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学生の声(国際観光学科):「文化」を支える「言語」の研究をしました

English (TOYO Global RDS)

「文化」を支える「言語」の研究をしました

学生 東洋大学 国際地域学部 国際観光学科 4年
浅川勝之(あさかわ・まさゆき)
教員 東洋大学 国際地域学部 国際観光学科 教授
垣本せつ子(かきもと・せつこ)

浅川勝之さん 垣本せつ子教授

卒業論文が最優秀賞に

垣本教授: 浅川君は今年の1月の卒業論文の発表会で最優秀賞に選ばれました。すばらしい発表でしたね。

浅川さん: ありがとうございます。論文の題名は「宮古島方言の記述方法」です。宮古島は沖縄本島から南西に300㎞ほど離れたところにあって、周辺の大神島、下地島などと宮古諸島を構成しています。

垣本教授: どうして国際地域学部国際観光学科でこの研究? と読者に思われるかもしれませんが、それはだんだん聞いていきましょう。卒論発表会で浅川君は、冒頭に宮古島方言で挨拶をしましたよね。皆、あっけにとられてしまいました。日本語だとはとても聞こえませんから。これだけだったら、単なるものまねと思われてしまうかもしれませんが、その後に続いた研究報告でこれは浅川君がこの地域の方言の音韻体系を勉強して再現したものだったのだとわかりました。

浅川さん: 宮古島のことが好きで方言にも関心を持った、という人は多いと思いますが私の場合は逆でした。言語に関心を持って勉強していくうちに、宮古島方言にたどり着いたのです。

ことばを旅する

垣本教授: どのようにして「言語」に関心を持つようになったのですか。

浅川さん: 高校生のときに読んだ『ダ・ヴィンチ・コード』がきっかけです。それまで私は理系志望だったのですが、この作品と出会って人文科学のおもしろさに気づきました。学校で教わってきた文系科目は、おもしろいとは思っても、取り組みたいとは思ったことがありませんでした。美術・音楽の授業はひたすら鑑賞・模倣というスタイルで退屈でしたし、国語や社会にしても、文章の読み書きや政治の仕組みといった実務的な知識・技術を身に付けるだけの教科だと思っていました。でもその「文系科目」の向こうに、科学的な手法で歴史や芸術、文化、つまり人間の営みに迫る「人文科学」というおもしろい領域があることに気づいたのです。
宗教学、文化人類学、考古学、文学などいろいろ興味の赴くままに勉強していきましたが、そのうちに「文化」を支える「言語」に興味を持ちました。英語と日本語だけを比べていては見えてこない世界があると気づいたのです。英語だけが世界を知るための道具ではありません。
私はまず『ダ・ヴィンチ・コード』で扱われていた「ヘブライ語」が気にかかり、関心を持ちました。ヘブライ語について調べればイスラエル・ユダヤ人の歴史について知ることになるし、それはパレスチナ問題を知ることにもつながります。知識が偏らないよう、イスラエル側からもパレスチナ側からも調べるように心がけました。その過程でパレスチナの抵抗の詩人マフムード・ダルウィーシュやラップグループの”DAM”を知りました。
多様な言語ということでいえば、ロシア語の専門家である黒田龍之助先生の本を読んだことも言語の楽しさに気づくきっかけの一つでした。

垣本教授: 世界にある言語は3000とも7000とも言われています。浅川君は、いろいろな言語について勉強していましたが、決して静的な常態として捉えるのではなく、その生成を捉えている感じですよね。世界の言語の数は減る一方というのが常識ですが、数年前にアマゾンの奥地である部族が使用している言語が「発見された」というニュースがあって、つまり世界の言語に珍しく1つプラスされました。

浅川さん: ピダハンのことですね。20年に渡ってピダハンとともに暮らし研究したアメリカ人学者が書いた本で有名になりました。2,3年前に日本語訳が発売されて、私もその本でピダハンのことを知りました。彼らの言語には、右・左、数、色の名前などがないとされています。さらに言語を構成する音の数が著しく少ない、という特徴もあり、興味深いです。

方言研究、「宮古語」との出会い

垣本教授: グローバル化は、言語面からいえば一つの共通語に集約されていくプロセスを生んでいますが、逆に言語を細分化したり新しい言語を生み出したりという動きにもつながっているように思うのです。その意味で、グローバル化とは、私たちがこれから言語的に不安定な地盤に立って生きていくということなのでしょう。例えば日本語です。日本語は一つではない、という言い方がありますが、浅川君が研究した方言を考えるとその通りですね。どうして方言に関心を持ちましたか。

浅川さん: いったん言語に関心を持つと、これまで母語として使ってきた日本語に対する感覚、問いの立て方も変わってきました。ただ現代日本語を他言語と比べるのではなく、日本語そのものの内側に目を向けるようになりました。上代特殊かな遣いだとか、上代のク語法だとか、後世には用いられなくなった助詞だとかです。それらの事象が現在の日本列島にどう残っているのか、日本列島の言語がどのように変化してきたのか、ということに興味を覚えるようになりました。
私は生まれも育ちも東京で、夏冬に田舎に帰るという習慣がありませんが、予備校・大学で知り合った友人たちは多様なバックグラウンドを持っていました。実家に帰れば家族・友人たちと共有しているお国言葉があるということが私にはうらやましくて仕方がありません。それまでは漠然と抱いていた憧憬でしたが、言語に興味を持った後では、「方言」という軸できちんと勉強してみよう、と考えました。

垣本教授: 2011年の震災のとき、メディアで東北の方言を集中的に聞いたように思います。もともと日本語で方言といえば、多くの人は東北の方言を思い浮かべるかと思います。また関東と関西の言葉が大きく異なることも知っています。宮古島の言葉を思い浮かべる人はあまりいないでしょう。沖縄の言葉は有名ですが、宮古島方言はそれとも大きく異なるそうですね。

浅川さん: はい、「じん」(=お金)、「てぃだ」(=太陽)のように同じ単語もたくさんありますが、那覇・首里の沖縄方言と宮古島方言とは、話が通じないとされています。確かに音素の数も用言の活用も全く違います。『事典 世界のことば141』という本に紹介されていた宮古島方言の例文を初めて読んだとき、衝撃を受けました。「バー シンシーン ッザイタル」という例文なのですが、どういう意味だか想像がつきますか? 「私は先生にしかられた」という文なんです。とても日本語離れしているのにびっくりしました。日本列島の言語的多様性は奥深いなと感動するとともに、方言の知識が失われていくことに寂しさを覚えました。

垣本教授: そこで、浅川君の卒論の趣旨は、宮古島の方言が次の世代に残るように、そしてそのためには方言の音を忠実に再現するような文字の工夫が必要であろうということでした。これまで、方言を書き表すためには、ひらがなを変形させた独自の文字を考案することもあったのですが、浅川君は宮古島の歌の歌詞などをローマ字で書きましたね。

浅川さん: 自分たちの地域の言葉を残そうとする試みは各地で行われています。ところが各地で書かれた方言の本の中には、音声・文法に対する考察をしないまま書かれているために、方言の知識を保存・普及させるという目的を達成できていないものが残念ながら多いと思います。国語学・方言学の長年の成果は研究書の中に眠っていて、知識として一般に還元されていません。専門書ですから、読んで会話を実践する、という訳にもいきません。
言語を客観的に記録・保存するときには、文法書、辞書、談話資料が必要とされていますが、これらをそろえるためには時間とお金がかかり、そうしている間にも、方言の知識を豊富に持っている高齢者の数は減ってしまいます。方言学の成果を応用して方言を文字に記録する方法を確立しておけば、方言話者たちがもっと多くの記録を残すことができます。正確な記録がたくさん残っていれば、その記録を元に文法を研究し、辞書を編纂することもできます。アイヌ語の正書法の変遷や、ケセン語、奄美語、沖縄語の正書法案について、論文の中で検討し、その上で宮古語の場合について考えてみました。
もうひとつ、方言が生き残っていくための方法として、文化として発信していく、ということがあります。その点宮古島方言は幸運で、有名なシンガーソングライターがいます。下地勇さんという歌手なのですが、フォーク、ロック、ポップス、ボサノヴァといろいろなスタイルの曲を、宮古島方言で作詞しています。島の習慣をコミカルに歌った曲、美しい女性に一目ぼれした男のやりきれない気持ちを「イパネマの娘」に乗せて歌った曲、島を離れ東京で独り暮らす男の心境を歌った曲など、切り口も多彩です。宮古島の人たちだけでなく、本土の人間が聞いても心揺さぶられます。

垣本教授: 私もその方の歌を聞きました。方言で歌といえば民謡かと思われるでしょうが、そうではなくポップスでした。私はブラジル生まれの日本人である小野リサさんのボサノヴァをよく聞いていましたが、それと似ていると思いました。でも、そちらはポルトガル語で、浅川君が教えてくれた歌は、聞いただけではそうとはわからなかったのですが、宮古島方言という日本語でした。

浅川さん: すぐに日本語だと認識するのは難しいですね。私も方言学の図書と歌とで勉強した今ようやく、宮古語が少しだけ話せるようになりました。

垣本先生の研究室にて

東洋大学が与えてくれた学びの場

垣本教授: こうして話を聞いていくと、浅川君の言語についての知識のほとんどは自分の努力で身に付けたものです。けれども同時に、大学生活を通して国際地域学部のカリキュラムや行事が浅川君の関心を培ったのだろうと思います。国際交流行事への参加も積極的でしたね。

浅川さん: 一年生の時にはタイ語(国際地域学部の多彩な語学教育)を履修しましたし、海外国際地域学研修国際地域学部の海外研修)では韓国の韓南大学へ行きました。
また大使リレー講義にはできるだけ足を運ぶようにしました。アイスランド、ウクライナ、モルディヴ大使のいらした回に参加しましたが、いずれもとても興味深い内容でした。学生同士の交流ももちろん大切ですが、一国の大使という責任ある大人からお話をいただく機会なんてそうありません。火の島アイスランドでは地熱発電がさかんで、そのインフラは多くが日本製の機械なのに、どうして同じ火山列島の日本では地熱発電がポピュラーじゃないのか、とのアイスランド大使のご指摘は衝撃的でした。海に囲まれたモルディヴでは飲み水が不足しがちで、そこでも日本製の機械が活躍して飲み水を作り出している、というお話は、学生を前に大使が直々に話してくださった意味を考えることが大事だと思います。

垣本教授: 私は浅川君がアイスランド大使にアイスランド語で話しかけ、中身は分かりませんでしたが会話が成立している様子をハラハラと見ていました。でも、きっと大使はうれしく思われたでしょう。日本に来られてからアイスランド語で話しかけられることはそんなにはなかったでしょうから。ウクライナ大使にもウクライナ語で話しかけたそうですね。

浅川さん: アイスランド大使からは名刺をいただきました。ウクライナ大使にウクライナ語で「ありがとうございました」と申し上げたら、ニコッとしてくださったのを覚えています。

垣本教授: それから海外の留学生を東洋大学に迎え日本を紹介する学生交流行事にも参加していましたね。一昨年の「きずなプロジェクト」で、南アジアからの留学生を迎えたのですが、盛会でした。あのときは一緒のグループになった人とどんなことを話していたのですか?

浅川さん: 「日本人の宗教について教えてくれ」と言われました。彼らはイスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒でした。ふだん日本人はとくに宗教というものを意識していないが、自分は仏教の国に生まれたと感じていること、多くの人は(キリスト教の)教会で結婚式を挙げ、死んだらお寺に眠るのだと説明した上で、四季折々の習慣には神道の伝統が残っているということを説明しました。普段はなかなか会うことのできない国の学生とじっくり話をすることができて、貴重な経験でした。学生同士という身分だからこそ、率直な話ができました。自分が生まれ育った国の習慣・文化について尋ねられるのはくすぐったい感じでした。でも、説明するのは難しいですね。彼らは私のつたない英語にじっくり耳を傾けてくれ、彼らの納得したらしい表情が見えると私も安堵しました。世界中の人たちと草の根交流をする機会が大事なのは言うまでもありません。そういう機会を大学側で用意していただき、とてもありがたいことです。

垣本教授: 国際観光学科の授業の中でも観光に方言を生かす趣旨のレポートを書いたそうですね。

浅川さん: 観光旅行というのは自分たちと違う生活文化を楽しみにいくものですから、方言は観光地の魅力を引き出すことができるはずです。例えば旅行先で食事をする時に、「いらっしゃいませ、2名様ですね、こちらへどうぞ」と言われる代わりに、方言でそのフレーズを言われたほうが旅の思い出が深まると思います。宮古島方言なら、今のフレーズは「はい、んみゃーち。ふたーず? ずーずー、くまんかいぴじぃーふぃーる」となります。このことは「地域観光論」を受講したときにレポートで書きました。接客マニュアルを方言で作ってみる、というのは我ながらいいアイディアだと思うのですが。

垣本教授: お客さんは最初、戸惑うでしょう。特に宮古島方言は聞いてすぐわかるものでありませんから。でも言語的にはわからなくても、状況から意味がすぐわかるようなフレーズでしたら、笑って応じてもらえるように思います。

方言を「言語」として残すために

垣本教授: それでは最後の質問ですが、卒業論文の題目の副題は「方言を『言語』として残すために」でした。浅川君が伝えたかったことを教えてください。

浅川さん: グローバル、という言葉と反転するようですが、ひとつの国の中にある多様性を忘れないということです。中華人民共和国について、ロシア連邦について話すとき、つい我々は北京、香港、モスクワ、サンクトペテルブルグのような都市をイメージして、均一な国であるかのように考えてしまうきらいがあります。確かに政治・経済を動かしているのは普通話を解する漢人、ロシア語を解するロシア人かもしれません。だけど中国、ロシアの広大な国土には、チベット系、ツングース系をはじめとしたさまざまな民族がいろいろな文化・習慣をもって暮らしています。
翻って考えると、東京だけが日本ではありませんね。東京に暮らしていると、全国が東京から流れてくる情報に振り回されているような気分になることがありますが、日本列島には豪雪地帯も亜熱帯地方もあるのです。当然四季の移ろいも違えば、培ってきた生活の知恵も違います。北国の人々が春を迎えた時の感情は、南の人間が春を迎えたときのそれとは当然違うし、台風の恐ろしさを、九州・沖縄、それに小さな島の人々はよく知っている。
それぞれの地方の生活に即した感情は、便宜的な共通語ではなかなか伝えることができません。各地の文化を大切にする、ということは必然的にその文化を支えている地域の言語も大切にする、ということにつながるのではないでしょうか。

垣本教授: それで、地域的な差異を強調するためにあえて「言語」と断ったのですね。方言といえば、自分のルーツをたどる気持ちで懐かしいかもしれませんが、古いアルバムのように安心してまたしまいこむでしょう。でも、さっぱりわからない言葉が「言語」となると心が騒ぎます。まさに未知との出会い、未来からの使者です。
同じことは国際語としての日本語についても言えるかもしれません。オリンピックの開催が決定されてから、世界のお客さんを迎える準備の話でもちきりです。いろいろなお客さんがいる中で例えば、イスラム教徒のお客さんであればどう対応するか? などといった問いかけもなされていますが、日本語はどのような役割を担うでしょうか。日本にいて、外国人であるからばかりでなく、生活条件や身体的な条件からも日本語使用が困難な人のことを「日本語弱者」と呼んでいますが、そこではできうる限り意思疎通をやさしくするための日本語の表現が求められています。海外からのお客さんであれば日本語のフレーズを少しでも使いこなせればうれしく思うでしょう。押し付けてはいけないけれど、偶然、日本語が通じれば雰囲気もなごやかになるでしょう。
浅川君の論文は宮古島という島のことばを、人間の根本的な営みである言語活動として大きく取り上げることにも成功したと思うのです。今後のいろいろなケースについて考えさせられるものでした。

正門前にて


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