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第1ユニット 第4回研究会報告

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「日本をどう考えるのか:井上円了の忠と孝」

2012年10月31日、東洋大学白山キャンパス3号館第2会議室にて、岩井昌悟研究員による発表「日本をどう考えるのか:井上円了の忠と孝」が行なわれた。発表者による要旨は次のとおり。

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井上円了は一貫して同じことを述べたのか、それとも途中で立場が変わったのか。実はこれがとらえにくい。たとえば『奮闘哲学』(大正6年)で「護国愛理」に関して円了は「かつて『仏教活論』を著せし当時、護国愛理を唱え、学者は一方に真理を愛し、他方に国家を護せざるべからずと説いたことがある。(中略)つまり向上門にありては愛理を目的とし、向下門にありては護国を本意とすべしとの意なりしが、爾来数十年の経験を積むに従い、(中略)護国のうちにおのずから愛理のあるを発見するに至った」と述べており、この言説からすれば、何かしらの思想的変化が認められてしかるべきであるが、この新しい発見であるべき「護国のうちにおのずから愛理のある」は、実は明治20年の『仏教活論序論』で「余は、いわゆる愛理を先にして、護国を後にするものなり。しかれども、その真理を愛するの本心は護国の一念に外ならざるをもって、余が真理のために喋々するもの、みな護国の精神にあふれて外に流るるもののみ」と、ほとんど違いの分からない内容がすでに述べられているのである。

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そこで本発表では試みとして『教育勅語』発布(明治23年)をターニングポイントとして思想的な変化があったのではないかとの仮説に基づき、『教育勅語』の前後で思想がどのように変化しているかを、いくつかの視点に絞って比較検討してみた。『教育勅語』以前の著作の中心は仏教再興を目的としており、仏教再興のためにキリスト教を排撃し、キリスト教排撃のためにハーバート・スペンサーの社会進化論を援用し、そして仏教再興が日本独立の維持につながるとするのであるが、『教育勅語』以後は、それ以前には見られなかった「忠孝一致」論が強く打ち出されていることが看取される。しかもこの「忠孝一致」は実現すべき理想といったものではなく、前提とされ、すでに実現しているものとして扱われている。ここには思想の変化とまでは行かずとも、力点の変化は容易に見て取れよう。

なお社会進化論に関しては、『破唯物論』(明治31年)で「これを生物学もしくは有形学の範囲にとどめずして哲学上に及ぼし、心理も社会も道徳も宗教も、みな進化の一本槍をもって取り扱わるるに至りたるは、余輩の賛成せざるところ」として適用範囲を限定しようとするものの、『活仏教』(大正元年)では再び「すべて活物は必ず発達す、草木動物、人類社会みなしかり。活物ならざるものもまた進化す、天体、地球のごときこれなり。したがって人類社会の特産たる学芸、美術、政治等に至るまで、一として発達進化せざるはなし」といった言説が見られ、終始強い影響が見える