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「ポスト福島の哲学」研究会(納富信留)

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「ポスト福島の哲学」第3回研究会(納富信留)

「ポスト福島の哲学」研究会写真  2013年10月5日(土)、東洋大学白山キャンパス8号館第2会議室において、今年度3回目となる「ポスト福島の哲学」研究会が開催された。講師は慶応義塾大学教授の納富信留氏、題目は「「理想」を論じる哲学――ポスト福島の今、何を語るか――」であった。司会を村上勝三センター長が含め、学内外から20名を超える参加者があった。

 納富氏は、2011年3月11日にはじまる自然災害および福島における原子力発電所事故を受けて、哲学はどのように語るべきか/語りうるか、またそこから哲学は何を学ぶか/変わりうるかという問いをめぐり、会場の参加者らとの対話を挟みながら議論を進めた。

 哲学が考えることができるのは、第一に、この出来事を受けてどのように語るかという「語り方」の問題である。たしかに今回の出来事は「特別」で「想定外」だと言われるが、そのような語りは事態を適切に捉えるものだろうか。〈3.11〉のように象徴化して語ることは、ややもすると「流行」や「消費」につながり、問題を隠ぺいすることにもなりかねないからだ。哲学の役割の一つには、瞬間的に反応するのではなく、少しずつ時間をかけてでも、「言葉」を鍛え直しながら、事柄の本質的な特徴を見分けることにあると主張された。

 また、哲学が具体的になしうることして、一般に見られるさまざまな言説を分析し、整理することがある。一見それらしく見える主張も、論理的に考えていくと論点を混同していたり、誤謬を含んでいることがある。そのようなかたちで問いを整理していくと、「そもそも「原子力」という桁外れ」の「自然力」を人間が用いることができるのか」という問いにいきつくのではないか。そしてその際に、「経済」の論理と「政治」の論理、そして「倫理」の論理を峻別しながら、問題の根源を見極める必要がある。こうした問題を議論をするために、感情や利害などに左右されることなく、諸々の異なった立場・分野を結ぶ「対話」の場を設定する媒介者の役割を発揮するということが、哲学がなしうることではないかと提案され。

「ポスト福島の哲学」研究会写真 哲学にできることの第二は、「現実」の見極めと「理想」の探求である。「現実」といっても、一般に言われるそれではない。自分たちが現に見ているものを無反省に「現実」とするのではなく、時間、空間、環境、条件を超えた広い視野から事態を見極めることが必要になる。とりわけ納富氏は、専門とするプラトン研究において近年展開している見地から(『プラトン 理想国の現在』2012年を参照)、「理想」という言葉を考えなおすことで、真の意味での「理想」との関係で「現実」を捉える必要性を最後に強調した。「現実」それ自体は、イデア的なもの(絶対的・通約できないもの)との関わりのなかで把握する必要があるということである。

 研究会は、参加者との対話を挟みながら、問題を整理し、議論を深めていくかたちで行なわれ、活発な質疑が行なわれた。この「対話」的なスタイルもそうであるが、問題となっている出来事それ自体に向きあい、「言葉」を大切に用いながら、「現実」と「理想」とを考えるという今回の研究会は、そもそも「哲学するとはいかなることか」ということを垣間見させてくれる機会であったと言えよう。

なお、本研究会の模様はこちらの動画で見ることが出来る。