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〔学生の声〕日本語パートナーズ・インドネシアでの活動を終えて

English (TOYO Global RDS)

国際地域学部国際地域学科4年 高山あやな

【はじめに】

私は“日本語パートナーズ”インドネシア5期として、2016年8月からの約7ヶ月間、ジャワ島中部南岸にあるジョグジャカルタ特別州へ派遣されていました。首都ジャカルタから飛行機で約1時間のこの街は、王宮文化が今もなお続いており、古都の素朴な雰囲気が漂う伝統的な街です。歴史的建造物も多く残っており、ボロブドゥールやプランバナンと聞いてピンとくる方も多いのではないでしょうか。

派遣されていたSMA BOPKRI 2(ボプクリ第2高校)は、ジョグジャカルタの中央部に位置するキリスト教系の私立学校です。廊下や壁、教室に生徒が描いた絵や作品がたくさん飾られている明るい雰囲気の学校でした。私は約270名・全11クラスで日本語の授業のアシスタントをしていました。そんなジョグジャカルタの高校で過ごした7ヶ月を振り返り、いくつか印象的だった出来事を紹介したいと思います。

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5【授業初日、驚きの連続】

授業初日のことは今でも忘れられません。私がクラスに入ると「キャー!!」という歓声と拍手とともに大騒ぎの中迎えてくれました。驚くのと同時に思わず笑ってしまい、それまでの緊張が一気に解けた気がしました。日本語とインドネシア語での簡単な挨拶を終えると、質問攻撃が始まります。「何歳ですか?インドネシア語は話せますか?インドネシアの好きな食べ物は?彼氏はいますか?Instagramはやっていますか?電話番号を教えてください!」などなど、日本だと初対面の人には遠慮してしまうような質問が次から次へと投げかけられました。最初は驚きもありましたが、そのような質問をするのは、私はあなたと仲良くなりたいあなたにもう心を開いていますよという気持ちの表れだそうです。あるクラスでは、「日本の歌を歌ってください!」と言われ、1曲歌うと、「他にも他にも!」と結局4曲ほど歌ったりもしました。お礼に、とインドネシアの歌も教えてくれて、初日から生徒たちと文化交流ができてとても嬉しかったことを覚えています。今思うと、活動中はこのように、予定にないことや、驚きの連続でした。そんな想定外の出来事のおかげで、生徒も自分も楽しめたということがたくさんあったと感じます。

【カラフルな制服、伝統衣装】

 みなさんはインドネシアの正装をご存じですか?古くからの技術である、ろうけつ染めの手法で、地域によって違った模様が描かれている“バティック”というシャツが正装なのです。学校の先生や職員の方たちは曜日によっておそろいのバティックを着ます。週に一度、先生・生徒全員が好きな色のバティックを着る日があり、その日は学校がとてもカラフルです。また、特別なお祝い事や行事があるときは民族衣装の “クバヤ”を着ます。約2ヶ月に一度、全員がクバヤを着る日もあり、学校全体がとても華やかになります。そんな光景が、いつも明るく楽しいことが大好きなインドネシアの人たちの雰囲気にとても合っていて、大好きでした。驚いたのは、学校でクバヤを着る時はチェックが厳しく、正しく着ていない生徒はあとで先生に呼び出しされてしまうほどです。私がバティックやクバヤを着て道を歩いていると、通りすがりの人でも「似合ってるよ!」と声をかけてくれて嬉しかったです。街に出るとバティックを着ている人を見かけるのは日常茶飯事で、年配の方の中にはいつもクバヤを着ている人もいました。伝統的な文化がいつも身近にあり、それを引き継いでいくことをとても大切にしていることが伝わってきて、素敵なことだと感じました。

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【いつも元気いっぱいな生徒たち】

毎朝、授業の前にクラス全員で国歌インドネシア・ラヤを歌うのですが、男子生徒も女子生徒も教室の前の国旗に向かい大きな声で歌う姿は、派遣当初、印象に残った出来事の一つでした。最初の頃は、私の方をちらちら見ながら、私がちゃんと歌えているか確認している生徒がいておかしかったです。歌を歌うときに限らず、生徒たちはいつも本当に元気いっぱいでした。ささいなことでもしょっちゅう爆笑が起こります。そんな時はこちらも一生懸命に大声を出さないと聞こえないのでとっても大変です。でもこちらが何かを言うと、必ず何か返してくれ、毎回の授業で質問もたくさんしてくれます。教壇に立つとやはり緊張するのですが、そういった面では生徒たちの元気さに本当に助けられました。習った文法を一生懸命使って日本語を話してくれるときは、本当に嬉しいです。また、授業で単語を覚えるために歌った歌を、休み時間になっても廊下で歌っている生徒たちの姿を見たときは、微笑ましく、とても愛しく感じました。

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【仲良しな先生と生徒】

 インドネシアの学校で生活してみてすぐに、先生と生徒の距離が近いな、と感じました。おしゃべり好きな気質もあってか、先生も生徒もお互いに冗談を言い合い笑っている光景をよく目にしました。一方で先生に対しての尊敬も感じられました。生徒は、どの先生に対しても会うと必ず挨拶し、握手をするのですが、握手のやり方が日本とは違っていて、生徒が先生の手を取って、その手に生徒自身のおでこや頬をくっつける、というものなのです。インドネシアの学校でよく目にするこの握手の方法は、イスラム教とジャワ島の文化が混ざったものだと聞きました。私に対しても生徒たちは、いつも「あやなせんせい!」「こんにちは!」と日本語で声をかけてくれて、その握手をしてくれます。生徒にとっては当たり前の習慣だったのかもしれませんが、私にとっては、生徒に受け入れてもらえたようで、特別な感じがしました。

 私のカウンターパート(以下CP)であるインドネシア人の先生は、時に優しく時に厳しく生徒に接する先生で、生徒とも仲が良かったです。CPの先生と生徒たちとは、休日もよく一緒に出かけたり、食事をしたりしました。ジョグジャカルタの街を観光したり、生徒の家でたこ焼きや巻き寿司を作ったり、またあるときは、私の誕生日会を開いてくれたりもしました。先生や生徒とは日本語とインドネシア語をごちゃ混ぜにした言葉を使い、伝わるように必死で会話をしていましたが、お互いが学ぶ姿勢・教える姿勢だったからこそ、距離が縮まるのも早かったのではないかと思います。そんな先生や生徒たちのおかげで、大切な思い出がたくさんでき、ジョグジャカルタが大好きになりました。

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【最後に】

7ヶ月間の活動を振り返ると、本当にたくさんの出来事があり、嬉しかったこと悲しかったこと、大変だったことなど様々です。今改めてジョグジャカルタでの生活を思い出してみると、日常での些細な嬉しかった出来事や楽しかった出来事が思い出されます。時には、自分が生徒たちに対してできることは何なのか、何のためにインドネシアに来たのかを悩むこともありました。しかし、7ヶ月という短い期間でしたが、出会った人も街も、すべてが大切で、第二の故郷ができたという喜びでいっぱいです。

私は、少しでも日本のことを知ってほしい、日本語を学ぶ人の力になりたい、という気持ちで日本語パートナーズに参加しました。私がおこなった活動が、インドネシアで出会った人々に対してどのような影響を与えられたのかはまだ分かりません。至らなかった点も多かったはずです。でも、以前よりも日本に興味を持つようになった、好きになった、という人が少しでもいたら嬉しいです。

最後のお別れの時、生徒たちが「先生のことは絶対に忘れません。」「日本に行って先生に会いたいです。」と言ってくれ、中には涙を流している生徒もいました。そんな生徒たちの言葉を胸に、これからも日本語を勉強する人たちを応援していきたいと思っています。