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「ポスト福島の哲学」研究会(加藤和哉)

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「ポスト福島の哲学」第2回研究会(加藤和哉)

「ポスト福島の哲学」研究会(加藤和哉) 2013年7月26日(金)18時00分-20時00分、白山キャンパス6号館文学部会議室において、2013年度第2回目となる「ポスト福島の哲学」研究会として、聖心女子大学教授で中世哲学を専門とする加藤和哉氏の講演「ぼくら、アトムのこどもたち 1962~1992~2011」が行なわれた。

 はじめに加藤氏は「ポスト福島の哲学」という表現をどのように理解すべきかという点について、1)「当事者」として考えること、2)「いま・ここ」で考えること、3)「現実的・実践的」に考えることの三点を挙げた。自分がどのように生活し、どのような実践を行なっているかという観点から、抽象的な一般論に陥らないかたちでの語り口が必要だという点が、講演全体の出発点であった。

 その観点から、加藤氏自身がこれまで原子力の問題、とりわけ「アトム」とどのような接点をもちながら人生を歩んできたかが、副題にある「1962年」、「1992年」、「2011年」という三つの年をめぐって紹介された。加藤氏は1962年に生まれたが、その前後は、原子力の歴史にとっても一つの画期であった。50年代からの「平和のための原子力」の流れのなか、1962年キューバ危機(1962年)で世界核戦争の脅威が現実化する一方、日本では63年にはじめての原子力発電が茨城県東海村ではじまり、また同年、手塚治虫の『鉄腕アトム』のアニメ第1作の放送が開始された。「アトム」はこの時代、科学に託された輝かしい未来を象徴する存在であった。その後、スリーマイル(1979年)とチェルノブイリ(1986年)を経て、1992年に加藤氏は最初の職場である山口大学に就職する。チェルノブイリ直後にRCサクセションが反原発をテーマとした楽曲を発表したのに対し、1992年は山下達郎の「アトムの子」が出た年である。加藤氏は山口大学で応用倫理、生命倫理の講座を開講するが、こうした問題と原子力エネルギー利用の問題は密接に関連するものであった。2011年は言うまでもなく東京電力福島第一原発事故の年である。

「ポスト福島の哲学」研究会(加藤和哉) 自らの大学への就職、授業の展開に触れられたのは、まさしく「実践」の問題として、大学における教養教育にこそ焦点をあてるべきと考えられるからだ。戦後の新制大学の発足にともない、1956年の大学設置基準によって一般教養が重視されたのには戦争の教訓があったからのはずであるが、1990年の大学設置基準大綱化によって教養教育が撤退していく。これに対し、新たな「教養知」のありかたを追求することが、加藤氏の提言として示された。その内容を具体的に述べれば、1)狭隘な専門教育でも、またその逆の単なる基礎教育でもない総合的思考(integrating study)、2)議論を通じて新たな視座や考え方を「発見」する対話術、3)科学技術文明の多角的な理解、4)ハンス・ヨナスの思想を背景にした責任の倫理、5)単なる生命学ではなく、市民的・実際的生活の術となる「生活学」である。これらを通じて、時間、技術、仲間などについて、これまでの生活の仕方にとってかわる「別の生き方」の追求の必要性が説かれた。

 自らの個人史や現在の生活・実践を語りながらも、20世紀の原子力の歴史から、日本におけるアニメや音楽へのその影響を経て、大学における教育にいたるまで、広範な視座をもつ講演であり、聴者は「知」や「生活」そのものへの反省を大いに促されることになった。それを受け、講演後の質疑では活発な議論が交わされた。