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国際井上円了学会フランス研究集会を開催

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東洋大学国際哲学研究センター(IRCP)は、2012年6月30日、フランス、コルマール近郊のキンザイムに位置するアルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)において、同研究所およびストラスブール大学日本学科との共催のもと、国際井上円了学会フランス研究集会「井上円了とその時代」を開催した。

国際井上円了学会は2012年9月に正式な発足を予定しているが、本研究集会は、それに先立って、諸外国ではまだほとんど知られていないこの明治期の哲学者・教育者の思想を国際的な視野から評価するための国際的なネットワークの形成の一環として開催されたもの。本研究集会が開催されたCEEJAは、日本と経済・文化・科学・技術の分野における密接なつながりを有したアルザス地方において、日仏の学術交流を深めるために設立され、数多くの国際的な学術的な集会が行われている研究機関である。

ドイツとの国境にほど近い風光明媚なアルザス地方は、比較的過ごしやすい気候で知られているが、研究集会が行われた6月30日には例外的な暑さを迎えていた。それに勝るとも劣らぬ熱気のもと、井上円了を巡って国内外の研究者らの議論がたたかわされた。

研究集会には、IRCPからは竹村牧男研究員(学長・文学部教授)、三浦節夫研究員(ライフデザイン学部教授)、フレデリック・ジラール客員研究員(フランス国立極東学院)、黒田昭信客員研究員(セルジー・ポントワーズ大学)、ライナ・シュルツァ客員研究員(フンボルト大学)が発表者として参加し、外部講演者としてボルドー大学准教授のエディ・デュフルモン氏、パリ大学国際大学都市日本館図書室司書の市川義則氏に参加いただいた。CEEJAからは同研究所副所長でストラスブール大学日本学科教授のサカエ・村上=ジルー氏をはじめ多くのスタッフの参加をいただき、また聴講者として日本学術振興会ストラスブール研究連絡センター長の中谷陽一氏、フランス国立東洋言語文化大学日本学部教授のミカエル・リュッケン氏ほか多くの方の来場をいただいた。

竹村研究員の開会の辞のあと、村上=ジルー氏から歓迎の辞をいただき、黒田研究員の司会で研究集会午前の部がはじまった。

まず、三浦節夫研究員が「井上円了の生涯」と題した発表を行ない、井上円了の出生から東京大学で受けた教育、その後の哲学館の創設、著述活動の概要、全国行脚や世界旅行などの実践的活動など、円了の生涯および多岐にわたるその活動について、万遍なく整理・紹介をした。フランスにおいてはじめて行なわれる井上円了についての研究集会の口火を切るにふさわしいものだったと言える。

次に、竹村牧男研究員が「井上円了の哲学について」と題した発表を行なった。三浦研究員の発表が井上円了の生涯や実践的な活動に力点を置くものであったのに対し、竹村研究員の発表は、その哲学観、すなわち井上円了が「哲学」というものを諸学との関係においてどのように捉えていたのかという点をめぐるものであった。竹村研究員は、一方で特にヘーゲルなどの西洋哲学、他方で仏教思想といった、井上円了の哲学思想の形成に影響を与えた思想を具体的に整理することによって、その哲学思想の根本が哲学と仏教にあったことを指摘し、さらに、井上円了が、哲学の広範な探求を経て、「現象即実在」の立場から、ただ活動してやまない「活動主義」へといたることを明らかにした。

これらの発表が、井上円了の生涯および思想を内在的な視点から検討するものであったのに対し、午前の部最後のライナ・シュルツァ研究員による発表「大乗哲学とスピノザ哲学の比較についての井上円了の考え」は、円了思想と西洋思想との比較に基づいてその広範な射程を検討するものであった。シュルツァ研究員によれば、すでに明治期に大西祝やその哲学上の師であったルートヴィヒ・ブッセらは、井上円了の仏教思想とスピノザの汎神論との類似を指摘していた。

井上円了自身、1895年には「仏教哲学とスピノザ哲学との比較一斑」という論文を発表しており、その成果は1902年の『宗教哲学』においても見られる。これらを手がかりにして、井上円了の思想とスピノザ哲学とを比較検討することで、井上円了自体を日本の比較哲学の先駆者とみなすことができるという展望が開かれることが示された。

その後参加者全員で、CEEJAにて昼食を囲んだ後、三浦研究員の司会で午後の部がはじまった。午後の部は、井上円了の思想および活動を、日本近代思想史および日本の近代化という文脈のなかに位置づけることを大きな課題とするものである。

まず、市川義則氏の発表「井上円了の洋行と日本人の海外移住――民衆教育者としての一側面」は、井上円了の幾多の海外旅行のなかでもほとんど注目されてこなかった南米旅行に焦点を当てるものであった。市川氏は、まず明治期における日本の移住政策の実態について、とりわけ南米が移住先として選ばれることになった経緯や移住後の社会の実態を概観した後、『南半球五万哩』などの井上円了の旅行記や同時期の記録などを比較検討することによって、井上円了の洋行がどのような意義および問題点を有していたのかを、豊富な資料を用いて明らかにした。
とりわけ、井上円了が足を運んだ、ブラジルのサンパウロ州のグァタパラ氏の日本人社会が当時いかなるものであったのかについての内容の濃い報告は、井上円了の活動を多角的に評価する視座を提示するものであった。

続いて、エディ・デュフルモン氏から「唯物論と無神論を巡る論争――中江兆民、井上円了と仏教」と題した発表が行われた。デュフルモン氏によれば、井上円了と同じ時代、中江兆民もまた、表面上の批判にもかかわらず、仏教に強い関心を示していた。このことは、例えば兆民によるアルフレッド・フイエの『理学沿革史』の翻訳などからもはっきり読み取ることができる。こうした関心の交差は、「破唯物論」の著者であり「新唯心論」を唱えようとした井上円了の立場と、唯物論「続一年有半」の著者であった中江兆民の立場とが哲学的にも政治的にも異なっただけに、きわめて示唆に富む。デュフルモン氏は、専門としている中江兆民の思想と井上円了の思想とのこうした比較考察を通じて、明治思想史における仏教の位置について興味深い視座を提起した。

フレデリック・ジラール研究員の発表は、まさしく「明治期に於ける仏教の状況について」と題され、この時代の日本における仏教の状況をいっそう多角的に検討するものであった。ジラール研究員によれば、明治仏教は、一方ではドイツの比較神話学者・東洋学者マックス・ミューラーの影響など、解釈の学問的・科学的方法論という面では進化をとげたが、しかし廃仏毀釈などの影響で、社会的・制度的には衰退の危機に瀕した。
1920年代に日本を訪れたフランス人の仏教学者シルヴァン・レヴィをして仏教に関する資料を保存すべきと言わしめたほどである。ジラール研究員の発表は、さらに大教院や各大寺院等の仏教制度あるいは宗教をめぐる法的制度の変遷についても留意しつつ、他方で実際に活躍した僧侶や仏教学者らの活動にも目を配ることで、明治時代の仏教思想の見取り図をきわめて的確に描くものであった。

最後の黒田昭信研究員の発表「思想史の方法論――思想の受容史から受容の思想史へ」は、明治以降の日本の哲学史にあって「主体」という語を哲学用語として最初に用いたのは井上円了であることを考察の起点とし、その概念が日本の文脈でどのように受容されてきたのか、その過程に見られるさまざまな問題についての検討を行なうことで、これまでの思想史の主たるアプローチであった「思想の受容史」という態度を検討しなおすことを目的とするものであった。
これにより、従来の思想史の方法論として提示されてきた「内在的発展史」や「外来的影響史」といった、安直な外来/固有という二項対立的なアプローチではなく、「受容的形成史」というパースペクティヴ、すなわち「外なる源泉」に絶えず立ち戻りつつ、思想の系譜に自らを位置づけつつ、「他なるもの」へと開かれた思想を形成するというパースペクティヴから思想史を読みかえる必要性が提示された。

各々の発表には、参加者から多くの質問やコメントが寄せられ、活発な議論が展開され、予定された時間を大幅に超えることもしばしばであった。

一つの研究機関にて研究集会を開催するのみならず宿泊や食事をともにすることで、井上円了研究、関連した日本学研究、さらに東洋大学国際哲学研究センターの活動などについてのさまざまな観点から率直かつ熱気あふれる意見交換を行うことができたと言えるだろう。国際井上円了学会が9月に正式に発足するに先立って、井上円了研究の意義を内外に示すには十分な成果を残すことができたように思われる。

なお、 発表の模様はこちら から見ることができる。

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