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ウェブ国際会議「合理主義者と経験主義者による哲学の方法についての対話」

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ウェブ国際会議「合理主義者と経験主義者による哲学の方法についての対話」  

 

  2013年10月12日(土)東洋大学白山キャンパス8号館特別会議室において、これまでで3回目となるウェブ国際会議が、「合理主義者と経験主義者による哲学の方法についての対話」をテーマに開催された。日本、イギリス、フランスの三拠点をインターネットで結んで行なわれたこの会議では、イギリス側からはマンチェスター大学教授でヒュームを専門とするヘレン・ビービー氏、フランス側からはストラスブール大学准教授でデカルトを研究するエドゥアール・メール氏が参加した。日本側からは、コメンテーターとして東京大学大学院教授の一ノ瀬正樹氏、東洋大学国際哲学研究センター・センター長の村上勝三氏、司会にセンター客員研究員の山口一郎氏が参加し、さらに特定質問者として同じくセンター客員研究員の大西克智氏が参加した。今回の会議では、日英、日仏の同時通訳がつき、来場者は、スクリーンおよびモニターに現れた会議空間を見ながら、レシーバーを通じて3ヵ国語を同時に聞くことができた。

ウェブ国際会議  司会の山口客員研究員による、概要およびゲスト・スピーカーの二名の業績の紹介からウェブ会議ははじまった。  まず、エドゥアール・メール氏の講演は「外的世界の観念性という問題」と題され、フッサールやハイデガーなどの現象学の議論を出発点に、主観性と世界の問題を主題とし、そこからデカルト哲学に証明を当て、さらにそれを神の存在証明の問題に引き戻して、アヴィセンナやアヴェロエスといった中世哲学へと赴き、その地点からふたたびデカルト哲学の特質を取り出すという壮大なものであった。こうした観点から、デカルトにおいては「世界という問い」が、フッサールやハイデガーにいたるドイツ観念論によって把握されていたのとは別の仕方で立てられていたことが指摘された。

ウェブ国際会議  続いて、ヘレン・ビービー氏から、「ヒュームの帰納的懐疑主義」という講演があった。その趣旨は、自他ともに認められているとされるヒュームの「懐疑主義」がその実いかなるものなのかを、デカルト哲学において懐疑主義が果たしている役割に目を配らせつつ、特に帰納的推理との関係において明らかにすることにある。ヒュームのテクストを丹念に踏まえつつ、ビービー氏は、ヒュームの因果推論において懐疑主義が中心的な役割を演じているという通常の解釈とは逆に、彼の認識論的な立場は、全体としてみると、懐疑主義的な帰結を有するものではないということを主張した。

  これらの議論を受け、日本側から二つのコメントが寄せられた。まず、村上勝三氏は、デカルト研究の立場から、「第6省察」の感覚を介した物質的世界との関係という点を指摘しつつ、「世界」を認識論的に「世界という現象」へと還元することの問題についての問いを投げかけた。

  次に、一ノ瀬正樹氏は、ヒューム研究の観点から、英語でビービー氏にコメントを行なった。まずビービー氏のヒューム解釈がきわめて独特であることを強調した後、一ノ瀬氏は、ヒュームの議論における記述性と規範性の問題、因果推論を心理学的に解釈することの問題、そして最後にいわゆる「ヒュームのフォーク」に関する問いを提起した。

 ウェブ国際会議 休憩をはさんで総合討論が行なわれた。はじめに、特定質問者の大西客員研究員からフランス語および英語でメール氏、ビービー氏の双方への質問がなされた。一ノ瀬氏の問題提起を受けるかたちで大西氏は、デカルトにおける「規範性」と「記述性」の関係をメール氏に、デカルトの「規範的(prescriptive)なもの」とヒュームにおける「規範的(normative)なもの」の差異についてビービー氏に意見を求めた。

  その後の総合討論では、メール氏、ビービー氏からの応答や、さらにそれに対する日本のスピーカーからの問いなど、マンチェスター、ストラスブール、東京のあいだで活発な議論が展開された。時差の関係から、日本時間では土曜の夕方に開催されたウェブ国際会議であったが、学内外から多くの参加者があった。三拠点間をインターネットで接続し、同時通訳で専門的な議論を行なうという企てのためか、技術的な問題も多少見られたが、それを補って余りある密度の濃いディスカッションであったと言えよう。

  なお、当ウェブ会議の原稿は、『国際哲学研究』第3号(2014年3月公刊予定)に掲載される予定である。