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【海外国際地域学研修】2015年度(2016年)春季ミュンヘン大学研修実施報告(前半)

English (TOYO Global RDS)

ミュンヘン研修2016年2月21日(日)から3月14日(月)までの3週間、東洋大学国際地域学部のミュンヘン大学研修コースを実施しました。1年生から3年生までの10名がミュンヘン市内の各家庭にホームステイをしながら、午前中は大学でドイツ語の授業、午後は市内の各所で文化研修に参加しました。ここに幾つかのトピックを紹介します。

研修1日目はミュンヘン市の成り立ちを顕す史蹟をドイツ語・日本語両方の解説により回りました。
ミュンヘン市は1158年、ハインリヒ獅子公が交易の中心地だった近郊の町の橋を壊して、修道院しかなかったこの地に橋を移したことが起源とされます.修道僧(Mönch、英語でmonk)という言葉がなまってミュンヘンという地名になり、紋章は修道僧の格好をした「ミュンヘン小僧」と獅子公のシンボルであるライオンになりました。

2日目には大学や町で出会う様々な国籍の人々と交流する目的で「異文化理解」講座がミュンヘン大学日本センターで開かれました。ミュンヘン大学の日本人留学生、日本語学科のドイツ人学生なども参加して30人でグループや全体で討論を重ねました。

ミュンヘン研修

週末の第1日目(2月27日)にはバイエルン州の古都で世界遺産ともなっているレーゲンスブルクに遠足に出かけました。中世叙事詩『ニーベルンゲン』によれば、古代ゲルマンの伝承として、ドナウ川河畔のこの町の近くで、ゲルマンのブルグント族の姫、クリエムヒルトが再婚相手であるフン族の王に嫁ぐ旅の途中、見送りの人々と別れています。
ずっと時代は下り、1663年になるとこの町には神聖ローマ帝国の「永続的帝国議会」が置かれ、1806年にナポレオンの侵攻によって帝国が消滅するまでを見届けます。

下の写真(左)は帝国会議場、皇帝の謁見の間でチューターのルートヴィヒさんに皇帝になってもらっての集合写真です。

続く日曜日には国立劇場でバレエ『パキータ』を皆で鑑賞しました。

ミュンヘン研修 ミュンヘン研修

第2週は少し生活にも慣れ、放課後の自由時間には参加者それぞれ思いの場所に足を向けるようになりました。
ミュンヘンの旧市街を北東に抜けてすぐのところに大学本部棟と向き合って広大なイギリス庭園があります。日中は誰かが必ず散歩しており、それだけではなく園内を流れるイーザー川の流れの急なところでは雪景色にもかかわらずサーファーが集まっていました。

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この週の後半にはミュンヘンの20世紀の歴史としてナチス党とミュンヘンの関係について学びました。ミュンヘンはナチス党の発祥の地であり、ヒットラーがミュンヘン一揆を起こして失敗、収監されていたときに書かれた『わが闘争』の初版本が市博物館に展示されています。
政権を取った後も党本部はここに置かれ、近郊のダッハウの町にナチス政権の成立した1933年には最初の強制収容所が作られました。ここがアウシュビッツも含めその後の強制収容所のモデルとなったことで、全体棟はそのまま保存、収監者が生活したバラック棟が1棟再現されて追悼の施設とともに見学できるようになっています。そこを3月3日に訪れました。

ミュンヘン研修

ミュンヘン研修2週目の週末はそれぞれに計画を立てて小旅行あるいは遠足をしました。こちらで出会った別のグループの学生さんやホームステイ先の家族などともオーストリアのウィーン、ザルツブルク、近郊ではバイエルン州第2の都市ニュルンベルクやヘレンキームゼー、ロマンチック街道沿いの町々、レーゲンスブルクなどに出かけ観光しました。ニュルンベルクのショイフェレ(豚の肩肉)など土地の名物も味わいました。


2016年3月15日 垣本せつ子(国際地域学部 国際観光学科 教授)


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