1. トップページ
  2. Research//研究
  3. 研究所・センター
  4. 国際哲学研究センター
  5. 「ポスト福島の哲学」研究会(山口祐弘)
MENU CLOSE

「ポスト福島の哲学」研究会(山口祐弘)

  • English
  • 日本語

「ポスト福島の哲学」第4回研究会(山口祐弘)

1 2013年12月14日(土)、東洋大学白山キャンパス9号館第4会議室において、今年度4回目となる「ポスト福島の哲学」研究会が開催された。講師は東京理科大学教授で東洋大学国際哲学研究センター客員研究員の山口祐弘氏、題目は「核時代の生――哲学・思想からの提言」であった。司会を村上勝三センター長が含め、学内外からの参加者があった。

 まだ解決にほど多い「福島」の未来を考えるには、過去との対話が必要であるという立場から「核の時代の哲学」を構想する必要がある。山口氏は、まず、自身が翻訳を行ない日本に紹介したドイツの思想家のロベルト・ユンクの『原子力帝国』(1977)およびホルクハイマーの『理性の腐蝕』(1947年)に基づき、原子力開発を中心とする科学技術による自然および人間の支配が、「ホモ・アトミクス」という人間の変貌をもたらしたこと、この事態とはホルクハイマーの言葉で言えば「道具的理性」の支配による「理性」の空洞化にほかならないことを指摘する。実際、原子力災害は、人間の利己性を露呈すると同時に、人間が他者との絆なくしては生きられないことを明らかにした。山口氏は、アメリカの心理学者リフトンや西田幾多郎、さらには旧約聖書の記述などに触れつつ、このことを「苦難」と「罪責」に焦点を合わせながら論じた。ヨブがあらわにしたように、また『夜と霧』でフランクルが描いたように、問題になっているのは、人間の完全な無化、人間が未来はおろかあらゆる目的を喪失してしまったような事態なのである。こうした神なき時代の生および責任を考えるために、山口氏は最終的にニーチェを取り上げる。とはいえニーチェの言う「神の死」は単なるニヒリズムではない。そこには幸福のみならず痛苦もともに愛するというかたちでの世界の肯定がある。こうした思想は、ユダヤ・キリスト教の伝統のうえばかりではなく、アジア文化圏においても禅の思想などに見いだされるだろう。山口氏は、以上のようにして、人間の絆および魂を分裂される核時代の危機的状況に対し、それを乗り越えるための世界への愛の思想がそこに見いだされるのではないかとして論を結んだ。

2 会場からは、本論の理解に関する質問はもとより、実際の被災の状況、あるいはこれまで海外へのプラント輸出などの業務に携わった経験をもった質問者からの情報提供などが寄せられ、多角的な議論が展開された。小規模の研究会であったが実り多い機会であった。