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<平成26年度>井上円了哲学塾 公開講座 第6回が開催されました

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E6「哲学とこれからの市民文化」

2014(平成26)年12月13日(土)16時20分より、本学8号館8B11教室において、井上円了哲学塾リーダー哲学講義第6回が開催されました。

講師は大谷大学教授の哲学者鷲田清一氏で、「哲学とこれからの市民文化」というテーマで御講演いただきました。塾生・学生、および一般の公開講座申込者で聴講者数は約200名でした。

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鷲田氏はまず、様々な社会問題について若者の前で話すことが辛く、申し訳ない気持ちになると話されました。それは、「右肩上がりの時代を生きた世代が、『現在の自分たちの利益のためにどれだけ未来を先取り(=先食い)するか』という視点によって行動してきた」ことによって生じた問題であり、「『未来の人の視点を考慮して現在に為すべき行動を考える姿勢』とは正反対である」からだと話されました。

鷲田氏は次に、「身長が伸びなくなってようやく大人になるわけです」という原研哉さんの言葉を紹介しながら、現代のような成長が止まりつつある時代は、社会が成熟したと見ることもできると述べ、これから成熟した社会を生きる市民は、「価値の遠近法」を用いてものごとを仕分けしていく必要があると話されました。

「価値の遠近法」とは、ものごとを、(1)絶対に手放してはならない、守らなくてはいけないもの、(2)有るに越したことはないが、無くても良いもの、(3)端的に無くて良いもの、(4)絶対にあってはならないものの4つのカテゴリーにざっと分類できる能力で、この能力に基づいてどのような取り組みをすれば良いのかを考えることが必要となってくると話されました。

鷲田氏は次に、現代の日本人はまわりの人の「命の世話」をしなくなり、市民力が低下しているという話をされました。それは、出産、排泄物の処理、病気の予防と対処、埋葬など、ある時代までは自分の家や近所との協力の中でやってきたことを、国や特定の企業が引き受けるようになり、市民はそのサービスを『買う』だけになったためである。「命の世話」の役割を担えなくなった市民たちは、その権利を政府から取り返す力も、コミュニティの力も失った。その結果、クレームを言うことしか出来なくなってしまったと話されました。そのような中で、一部の若者たちの中には、あえて「命の世話」が必要となる、自分たちで生活基盤が制御できるライフスタイルを目指している人もいるようです。

鷲田氏は、現代のような社会が縮小していく時に必要なリーダーは、先頭に立つ人ではなく、しんがりを務められる人だと話されました。それは、だれかに犠牲が集中していないか、リーダーが見落としているところがないか、リーダーにそろそろ体力の限界が来ているのではないか…と、全体に目配りが出来る能力だと言います。その能力を培うためには哲学が必要だと話されました。

第1にこの社会の隠れた前提を見直そうとする哲学的試み、第2に全体への目配り、第3に問題の兆候を察知出来るセンスが必要だと話されました。哲学の知恵とは、台所で料理をする時のように、食材を見て何を作るのか考えながら、洗いものをするタイミングを考え、料理が冷めないように仕上げ…という形で、様々なものごとが地続きになっているという観点から、全体を視野に入れて色んな知恵を同時に活用することであり、その意味で私たちにとって無くてはならないものだという言葉で講演を結ばれました。

※終了しました