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第1ユニット 第1回研究会報告

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開堂初期に哲学堂を訪れた人々

2013年6月12日、東洋大学白山キャンパス9号館第4会議室において、国際哲学研究センター第1ユニットは、出野尚紀氏をお招きして研究会を開催した。発表題目は、「開堂初期に哲学堂を訪れた人々」である。発表者による要旨は以下の通り。出野尚紀氏

 本発表は、『哲學館大學紀念堂即哲學堂來観諸君名簿』第壱號を元に、明治37年から43年にかけて名簿に記名した延べ1274名の人物において、来堂年月日と曜日の特徴、住所と職業から分かる開設者である井上円了との関係、そして、著名な来堂者に着目して発表したものである。

 四聖堂が完成したのが明治37年3月であり、開堂式典を4月8日に行った。ただし、7月まで名簿は作られていない。また、始めは四聖堂のみが存在し、他の施設はなかったと思われるため、この頃は「孔夫子誕生会」などの特別な行事以外で来る人はほとんどいなかった。明治42年に六賢台などが建てられて以降、近隣の住民が家族と思われる同姓者がそろってやってくるようになった。円了の出身地である新潟県からは、弟妹など親族や真宗関係寺院の子弟が来訪している。

発表の様子 生徒学生であると明記している来堂者について記せば、京北中学校は生徒が哲学堂に行く行事を行っていたために、一度に百人以上が来訪し、約400人と数が多くなっている。それに比べると、哲学館大学、東洋大学の在籍記録がある人が174人いるなかで、記名がある現役の学生は64人と少ない。その他の大学では、東京帝国大学が65人、早稲田大学が20人と多く、真宗大学や豊山中学校、曹洞宗学林などの仏教系の学校の学生生徒も来堂しているが、慶応大学からはほとんど来堂していない。これは、記された住所が、本郷区、小石川区、牛込区、豊多摩郡、北豊島郡が多いこととも関連すると考えられる。

 最後に、著名な人物について幾つか来堂順に列記すると、円了夫妻の仲人を務め、東洋大学の隣に住んでいた目賀田逸子が三回来ている。伏見宮博義王と華頂宮博忠王が御付に東洋大学出身井上光太郎がいたために来堂している。後の第22代東洋大学学長佐久間鼎が東京帝国大学文科大学生時代に来ているといった事例が見られる。会場風景

少数の参加者ながら、活発な討議が続き、充実した研究会となった。