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<平成26年度>井上円了哲学塾 公開講座 第5回が開催されました

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E5「文明と文化の間を哲学する」

2014(平成26)年12月6日(土)16時20分より、本学井上円了ホールにおいて、井上円了哲学塾リーダー哲学講義第5回が開催されました。

 講師は東洋英和女学院大学前学長、東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授の村上陽一郎氏で、「文明と文化の間を哲学する」というテーマでご講演いただきました。塾生・学生、および一般の公開講座申込者で聴講者数は約170名でした。

村上氏はまず、文明という概念について話をされました。18世紀以前の神・人間・被造物の構造から神を追放することにより、人間はすべての支配者としての地位を獲得することになります。これを18世紀の「世俗化」と指摘されました。特に、ディドロの『百科全書』の扉絵を参照され、ディドロが若い時は熱烈な信仰者であったのが、後に完全な無神論者に転向した過程とも合わせて、扉絵の雲を切り裂く光と真理の女神のヴェールを取る行為によって、人間が神に代わって世界を管理する、という文明の意味を説明されました。

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次に文明と文化について、その違いを説明されました。その中で、文明は周辺文化への強い教化の意志と、それを実現するための<力>(軍事、教育、経済制度など)を具備する、という特性を指摘され、日本は、豊臣秀吉の朝鮮出兵や太平洋戦争での八紘一宇の理想を求めた例外はあるものの、本質的には「日本文明」とはいえないと説明されました。また、現在の近代西欧文明においては、科学・技術による教化力が目立っているとも指摘されました。

現代西欧文明では、科学・技術と経済システムによる「グローバリズム」が最も「文明」的現象だが、そのなかには、一方では近代西欧の発想(例えば基本的人権や価値の多様性など)も含まれ、特に価値の多様性は、グローバリズムと正面から矛盾するとの指摘がありました。国連は、出発当時の内政不干渉を謳いながら、2006年に決定されたR2Pによって、人権を保護するための内政干渉に移行した点を、その矛盾の最も劇的な現れと主張されました。ここでは「人間として最低限保護されないといけないものは何か」という課題が示され、尊厳死を例にとり、Physician assisted death(Pad)すなわち、自死を医師が助けることについてどう考えるかと、聴衆に問われました。そして一人一人が、人間の最低限の尊厳をどう考えるかという立場に追い込まれて行く、または、それを考えざるをえないときに必要となるのが哲学であると講演を結ばれました。