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連続研究会「明治期における人間観と世界観」第7回

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第1ユニット連続研究会「明治期における人間観と世界観」
第7回研究会報告(西村玲)

 

 2015年1月14日、東洋大学白山キャンパス2号館第1会議室にて、西村玲客員研究員(公益財団法人中村元東方研究所専任研究員)の発表による、「釈迦仏からゴータマ・ブッダへ――釈迦信仰の思想史」と題された研究会が開催された。この研究会は、「明治期における人間観と世界観」をテーマとした連続研究会の一つとして開催されたものである。 

 西村氏によると、中世日本において悲華経という経典を重視した釈迦信仰が成立した。苦しみの世界であるこの世界を選んで生まれた釈迦を信仰の対象とするのである。叡尊などの中世の律僧は、悲華経における釈迦に倣い、人々の救済を目指して慈善活動を展開した。

 近世初期の律僧である明忍は、叡尊を釈迦弥勒の直系と見なし、自らをその系譜の中に位置づけた。近世後期の律僧であった慈雲は、釈迦が直接語った律を経典よりも重視し、釈迦の時代の袈裟を復元しようとするなど、釈迦の生き方を辿ろうとした。

 近世の戒律運動は、悲華経について言及せず、むしろインドで生きていた釈迦に近づこうとする運動であった。このようなインド主義ともいえる運動を表すものとして、須弥山論争と大乗非仏説が挙げられる。須弥山を中心とした世界観の正当性を主張した円通の立場は、インドの言説を信奉するインド主義の表れといえよう。敬首や普寂といった近世律僧は、実際に釈迦が大乗経典の内容を語ったという立場に対して疑問を呈しながら、釈迦が直接語った律の立場を称揚した。彼らの大乗非仏説は、インドの釈迦に迫ろうとする試みであった。彼らの言説は、村上専精の「歴史的に釈迦が語ったことではないが、信仰の真理としては仏説である」という大乗仏教理解につながっていく。 

 悲華経に現れる釈迦仏から、インドにおいて実際に説法した釈迦、そして歴史的な研究対象としての人間であるゴータマ・ブッダへと、日本での釈迦像は変遷を遂げたが、その根底には釈迦への尊敬と思慕が流れているのである。中世から近代までの釈迦像の変遷を辿りながら、思想史のダイナミズムを明らかにしたことが、この研究会の大きな成果であった。