった。1年生への入学者がいなかった年(27年)すらあり、多い年でも入学定員に対して86パーセント(28年)の入学受け入れ率であった。この入学定員を下回る入学者数という傾向は、社会学部第2部社会学科期(定員は80名に増加)に入っても5年ほど続く。この期間は2、3年への編入学者数の比率も高かった。
 入学者数が入学定員を初めて上回るのは39(1964)年以降になってからである。ちょうど、第2次大戦後に生まれた世代が大学進学年齢に上がってきたのに合致する。それからは、むしろ定員の一・三倍(39年)から2・55倍(57年)もの入学者を受け入れた。60年から定員は220名に増員され、一・08倍(63年)から一・2倍(平成3年)の間で入学受け入れ率は安定化してきた。
 昭和26年から63年までの入学者総数は、4363名に及ぶ。

(2) 卒業者数

表-2 第2部社会学科学生数の推移(昭和37~平成3年)

卒業者入学定員入学者卒業者入学定員入学者
37年16人80人58人52年81人80人149人
38年16人80人73人53年94人80人150人
39年13人80人104人54年88人80人153人
40年21人80人161人55年86人80人130人
41年43人80人135人56年83人80人156人
42年41人80人157人57年83人80人204人
43年59人80人165人58年106人80人168人
44年74人80人164人59年95人80人187人
45年76人80人150人60年84人130人154人
46年89人80人146人61年132人130人152人
47年78人80人147人62年106人130人156人
48年110人80人132人63年130人130人141人
49年94人80人159人1年120人130人156人
50年84人80人157人2年100人130人156人
51年92人80人131人3年100人130人157人

注) 入学者数は文部省学校基本調査による。ただし、40年は学籍簿による。

同じく表 ― 2に見えるとおり、昭和40年まで卒業者数は11名から24名の間で推移し、41年と翌年は40名台に増加、さらに43年の59名を経て、それ以降は70ないし80名台(11カ年)、90から一10名まで(6カ年)に増加。61年以降は毎年100名以上の卒業者を送り出すようになった。
 昭和29年から平成4年までの卒業者総数は、28三6名に及ぶ。
 なお、前掲の入学者総数に対するこの卒業者総数の比率は65パーセントになる。単純な算出方法であるが、入学者の三分の一は卒業できなかったと言える。 {(p+4)年の卒業者数 }対{p 年の入学者数 }で三7年以降につき各年次の比率をみると、40パーセント台の低い比率は三8から40年、44、47年に現われる。70パーセント以上は41、59、平成一、4年の4カ年のみである。 

3 授業科目の変遷

授業科目の変遷をみるために便宜上、昭和34年、44年、54年、62年の4時期に限って、第2部社会学科授業科目を比較参照する(表―3、4、紙幅の都合で44、45年の表は割合)。単位数、学年配当の変化については言及しない。なお、教職課程科目やその他の諸資格取得のための科目は別の箇所で扱われるはずであるから省略した。当然のことながら、科目数の増加、同一科目の増コースの跡がはっきりしている。既存科目の改廃はそれほど顕著ではなかったといえよう(ただし、平成2年以降に大幅な変化がある)。

表-3 昭和34年度第2部社会学科授業科目

<専門教育科目必修科目>
社会学概論(鈴木栄太郎)
応用社会学概論 (村田宏雄)
社会調査(奥田道大、広畑一雄)
社会誌学(モーゼス・バーグ)
社会心理学(モーゼス・バーグ)
社会学演習Ⅰ、同Ⅱ、同Ⅲ、同Ⅳ(増谷達之輔、福鎌忠恕、田辺寿利、呉主恵)
卒業論(ママ。4単位)
<同選択必修科目>
社会学特講Ⅰ、同Ⅱ、同Ⅲ、同Ⅳ、同Ⅴ、同Ⅵ(福鎌忠恕、鈴木栄太郎、 呉主恵、内藤文質、モーゼス・バーグ、山下袈裟男、岡本包治、関敬吾、菊池あや子)(4科目を選択必修)
<同選択科目>
西洋哲学史概説 (福鎌忠恕)
社会思想論(福鎌忠恕)
社会政策(磯村英一)
人口問題(三原信一)
文化人類学(高橋統一)
経済史(川西正鑑)
統計学(堤光臣)
経済政策(高後虎雄)
経営学総論(亀井辰雄)
労務管理(村田宏雄)
政治学概論(鎮西恒也)
憲法(中条博)
民法(遠藤厚之助)
行政法(犬丸秀雄、森達)
労働法(本田尊正)
矯正保護法制(内藤文質)
教育社会学(岡本包治)
人文地理学(西田卯8)
宗教学概論(小口偉一)
産業概説(高後虎雄)
職業指導(小川福次郎)
図書館学(和田吉人、武田虎之助)
出典)『昭和3十3年 東洋大学社会学部増設認可申請書』

(1) 必修科目

専門教育科目をみると、昭和34年度以来、必修科目として同一名で存続しているものは社会学概論、社会調査、社会学演習のみである。社会学演習が一学年から4学年まで必修になっているのは変りない。コース数は34年は一、44年は三ないし4、54年、62年は各4コースに増えている。それに対し、社会学概論、社会調査は1コースのままで増減はない。
 34年に専門必修科目であったが、後に変っているものは、応用社会学概論、社会誌学、社会心理学、卒業論(文)である。応用社会学概論は44年に見えるが、54年からは見えない。社会誌学は44年には2コースに増え、54年以降は都市社会学、村落社会学と科目名を代えて継承し、選択科目に変っている。社会心理学は44年では社会心理学概論と変り、54年には再び社会心理学に戻るが選択科目に変り、さらに62年には社会心理学の科目名で、4科目中3科目を履修し、一般教育科目の単位数にも数えられる基礎教育科目に配されている。卒業論文は44年からは選択科目に変っている。
 後年、専門必修科目として新設されたものは、社会調査実習(社会調査および実習)である。これは44年、54年に1コースであり、62年には2コースに増加している。
社会学特講は34年には6科目(担当者9人)中から4科目を選択必修するようになっていたが、44年には7科目、54年、62年には8科目と選択幅が広がり、その中から4科目を履修するように変った。

(2) 選択科目

まず選択科目総数は34年に22、44年に19(休講を含む。以下同じ)、54年に三一、62年に45と増加している。 4時期を通じて、社会思想史、社会政策、人口問題、経済史、経済政策、経営学総論、政治学概論、憲法、行政法、教育社会学は科目名、コース数に変りはない。労働法は62年に2コースに増加、文化人類学は62年に基礎教育科目に置かれている。 34年に見える選択科目で後年に変化しているものは、以下のとおり。西洋哲学史概論は54年から消え、代わりに哲学概論が見える。統計学は54年には消え、62年に社会統計学が基礎教育科目に見える。労務管理、人文地理学は44年以降は見えない。民法は62年に見えない。矯正保護法制は44年以降は消え、代って社会法制が見えるのと同時に、44年には社会学特講7社会法制があり、これは54年に同社会保障論、62年に同社会保障制度論に継承されている。宗教学概論は44年には消え、54年から宗教社会学が新たに見える。産業概説、職業指導は54年には消え、54年から産業社会学、職業社会学が見える。図書館学は44年、54年には見えず、62年には1から7まで8コース(6が2コース)が見える。司書資格のための課程が別に置かれていたのが、62年には第2部社会学科課程表内に置かれるように変っている。
 54年および62年の両時期に見える新たな科目は社会学史、社会病理学、現代新聞論、放送学概論、情報科学、精神分析学、出版概論、ドキュメンテーション、社会教育概論である。62年に新たに加わっている科目は独語・仏語・中国語の9科目である。これは外国語科目を従来、英・独・仏・中の4言語にしてあったのを、英語のみに狭める一方で、専門科目内に配したものである。

表-4 昭和62年度第2部社会学科授業科目

<基礎教育科目 3科目履修>
社会心理学(渡辺浪2)
文化人類学(松本誠一)
社会病理学(細井洋子)
社会統計学(池田正敏)
<必修科目>
社会学概論(芥川集一)
社会学演習Ⅰ(高木宏夫)
社会学演習Ⅰ(島田知2)
社会学演習Ⅰ(泉田渡)
社会学演習Ⅰ(広瀬英彦)
社会学演習Ⅱ(中山伸樹)
社会学演習Ⅱ(松本誠一)
社会学演習Ⅱ(天野マキ)
社会学演習Ⅱ(蒲池紀生)
社会調査(平松貞実)
社会調査および実習(藤木三千人)
社会調査および実習(平松貞実)
社会学演習Ⅲ(丹野朝栄)
社会学演習Ⅲ(芳賀正明)
社会学演習Ⅲ(大野勇夫)
社会学演習Ⅲ(林利隆)
社会学特講Ⅰ社会システム論(寿田鳳輔)
社会学特講Ⅱ社会福祉概論(田中寿)
社会学特講Ⅲ人口と家族(清水浩昭)
社会学特講Ⅳ生活と健康(佐久間淳)
社会学特講Ⅴ児童福祉論(下平幸男)
社会学特講Ⅵ言語社会学(鈴木介)
社会学特講Ⅶ社会保障制度論(矢野聡)
社会学特講ⅧPR論(小倉重男)
社会学演習Ⅳ(大坪省三)
社会学演習Ⅳ(西山茂)
社会学演習Ⅳ(吉沢英子)
社会学演習Ⅳ(磯部成志)
<選択科目>
社会思想論(酒井俊2)
社会学史(酒井俊2)
労働社会学(柴田弘捷)
現代新聞論(林利隆)
放送学概論(清水正三郎)
情報科学(蒲池紀生)
福祉社会学(米林富男)
ドキュメンテーション(正司節子)
憲法(名雪健2)
村落社会学(若林敬子)
哲学概論(柴田隆行)
教育社会学(神田道子)
社会教育概論(倉内史郎)
経済史(小倉欣一)
経済政策(佐々木哲郎)
社会政策(金沢誠一)
経営学総論(島袋嘉昌)
政治学概論(木暮正義)
行政法(高木武)
労働法(高田正昭)
労働法(小林秀年)
図書館学Ⅲ(井上哲也)
図書館学Ⅳ(岩淵泰郎)
図書館学Ⅴ(土屋隆)
図書館学Ⅵ(平井理)
図書館学Ⅵ(黒沢正彦)
図書館学Ⅶ(土屋隆)
独語初級A(牧野紀之)
独語初級B(小川一枝)
独語中級(洲崎恵三)
フランス語ⅠA(後藤辰男)
仏語初級B(酒井敏雄)
仏語中級(松原雅典)
中国語初級A(若林健志)
中国語初級B(魏栄吉)
中国語中級(高橋弥守彦)
宗教社会学(休講)
産業社会学(休講)
人口問題(休講)
精神分析学(休講)
出版概論(休講)
社会法制(休講)
都市社会学(休講)
図書館学Ⅰ(休講)
図書館学Ⅱ(休講)
卒業論文

出典)『履修要覧』

4 第2部社会学科の課題

(1) 社会人教育の充実

 第2部の夜間教育は昼間働く社会人に対する教育を主眼としてきたが、進学希望者の増加に伴い、新卒者でとりあえず第2部に入学し転部試験で昼間部に移る「無職者」が増加して、社会人の合格率が狭められているのではないかとの観点から、通常の高校学科目試験を経て入学者を選抜する方法(試験入試)はそのまま置きつつ、高校卒業見込者を対象とした書類選考(および面接、小論文)による推薦入試に代って、平成4年から高校卒業者(大学入学資格検定合格者)の「自薦」、「他薦(職場推薦)」の「社会人推薦」入試が新設される。社会人推薦入試で一定の合格者を先に決定しておくことで、結果的に試験入試の合格者(無職者)数を以前より減少させようとする。
 社会人の第2部社会学科に持ち込む課題、関心は、社会福祉、マスコミ、図書館、社会心理、その他、昼間部の社会学部内の応用社会学科各専攻に関わるものと、さらにその外側へ向かう広がりがある。多様多彩な問題意識に対して、社会学科の専任教員は必ず1コマ以上、第2部科目を担当することにしてできるだけそれをカバーしようとするが、マッチングの面での改善の余地がある。

(2) 指導・研究時間の確保

 夜間部は一日の授業コマ数が少ないため、毎日毎時間、授業の入っている学生が多く、教員からじっくり指導を受けたり、図書館で研究する時間を見出しがたい。70分3コマ制から90分2コマ制に変り、いっそう空き時間が減っている現状では、コンパの設定も難しくなった。社会学の各テーマは限られた数の講義を受けるよりも、むしろ実習・演習科目の充実を図ることが効果的である。そのため実習科目の種類とコース数の増加、演習のコース増を進め、そこに指導・研究時間の城を築くことが肝要であろう。

(3) 卒業率の増加

 「2 学生数の変遷」で見たように、第2部社会学科に入学して卒業にまで至るのは三人のうち2人の割合である。これは、持続して勉学することの難しさの表われであろう。学生本人の主体的条件、そして勉学に理解ある職場環境、家庭環境という学外条件、さらに教育研究環境の学内条件の三条件が整ってその難しさが克服される。
 入学前は職場の上司の賛同を得ていても、入学後にやむを得ない残業が続く。自衛隊員、機動隊員で長期演習に従事したり、あるいは首都であるために特別警戒任務が長らく続いて欠席がちになる。既婚女性で出産・育児にかかる。家族に病人が出て看病にかかる。勤務先、自宅、大学が離れているため、通勤・通学の移動だけで疲労がたまる。一日の授業時間数が少ないため、少しでも休むと授業に追いつけなくなったり、理解できなくなる。留年すると授業料の捻出に苦しくなる。こうした逆境を乗り越えた2部生のなかから、問題意識、探究心の強い人がよく現われる。大学院社会学研究科に学内から進学する者のうちで第2部社会学科出身者の比率が高いという印象がある。
 学生本人の主体的条件、学外条件の負を学内条件の充実で出来るだけ相殺し、留年率、中途退学率を下げる努力が建学の理念に合致する方向であろう。すなわち、通学の便のための駐車場の設置、2部生は荷物が多いのでロッカーの増設、荷物預かり所の設置、夕食を誰もが取れる環境の造成(休憩時間に食堂に客が殺到し、順番を待つと授業時間にくい込むので、パン・弁当を買いに出ると売り切れで菓子類で空腹をごまかす)、学内託児施設の新設、等々。
 多くの中退者が大学の評価を高めてくれているのだろうかとの観点から、卒業率を高めるためあれこれ工夫が肝要であろう。