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第2ユニット 第1回研究会報告

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白居易の戯題詩

第2ユニット第1回研究会報告

 

第2ユニット第1回研究会が2011年7月25日(月)に開催され、坂井多穂子研究員による「白居易の戯題詩」と題した報告がなされた。
白居易は白楽天という名称で広く知られている唐代の詩人である。白居易は2800余首の詩を残しているが、そのうち78首が戯題詩(詩題や白居易自身による注に「戯」の作であることが明記されている詩)に該当する。白居易の戯題詩のほとんどが雑律詩だが、当時は「詩は苦吟して作るのが尊い」という認識があったため、苦吟を経ず出来あがる雑律詩を白居易は44歳の頃まで軽んじている。しかしそれ以降に戯題詩は増加している。軽んじられていた雑律詩である戯題詩が増加したのは、白居易が40歳頃に母と幼い娘を立て続けに亡くしており、そうしたことから白居易の心境が変化した結果と考えられる。
白居易の戯題詩は内容に関しては大きく2つに分けることができる。1つは人(友人)と戯れる詩で、ほとんどが「宴」に関する春の詩である。つまり春の景色を見ながら宴を開くというシチュエーションが多くみられる。そして多くが人と唱和したものである。こうした戯題詩には「興」、「癖」、「狂」といった言葉がよく出てきている。「狂」という言葉は『論語』や『荘子』にも出てくるが、白居易以前には自分のことを「狂う」と言った人はほとんどいない。ここでの「狂」は自分を卑下しているわけではなく、むしろ俗人とはかけ離れているという誇りを示す言葉で、白居易による「狂」という言葉の使用例は百例以上ある。

第2ユニット第1回研究会報告人にではなく物を詠んだ詩の中でも、いくつか戯題詩が見られる。「戯れに新たに栽えし薔薇に題す」詩(807年36歳)では薔薇に、「戯れに山石榴に問う」詩(817年46歳)では山つつじに対して戯れかかっている。さらに洛陽での連作(834年63歳)では、林園(庭園)を擬人化して白居易と林園の間で詩を贈答し合うということがなされており、唱和する相手がいない場合は目の前の物を擬人化して相手とし、一人二役で唱和するようなったことが分かる。そして「自ら戯る三絶句」(840年69歳)では、唱和する相手がいないため自分の身と心を分けて詩を贈答し合っている。晩年(842年71歳)の「池鶴八絶句 并びに序」では鶴とそれ以外の鳥と対話させている。そこでの鶴は自分を他の鳥から一線を画そうと屁理屈を重ねるのだが、その鶴に白居易は自分の姿を投影している。全体を見ると、物を詠んでいたのが我を詠むようになっていった、つまり白居易の作る詩が「詠物詩」から「詠我詩」へと変わっていったと言える。

フロアからは様々な観点から質問が挙がり、白居易の思想・宗教について、あるいは戯題詩についての理解が深まった。白居易の思想・宗教について、白居易において儒教、老荘、仏教が融合しており、老荘や仏教に傾倒するようになるが儒教的なものがゼロになるわけではない。時期的に見ると地方へと左遷された時期と仏教に傾倒していった時期が重なるが、こうしたことと戯題詩の増加は無関係ではないだろう。また戯題詩について、その条件が近代詩であること、詩題や自注に「戯」という言葉が入っていること、即興詩であることを挙げることができるが、絶対に必要な条件ではない。現代に生きる私達には当時における「戯」は非常に分かりづらく、少なくとも半分不真面目になっている詩だと思われる。
研究方法の観点からも、データベース化がどれほど進んでいるのかという質問が挙がった。白居易のみでなく唐代のあらゆる詩が入っている『全唐詩』が北京大学のホームページにある。唐代はまだ写本の時代だが、清の時代に勅命で『全唐詩』が編纂され、これがデータベース化されており、様々なテキストとの違いも見ることができる。白居易等に関してはウェブ上のデータベースを使った研究が可能になっていることが確認された。