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第3ユニット 第5回研究会報告

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「リベラリズムの自己理解『負荷なき自己』の限界とコミュニタリアニズムの自己像――サンデルの場合」「チャールズ・テイラー、コミュニタリアニズムの原則と「近代」の理解」

第3ユニット第5回研究会報告

第3ユニット第5回研究会が、2月28日に東洋大学白山キャンパス第1会議室で行われ、村松聡・早稲田大学文学学術院准教授と長島隆研究員が発表を行った。

村松氏は、「リベラリズムの自己理解『負荷なき自己』の限界とコミュニタリアニズムの自己像―サンデルの場合―」と題する発表を行った。ロールズの議論を紹介し、それに対してサンデルがコミュニタリアニズムの立場から徹底的に批判をしていることを紹介する趣旨の発表であった。

リベラリズムとは、大まかにいうと、自己決定権・自律尊重原理に基づき、「自己決定権に制限を加えることができるのは危害原理のみである」とする立場である。その特徴は、多元的価値の支配する社会でお互いを尊重しようということにあり、ロールズの正義論もこの観点に立っている。ただ、自己決定権は大切であるものの、では自由に遺伝子操作をしてよいのかなど、自律原則に基づいて解決できない倫理的問題が生じてくる。ゆえに、よさ、幸せ、徳などの価値を追求する必要があるのではないかという議論も出てくる。しかし、その場合も、独断ではなく共通理解を得られるような幸福理解や徳論をわれわれが持ち合わせているかという問題が生ずる。このような相対主義と独断論という両方の危険を避けて隘路を行く必要があるというのが氏の問題意識である。その上で、氏は、関連する基本事項に対して丁寧な解説を加えていった。

第3ユニット第5回研究会報告

最後に、もっとも弱い者に分配するということ(格差原理)が適用されるには共同体感覚が自己にとって拘束力となることが必要であるが、それを実現するには、ロールズ流の、自己の本質は自由であり共同体のしがらみから独立しているという「負荷なき自己」というリベラリズムの自己理解では不可能であり、共同体や他者を自己の本質的構成要素と考える自己理解が必要である。これが、コミュニタリアニズムの立場のサンデルがロールズを批判した議論のうち最も強いものであると結んだ。

長島隆研究員は、「チャールズ・テイラー、コミュニタリアニズムの原則と「近代」の理解」と題する発表を行った。Charles Taylorは、1931年生まれのカナダの哲学者であり、HegelやA Secular Age等の大著を数冊発表してきている。

第3ユニット第5回研究会報告

テイラーの問題意識は、西洋近代とは異なった「近代化」がありうるし、現にあるというものである。その際、近代の自己理解こそが近代の出発点であるので、その自己理解の解明が、近代の諸問題の解明の糸口となろうという。そして、テイラーは、そのための概念装置として「社会的想像(social imaginary)」を提唱する。それは、共同で行われるさまざまな慣行を可能にするような共通理解であり、一般の人にまで無自覚的に浸透しているものである。続いて、近代の自己理解の具体例として「世俗性」などを取り上げ、最後に、テイラーのコミュニタリアニズムは、このような社会的想像の概念が物語るように、理論家の空間ではなく、一般の人の社会空間を重視するものであると締めくくった。