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「方法論」シンポジウム

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「方法の越境性、あるいは越境の方法」

 7月2日、東洋大学白山キャンパス第2会議室にて、第2ユニットの「方法論」シンポジウム「方法の越境性、あるいは越境の方法」が行なわれ、村上勝三研究員(東洋大学文学部)、沼田一郎研究員(東洋大学文学部)、坂井多穂子研究員(東洋大学文学部)による相互討論がなされた。

シンポ1 三人の研究員は、それぞれ異なる分野の研究者であり、村上研究員は西洋哲学(17世紀デカルト哲学)、沼田研究員はインド学(インド古代法、『マヌ法典』)、坂井研究員は中国文学(唐宋詩)を研究している。まず、村上研究員より、シンポジウムの提題がなされ、各研究における方法ないし技法の差異を明らかにすることが目標とされた。これについて、村上研究員は、現在の多岐にわたる研究分野の関連づけ、あるいは統合を考える際、それらを為し得るような方法の模索ということがほとんどなかったという点を鑑みて、各学問の分類と体系を、改めて考慮する必要があると述べた。これを受けて、各研究員が自分の研究領域の紹介と、研究状況、手法(辞書、情報機器等)、翻訳の問題を述べ、それらを基に、それぞれの方法の差異についての鼎談が始まった。 山口氏の発表後の質疑応答では、センターの研究員のみならず、外部からの参加者も非常に多かったため、専門分野を同じくする研究者からだけではなく、異なる分野の研究者、あるいは一般の方々などからの質問が多数なされた。その際、方法論としてのヘーゲル哲学における反省理論を多角的な視点で検討するなど、内容豊かな議論が活発になされた。シンポ2

 相互討論は、村上研究員が坂井研究員に、中国の学問分類における「文(学)・史(学)・哲(学)」という「順序」の意味を問うことから始まった。坂井研究員によれば、中国では、古来よりこれら三つの分類が一体と見なされる傾向にあり、中国の学問体系の中では明確に区別されていないということであった。これは、インドでも同様であり、沼田研究員によれば、インドの文学も哲学も、サンスクリット語で書かれている以上、伝統文法の規制を超えることがない。

 また、日本人が他国の学問や文化を研究する際に大きな問題となるのが、翻訳の方法である。沼田研究員によれば、古代インド、あるいは仏教等のテキストを研究する場合、原典の言語において翻訳することはもちろんであるが、テキストの抽象的な内容を理解するために、中国語訳における漢字の意味内容や、あるいは西洋哲学の概念を用いることもあるという。この点について、村上研究員が、表音文字と表意シンポ3文字の差異も、翻訳のポイントとなるのであろうという見解を示した。

 そしてこの翻訳の問題に関連して、坂井研究員は、特有の表現と意味内容を持つ「詩」の翻訳ないし解釈の困難を述べる。それはまさに、詩という文芸に関わる「センス」の問題までを考慮する必要があるということである。もちろん、このセンスというものは、研究者と作家では要求される内実が異なる。しかし、その際に捉えられるべき「本質」を、一概に解釈することは困難である。この本質への理解という点が、以上の議論の中で通底する問題であり、そのための技法や体系化こそが、方法の越境性に内在する問題点であると考えられるだろう。

 相互討論の後半は、フロアを交えて質疑応答が行われ、参加者からの質問が多数なされた。その際、他分野間の相互交流の可能性、研究における客観性の保証に関する問題など、多角的な視点で検討され、内容豊かな議論が活発になされた。

  しんぽ4