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福島県いわき市の食とフェアトレードでつながるプロジェクト

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いわきプロジェクトマーク震災から6年。 いわき市では復興にむけてがんばっている人たちがいます。
このプロジェクトは、東日本大震災の被災地支援をこれからも息長くつづけていくことを目指し、2016年度からはじまりました。
いわき訪問、学内やショッピングセンターでの販売などを行っています。


福島県いわき市の食とフェアトレードでつながるプロジェクト

西田彩花(国際地域学科3年)

イベント1私は、「福島県いわき市の食とフェアトレードでつながるプロジェクト」の学生代表を務めています。この学部プロジェクトは、忘れられつつある東日本大震災の支援活動を根強く続けていくことを目的としています。

1年目の今年は、いわき市でつくられているオリーブやコットンをつかった商品を販売しています。はじめは、メンバーが集まらないのではと不安でしたが、活動説明会には想像より多くの学生があつまりました。

6月に、プロジェクトの一環で実際にいわきを訪れ、オリーブプロジェクトの松崎康弘さん、コットンプロジェクトの酒井悠太さんから直接お話聞き、畑を訪問しました。そのときの経験をもとに、オリーブやコットンに関するパンフレットを作りました。オリーブ麺のレシピを載せたパンフレットも、あわせて作成しました。

11月の白山祭では販売とワークショップを行いました。オリーブの葉を使ったオリーブ麺やかりんとう、オーガニックコットンでつくったTシャツやハンカチなどの商品は好評でした。ワークショップには榊裕美さんをお招きしました。榊さんは、いわきを何度も訪れており、NGOやボランティア活動に詳しい大学院生です。まず、榊さんから農家や漁師の話を聞き、そのリアルな思いを知ることができました。その後、グループに分かれて、好きな商品のPR方法を考えました。

白山祭では、多くの方と新たに知り合いになることができました。いわき市役所で働く草野光平さんは、息子さんが国際地域学部の1年生だそうで、私たちのブースに来てくれました。草野さんの協力で、新たにいわきのお米について調べていくことが、今後の課題となりました。北千住で東北応援プロジェクトを行っている植村昭雄さんもブースに来てくれた一人です。今では植村さんが関わっているローカルTVで、このプロジェクトの宣伝活動をさせてもらっています。まだまだこれからも活動の幅が広がりそうです。

この学部のプロジェクトを通して、いわきで頑張る人たちや、外から応援する人たちと出会い、いわきに対するそれぞれの思いを知ることができました。ぜひ後輩たちにもこのプロジェクトに参加して、自分たちにできることを考えてもらいたいと思っています。そして、行動することで、はじめて味わうことのできる喜びや、人とつながる楽しさを知ってほしいです。


【レポート】 エネルギーの上流と下流を繋ぐスタディツアーに参加して

高野真優(国際地域学科4年)

2017年2月22日(火)、23日(水)の二日間、「エネルギーの上流と下流を繋ぐスタディツアー」に参加しました。主催団体は、福島県いわき市で地域づくりを行う「いわきおてんとSUN企業組合」です。オーガニックコットン、コミュニティ電力、スタディツアーという三つのメイン事業があり、そのうちのスタディツアーへの参加となりました。東洋大学からは6名が参加しましたが、そのほかに名古屋学院大学、恵泉女学園大学、山口大学からも参加がありました。

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一日目、まず視察を行ったのは富岡町です。おてんとSUNの代表理事を務める吉田恵美子さんの案内で、福島第一原発での事故後に警戒地区となり、一度は立ち入りができなくなっていた場所を訪問しました。現在は、3月31日の避難指示の解除に向けて、急ピッチで整備が進められています。街で見かけるのは、トラックや重機を操作する作業員が大半で、地元住民らしき人はほとんどいませんでした。

 避難指示が解除となる地区の先には、バリケード一枚を挟んで、放射線量が高いために帰還が未だに許されない富岡町の北部、大熊町、そして双葉町などがあります。帰還に関する住民の意見はさまざまで、「帰ることができるようになったが、新しい生活をいわきで始めている。放射線の影響も心配だし、帰りたくない」という人が大勢いるそうです。一方、高齢者の中には「戻りたいと願っているが、線量が高くて帰ることができない」という人もいます。先行して避難指示が解除された南隣の楢葉町でも、帰ってきている住民は事故以前の1割程度だそうです。

 富岡町へ向かう道の左右には、フレコンバッグと呼ばれる大きな袋が何百個何千個と並んでいました。放射線量が高い土を、田畑や庭から削って入れたものです。スクリーニング場と呼ばれる、プレハブが道沿いに設置されており、放射線量を検査しています。バスを降りて見回してみると、民家の窓から見える障子は破けており、お店のシャッターは降りています。交差点では、色が変わらないまま信号が点滅を続けています。そして、電子掲示板が放射線量の数字を表示しています。「ここは本当に同じ日本なのか」と疑いました。

45再びバスに乗って「さくらモールとみおか」という商業施設へ向かい、そこで昼食を食べました。私たちが食べたお弁当を販売している田中美奈子さんから、お話を聞きました。田中さんは、毎朝一時間半かけて、いわき市から通勤し、地域住民や作業員向けにお店を開いています。印象的だったのが「働いてくれる人がいなければ復興は出来ない。街の中に寄れるところがあれば、人は来ようと思える。だから、よりどころになれたらいい」という言葉です。誰かが動くのを待つのではなく、自らが動いている姿に芯の強さを感じました。

その後、殉職パトカー記念碑、富岡町仮設焼却施設(仮設と言っても、巨大な施設です)、広野町二ツ沼総合公園、防災緑地、おてんとSUNのコットン畑、久之浜地区津波被災エリア、ふれあいセンターなどを視察し、最後におてんとSUNの事務所に到着しました。

おてんとSUNでは、島村守彦さんによるエネルギー事業の説明とソーラーパネル手作り教室が開催されました。

翌日、小学生へソーラーパネルの作り方を指導することになっていたため、細かい注意点をメモに取りながら真剣に取り組みました。専用のセルと呼ばれる薄い太陽電池を複数繋げるために、リボンという銀色のパーツを接着させていきます。最終的に17枚のセルを繋げることで8.5Vの1つの太陽光パネルにしていく作業です。

原発事故のあった福島でソーラーパネルの活動を行うことは、原子力発電以外のエネルギーが存在することや、ソーラーパネルを手間暇かけて作ることで電気の大切さや仕組みを改めて考え、見つめ直す機会となっているのです。また、島村さんがお話の中で「取り組んでいる事業は目的ではなく、壊れてしまったコミュニティを作り直すための手段なのだ」という言葉が、先を見据えているようで、とても印象に残りました。

夜は、いわき市内の古滝屋にお世話になりました。創業1695(元禄8)年の老舗の宿であり、内装はとてもお洒落です。そしてスタッフの笑顔が魅力的です。

二日目の朝、古滝屋16代目であり、おてんとSUNの理事も務める里見喜生さんから、震災当時の経営者としての心情についてお話を伺いました。古滝屋では、新卒採用が珍しいとされていた時代から、高校を回り毎年10名ずつ採用していました。しかし、福島第一原発の事故が起きると、その若手職員の採用があだとなりました。140名のスタッフの雇用を維持することは不可能で、営業再開時にはたったの10名となり、現在は20名で運営を続けています。

2古滝屋を後にし、いわき市立好間第一小学校にて、五年生と一緒にソーラーパネルを作る授業を行いました。はんだごてを初めて使うため、最初は子供たちにも緊張や不安な表情が見られました。それもすぐに慣れ、「難しいなあ」と照れ臭そうに笑う子や、「俺これ楽しい」と表情が和らいでいく様子は、一緒に作業をした私たち大学生にとっても忘れられない経験になりました。

実は、ここで作ったソーラーパネルは、ネパールの小学校に持っていくことになっています。島村さんは、「震災時に、ネパール人がいわきへ支援に駆けつけてくれました。そのことを忘れずに、恩返しをしましょう」と生徒たちに説明していました。島村さんの言葉を聞く子供たちは真剣な眼差しで、誰一人としてふざけるような様子はありませんでした。

午後は、松本校長先生が、以前勤めていた久之浜の小学校の再開までの道のりについて話してくれました。「耐え忍ぶ」から「切り開く」へ。原発の事故後は、子供たちに我慢させていたが、そうではなく少しずつ環境を整備していこうという考え方です。

最後に、私が感じたことを記します。まず、今回お話しして下さった方々は、とても前向きに震災復興を捉えていることがわかりました。待つのではなく、地元住民が主体となって行動していく、そして今の福島を知ってほしいと発信を続けていく。これが福島の人々の強いところだと思いました。東京からできる支援の方法は色々あるかとは思いますが、まずは今回私が見てきたもの、感じたこと、そして出会った方の話を、家族や友人へ伝えたいと思います。