1. トップページ >
  2. 国際地域学部 >
  3. グローバル人材育成プログラム >
  4. 〔留学だより〕アメリカ・モンタナ大学

〔留学だより〕アメリカ・モンタナ大学

English (TOYO Global RDS)

モンタナ大学(アメリカ)に留学中

塚本彩華さん(国際地域学科 4年) 

多様な自然と人々の溢れる、モンタナ大学

モンタナ大学の風景私の留学先モンタナ大学は、冬場に風が吹くと体感温度マイナス30度に達するような極寒の地モンタナ州ミズーラにあります。
山間にあるキャンパスでは、冬場をのぞいてはリスや鹿が日常的に現れ、キャンパスの敷地沿いの川を渡れば学生で賑わうダウンタウンがあるという素晴らしい立地です。
冬場の温度とは反対に、ここに暮らす人々は本当に温かく、わずか5ヶ月しか滞在していませんが、もうすでに愛着があります。

授業紹介(その1):”Culture and Society”

秋学期は4科目12単位を受講しました。
その内の1つ、”Culture and Society” は基本的な人類学の授業で、特定のエリアに特化せず様々な文化形態を見ていく授業でした。
杉田映理先生(東洋大学国際地域学部国際地域学科 准教授)のゼミで開発人類学を学ぶ機会はあったものの、これまでベーシックな人類学を勉強したことがなかったので、受講することにしました。

この授業では、これまで知らなかったような文化、特に北米のネイティブ・アメリカンと東アフリカの民族について学び、より人類学への関心が高まりました。
また、日本人と中国人の受講生が合わせて10名程いたこともあってか、ほぼ毎授業、教授がアジアに関する事例を出してくれました。教授と現地の学生のアジアに対する印象が聞けてとても興味深かったです。
ある授業では、文化の衝突によって新たな文化・文明が生まれる、と述べた後に日本のラップ・ミュージックの例を写真で提示して、教授自らこれは間違った例だと思います、と言って、学生たちを笑わせていました。

この授業では教科書を読む量が想像以上に多かったのに加え、3週間に1度試験があったので、いかに効率よく、かつ、きちんと勉強できるか、自分の学習の在り方について考えることができました。

授業紹介(その2):”Gender and Communication”

こちらでは人類学を専攻していますが、今学期はコミュニケーションの授業も2科目受講しました。

日本ではあまりメジャーではないのですが、以前から開発分野における女性の役割に興味があったので、”Gender and Communication”という授業を受講しました。

まず驚いたのは、受講生の男性の割合です。30~35名の受講生のうち、約半数が男性でした。日本ではジェンダーに関する授業には15名中1、2名程度という割合だったので、それと比べるとだいぶ雰囲気が違います。
ジェンダーが学問分野として確立されていること、男女の位置づけが日本よりフラットであることを感じました。

この授業では、社会におけるジェンダーの存在についてはもちろん、生物学的な視点からもジェンダーについて学ぶことができました。
ディスカッションが多かったのですが、自分の弟がゲイであるという告白や、男性の視点からの意見、年配の学生さんだと自分の子どもに置き換えての意見など、本当に色々な角度からの意見が聴けました。

ジェンダーに関する授業は東洋大学で1、2年時にマリア・バレスカス先生(東洋大学国際地域学部国際地域学科 教授)の授業を受講していたため、基礎知識や概念を理解することに時間をかけず、スムーズに授業に入っていくことができました。

冬休みには、映画「milk」(2008)でもおなじみのサンフランシスコのカストロ地区に行きました。カストロ地区はかなりリベラルなサンフランシスコ内でも特に、ゲイの町と言われるエリアです(日本のゲイ・タウンともまた異なる雰囲気です)。
ここには「GLBT(Gay Lesbian Bisexual Transgender)History Museum」という小規模なミュージアムがあります。この地域において、ゲイやトランスジェンダーという性がどのようなプロセスを経て今日の形になったのか見ることができて、とても興味深いミュージアムでした。
そして、地域にもよりますが、アメリカでジェンダーという概念がどれほど社会に浸透しているのかを実感できました。

授業紹介(その3):”Family communication”

もう1つのコミュニケーションの授業は”Family communication”です。こちらはアメリカ社会の家族に関する授業でした。
私が東洋大学の国際地域学科で学習した中で特に心に残っている言葉の一つが、社会学の授業で聴いた「家族はどんな国でも地域でも最小単位のコミュニティーである」というものです。この言葉を聴いて、学問的に“家族”について考えてみたい、という気持ちを持ったことが、受講のきっかけでした。

アメリカの家族形態が中心の授業でしたが、多様化した家族形態や家族内の関係性は自分の家族や日本の一般的な家庭にもあてはまる部分が多くて興味深く、また家族がどのように個人に影響を与えるのかについても学ぶことができました。

この授業は進度がとにかく速く、学期当初は教授の話していることや学生達の意見が理解しきれず、かなり悔しい思いをしました。
この授業で自分の英語レベルの不足を痛感し、授業外でもっと多くの人と話をする必要性を感じました。

そして校内のメイン広場に看板を持って立ち、折り紙の鶴か日本語の名前を作ることと引き換えに、英語で会話をしてもらい、発音やスラングなどの表現を教えてもらうという活動を始めました。


モンタナ大に留学中の学生の活動が現地大学のウェブサイトに掲載されました(記事リンク)


この活動を通して自分の専攻とは全く関係ない人と話す機会を持てて、とても有意義な時間が過ごせました。当たり前のことですが、アメリカ人にだって色んな考えの人がいるのだと実感できて、自分らしく頑張ろう、と自信を持てたのも、この活動をしてよかった点です。

現地の友人たちと 現地の友人たちと

多様な学生、多様な習慣・価値観、そして新しい学習

モンタナ大学には日本人、ブラジル人、サウジアラビア人がとても多いです。他にも、オーストラリア、イギリス、中国、韓国、フランス、パキスタン、モロッコなど、たくさんの国から留学生が来ています。

私はルームメイトがブラジル人なので、本当に多くのブラジル人の友人ができました。ブラジル人の価値観や文化、彼らにとってのブラジルの認識などを聴くことで、これまで私が持っていたブラジルの印象が大きく変わりました。
例えば、かつては私がブラジルについて知っていることといえば、漠然とサッカー、資源、そして経済発展に伴う貧富の差の拡大といったところでしたが、彼らはブラジルの貧困問題、政治、食習慣、多様な人種構成などを彼らの視点で私に教えてくれました。
こうした経験はブラジルに限ったことではなく、他の国の留学生からも私の知らない各国の事情や文化、物の見方を教わりました。

また、現地の学生や留学生仲間との関わりを通して、“コミュニケーション”について考える機会が増えました。コミュニケーションの取り方は、私たち日本人と、他のアジア人のスタイル、ヨーロッパ、アメリカ、そして南米のスタイルと、それぞれが大きく異なります。
留学前まで、アメリカ人はみんなハグするものだと思っていたら、実際には初対面でハグする人は滅多にいませんでした。一方で南米出身の友人たちは挨拶として常にハグをします。
様々な人たちと時間を共有することはとても刺激的で、日本人としての自分を見つめなおす機会にもなります。

さらに、これこそ留学ならではの体験だと強く感じたのは、日本を切り離して、アメリカと他国の関係を当事者たちから直接、日常的に聴けることです。
先日にはランチ中に、中国人とアメリカ人の友人が共通の政治学の授業について話し始めました。
彼らによると、その授業にゲストスピーカーとして来た外交関係者が、受講生の前で中国批判を始めた、とのことでした。
アメリカ人の友人は中国人の彼に申し訳なさそうに謝ってから、正直どう感じたか尋ねました。これに対して中国人の彼は、中国人である彼から見たアメリカと中国の存在について話し、加えて客観的な視点からゲストスピーカーの発言に対して理解を示していました。
こうした意見はそれぞれ個人の意見ではありますが、どんなに他国のことを理解したくてその国の人の目線に立とうとしても、やはり自分が日本人であるかぎり限界があります。こうした経験を多く得られていることは国際理解という観点からとても意義のあることだと感じています。

彼らとの交流を通して、日本人としての自分を表現することの重要性と、一方で自分とは異なる価値観や文化背景を持った人を尊重し、学びとる柔軟さの重要性を学びました。

留学生用のプログラム:”Community Friend”―人間関係を学ぶ

私は留学生用のプログラムの1つ、”Community Friend”に参加しています。”Community Friend”とは、地域に住む家族の方と週末にご飯を食べたり映画を観たりなどの交流の機会を作ってもらえる、ホストファミリーのようなシステムです。
私のCommunity Friendである家族には2人のお子さんがいますが、8歳の下のお子さんは、中国からの養子です。
日本では“養子”はあまり馴染みがありませんが、ミズーラでは養子としてアメリカの家庭で育ってきた方とお会いすることは少なくありません。
私にとっても、養子を持つ家族と親しくなるのは彼らが初めてでした。この家族は私がアメリカで最も親しくなった家族で、彼らの養子に対する考え方に触れ、その生活を実際に目にすることで、新たな家族観を知ることができました。

また、この秋学期中に何度か祝日がありましたが、アメリカでは祝日は家族と過ごすことが多く、Thanks givingのような1週間程の休みができると現地の学生の多くが帰省します。
10月には大学で”Family Week”というものがあり、キャンパスに多くの学生の家族が訪れていました。ある友人の家族はなんと、5人でポートランドから車で片道12時間もかけて大学まで来ていました。

家族に会えなくて寂しい、といった声もここでは頻繁に耳にします。日本では何となく恥ずかしくて言えない言葉ですが、誇りを持って率直に話す友人たちを見て、考えさせられました。

授業で”Family Communication”を受講していたこともあり、秋学期は“家族”について考える機会が多かったです。アメリカ社会の価値観を少しばかり覗けて、加えて学問的にも“家族”について理解するいい機会でした。

またアメリカでは、日本と比べると年齢による上下関係が少ないと感じます。どちらがいいとは一概に言えませんが、私はミズーラで、人間の本質を見るようになったと思います。
私のここでの友人の多くは私より年下です。最も親しいアメリカ人の友人はまだ18歳です。もしここが日本だったら、彼は私に対して敬語を使うだろうし、良い意味でも悪い意味でも何かしらの壁が存在したかもしれません。
でも、彼は私の本質を見てくれた上で友人としての関係を築いてくれているし、私も彼のことを人として尊敬しています。
ここでは多くの人が年齢に縛られずに交流しています。尊敬の気持ちは言葉とは違う形で表現されています。

言語の壁とは?

正直なところ留学前は、専門的な学問のために留学したい、といった気持ちが大きかったです。
しかしここに来てまずぶつかったのは、言語の壁でした。
留学生同士のコミュニケーションは、ほとんどがお互いに英語は外国語であるためあまり問題はありませんでした。しかし英語が母語である現地学生とのコミュニケーションはなかなか思うようにいきませんでした。
スピーキングではとっさに単語が出てこなくて言葉が詰り、発音が間違っていて頻繁に聞き返され、リスニングでは聞き取れず、スペルを聞いたら実は知っている単語だった、なんてことがよくありました。気持ちが落ちこみ、英語がなんだ!と学ぶ姿勢が崩れた時もありました。
ですが幸運にも友人たちが単語や発音を正してくれ、根気強くコミュニケーションをとってくれました。そのおかげで自分の英語力を直視して、前向きに改善に取り組むことができました。

良い意味で想像と異なったのは、授業の専門用語です。
受験勉強や東洋大学の外国語で学ぶ専門科目の授業で頭に入っていた単語が、全てを聞き取れなくても話の内容を理解するヒントになりました。
そして、語学力以前の問題で、話のバックグランドを知っているかいないかで授業や会話の理解度が全く異なることにも気づきました。授業の内容や、ここでは頻繁に話題に上る政治や文化といったトピックも、背景知識や自分の意見があることが大前提です。その2つさえあれば、英語で多少つまずいてもコミュニケーションが可能です。
英語はあくまで会話のツールであり、形にとらわれすぎるより、相手の話を理解し、自分の話も相手に伝わるということが重要なのだと日々感じています。

さいごに

大変長くなりましたが、ここまで私の体験談を読んでくださってありがとうございます。留学の形は十人十色ですが、確実に自分自身を見つめなおす時間になると思います。
留学期間も残り4ヶ月になりました。自分の留学の色を見つけられるよう、残りの日々を大切に過ごして行きたいと思います。


国際地域学科4年 塚本彩華
(留学期間:2013年8月~2014年5月 モンタナ大学)


【学生の声】ページへ

【留学・国際交流】 国際交流協定校のページへ