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第1ユニット 第3回研究会報告(2012年)

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近世日本における中国善書の流伝およびその影響:中江藤樹の宗教観を中心に

第1ユニット第3回研究会報告

2012年度の第1ユニット第3回研究会が、9月13日、東洋大学白山キャンパス文学部会議室にて開催され、中華人民共和国・復旦大学教授で当センター客員研究員の呉震氏による「近世日本における中国善書の流伝およびその影響:中江藤樹の宗教観を中心に」と題した発表がなされた。当日は、残暑厳しい中、20人近くの参加者があった。

「近江聖人」と称された中江藤樹の『鑑草』は、日本善書史上、最初の書であり、江戸思想史上に顕著な足跡を残した。中江藤樹は、明末の思想家である顔茂猷の『迪吉録』を重んじ、『鑑草』全61条の勧戒条例のうち、その48条をこの『迪吉録』から採録した。

第1ユニット第3回研究会報告

呉氏は、『鑑草』を『迪吉録』の節録として紹介し、その受容の特徴を分析した上で、その後の江戸思想史上に見られる『迪吉録』の影響について論じられた。呉氏によれば、中江藤樹の宗教観には、明らかに中国的要素が見られる。藤樹は普遍主義的な立場から、中国の皇上帝や太乙神等の観念を、「我の為に用いる所」として積極的に受容した。しかし、その藤樹における宗教信仰には、さらに日本の神道思想の要素がある。つまり藤樹には、中国の宗教観念を、日本の神道思想として読み直し、受容していた思想的傾向があったのである。呉氏は、この現象を「本土化」あるいは「現地化」、つまり「日本化」として紹介され、中江藤樹の外来宗教の摂取の仕方を、その典型例として位置付けられた上で、かかる「現地化」が、中江藤樹以降の勧善思想家たち、すなわち浅井了意、藤井懶斎などにも見られることを実証的に論じられた。呉氏によれば、歴史上の文化交流は、決して一方からの抑圧的なものでは無く、むしろ相手の文化を取り入れると同時に、それを読み直し、場合によっては批判を行ってきたものであり、その「読み直し」ないし「現地化」は、現地の一般民衆に外来の有益な教えを広めるための措置であったと結論付けられた。

会場からは、中江藤樹の思想哲学に関し、至極活溌な質疑応答が交わされ、大盛況のうちに幕を閉じた。