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第1ユニット 第8回研究会報告

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第1ユニット第8回研究会
エミ−ル・ギメの日本佛教と宗教学の成立―日本の僧侶神主との問答を通じて― 

 2014年1月30日(木)、東洋大学白山キャンパス8号館2階第4会議室にて、講師にフレデリック・ジラール極東学院教授(IRCP客員研究員)を迎え、「エミール・ギメ時代の仏教と宗教学」と題された研究会を開催した。発表の概要は以下の通り。ジラール

 当時のヨーロッパの宗教学では、世界の原始宗教から進化し、キリスト教のカトリックで頂点に達するという宗教進化論的主張がなされていた。そのような宗教進化論では、仏教はニヒリズムであると考えられていた。しかし、ギメは仏教をニヒリズムとして捉えるのではなく、神のない宗教哲学として積極的な意義があると考えていた。それ故、ギメが来日して宗教者たちと問答をしたのは、哲学的・形而上学的な議論の回答を知ろうとしたのではないかと推測できる。しかし、日本の宗教者との問答自体は、通訳の問題もあり、あまり成果を上げることができなかった。そこでギメは、問答の出版を行わず、凝然の『八宗綱要』などの仏教の基本書の翻訳を行うことにしたのではなかろうか。 一方、16世紀の日本では、キリスト教宣教師たちによって、仏教は死後の保証がなく、「虚無」を信仰するものであると批判されていた。この批判に対して、日本の禅仏教は、民衆に五戒を授け、五戒を守る自らの正しい行いが後生の安楽と現世の安穏を招くとした。また、キリスト教の教義に対して、虚空の大道の立場から反批判が行われた。

 もう一つのギメの宗教理解について推測できることは、エジプトの宗教がすべての宗教の源にあり、インドの宗教もエジプトの影響下にあったと考えていたということである。「イシス銅版」は、当時プラトン派の哲学の影響を受けたと見なされていたが、この「イシス銅版」が密教の曼荼羅の原型となるものだとギメは考えていたようだ。そのため、ギメは、京都で東寺の立体曼荼羅を模倣したものを作成して貰い、それをリヨンでの東洋学会議で展覧したと思われる。そういった推測を補強する材料として、ギメが東寺の立体曼荼羅に加えた説明が挙げられる。彼は、立体曼荼羅の菩薩部の説明などで、新プラトン主義的な説明を行っている。このような説明を行うのは、イシス銅版の思想の影響があったからだと推測できる。また、日本で弁財天と大黒天が祀られている寺を中心に回ったことも、後にその考えから遠ざかったにしても、始めはイシス信仰に類似した神を探し、エジプトの宗教の影響を探したのではないかと推測する根拠になる。

 以上のような発表の後、参加者を交えて討議が行われた。平日にもかかわらず、20名程度の参加者があり、非常に盛況な研究会となった。全体