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第3ユニット 第1回研究会報告

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第1回「身体と精神の共生」研究会

平成25年7月25日(木)、東洋大学白山キャンパス6号館4階文学部会議室にて、第3ユニット研究会が開催された。発表者は兵庫県立大学教授の丸橋裕先生、タイトルは、「痛みの生命論 ─ V・v・ヴァイツゼカーの医学的人間学を導きとして」であった。小規模ながらも、予定時間を超えて、ヴァイツゼカーと西田との関係、彼の思想の背後にあるキリスト教的要素についてなどの質疑が交わされ、充実した研究会となった。

発表者自身による要旨は以下の通り。

第3ユニット 第1回研究会報告写真1

 

「幼い弟が痛みに苦しんでいるのを見て、幼い姉はあらゆる知に先立って或るひとつの道を見つけ出す──おもねるようにしてその道を見つけ出すのは彼女の手だ。さすりながら彼女の手が彼の痛いところに触れようとするのである。 こうしてこの幼きサマリア人は最初の医者となる。或る原作用に関する知以前のものが彼女の中に無意識のうちに働いていて、それが彼女の衝迫を手へと向かわせ、手を実効性のある接触へと導く。というのは、これがその幼い弟が経験するであろうこと、すなわち、手が自分を気持ちよくさせるということだからである。彼と彼の痛みとのあいだに姉の手によって触れられているという感覚が入り込み、その痛みがこの新しい感覚を前にして退いていく。そしてこのようにしてまた、医者の最初の概念、治療の最初の技法も生まれる。」(VvW: S 1926, GS 5, S. 27)  

第3ユニット 第1回研究会報告写真2

二〇世紀ドイツの医者哲学者ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーは、この「幼きサマリア人」の「原場面」に「最初の治癒行為」を見出す。そしてこの治癒行為が「根源、つまり本質的なもの」の近くにあることを直観し、この行為的経験のうちに、医者−患者関係の、時代と人と、その経験と病気の種類とを超えて変わらない永遠の本質を洞察しようとする。テクストの全体は、痛みの知覚を関係のアスペクトと結びつけようとする試みであり、そのさい身体的な痛みと心的な痛みとのあいだに必ずしも明確な区別はない。 「痛み」は、ヴァイツゼカー最初期に公刊された小論を集めた「医学的人間学小論集」の第二論文である。そしてそこには、西洋哲学史に対する深い理解の上に立って、S・フロイトの影響のもと、自然科学的医学の限界を新たな人間学的な医学の構築によって乗り越えようとした彼の医学的人間学の基本思想が、さまざまなかたちで胚胎している。本発表では、このテクストに即してヴァイツゼカーの「痛みの生命論」を丁寧に読解することを試みると共に、L・ヴィトゲンシュタインによる「痛みの経験」をめぐる考察を参照することによって、ヴァイツゼカーの「痛みの生命論」の意義を逆照射する。そしてさらに、ヴァイツゼカーが後に展開することになる〈医学的人間学〉の方法的言語への展望を示したい。