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トビタテ生(第4期)活動レポート vol.1

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報告レポート(大野雛子)

東洋大学文学部東洋思想文化学科
 トビタテ4期多様性人材コース 大野 雛子 

『Gawad Kalinga主催のBayani Challengeに参加して』

トビタテ留学計画のタイトル

ソーシャルビジネス×発信を駆使したNewプロジェクト!                                   
~貧困の地にイノベーションを起こす~   

留学期間:2016年5月1日~2017年3月31日 

今回の活動概要

活動名:Bayani Challenge 2016
日時:ネグロス島バコロッドシティ
場所:2016年5月24日〜28日
主催:Gawad Kalinga

※Gawad Kalingaとは(以下Gk)
2024年までに500万世帯の貧困を削減することを目標とするフィリピン最大のNGO。住宅建設を主な貧困削減方法としている。その過程や、その後の価値観形成、コミュニティ単位でのGk活動参画、そしてソーシャルエンタープライズを行うことで、単純な住宅提供ではない、継続的な貧困解消を施している。

 Bayani Challenge とは

Gawad Kalingaは毎年、Bayani Challengeというボランティアアクティビティを開催している。主な活動はGkの核の活動、住宅建設であるが、子どもたちへのアクティビティや、食事支援も行っている。
2013年にフィリピンが大きく被害を受けた際には、被災地でBayani Challengeが行われた。
貧困層に住宅を施すことが目的ではあるが、ボランティア同士、国籍や人種や言語の違う人同士が協働することで、“Bayanihan”(助け合い)の精神を成長させることもこのBayani  Challengeの特徴である。
Walan Iwanan(誰一人後ろに置き去りにしない)を掲げ、5日間ボランティアは共に衣食住をし、Bayani Challengeにはフィリピン人はもちろんのこと、フランスやオーストラリアをはじめとした世界中から若者が集まる。

5日間の活動内容

私は、2年ほど前から、Gkのコミュニティと何度か生活をともにし、興味関心はあったものの、Gkの直接の活動には参画できていなかった。
今回は初めての参画ながら、Gkの核の活動である住宅建設に関わることができた。

◎生活

大野さん

ボランティアは小学校で寝泊まり、食事は自らで取る。シャワーはなく、トイレの中で水浴びをして体を洗う。部屋では男女、国籍はミックスされている。
私はセブ島からここまで連れて来てくれたGkセブのスタッフや、フィリピン各地のGkコミュニティから来たフィリピン人、そしてアメリカから来た19歳の女の子と5日間の生活を共にした。
朝は基本的に早いが、「子どもたちへの食事支援のためのごはん作りだよ!」と5時頃起こされることも、皆が8時近くまで寝ていることも。ボランティアは基本8時スタートだが、車の手配がつかないで、10時近くになることもあった。お昼寝の時間、食事の時間が多めにあったりなど、スケジュールや時間が日本人の私からすると、あり得ないくらいルーズであった。
しかし、そこをあえてガチガチにせず、あくまで自分のペースで、活動を無理強いしないのもこのボランティアのいいところではある。

◎住宅建設アクティビティ 

大野さん2ボランティアはいくつかのアクティビティの中から選択ができる。私は5日間のうち3日間住宅建設に参加した。今回は貧困地域に住む人たちに対し、20数世帯のアパートを建てる。
完成する住宅に住む予定の貧困層、過去にGkから住宅を得たGkコミュニティの人々、フィリピン人ボランティア、世界各国からの若者と共に土木作業を行った。
はじめは針金で鉄骨をつなぐ作業をおこなった。その過程で自己紹介して友だちになることはもちろん、やり方を教え合ったり、少ない水やアイスクリームをわけあうことで、鉄骨以外の何かがつながれていくのを体感した。

大野さん3

ブロックを積んだり、作業のために水を運ぶのには、みんなで列を作ってリレー形式で行う。効率性を考えたら、1人1バケツを持って運ぶほうが早いのだ。でも、みんなで1つのバケツを隣の人に次々渡せば、1人の力量は隣の人に渡すまでだけで済む。時間をかけて、大事に大事にバケツを回していく間に言葉では言い表せない大事なものを私は感じた。
一見、土木作業。これをただただひたすらこなせと言われたら辛いの一言。
でも、その中で生まれる形にならない、心のなかに生まれるあたたかいものが辛さを感じさせなかった。
「建設過程で、Sharing Caringを大切に、とにかく自分をShareする。そうすると相手もShareしてくれる」というようにGkスタッフから教えていだいた。
しかし、この家の主になるであろう人たちとコミュニケーションを自ら取れなったことを後悔している。
初日にはコンクリートの塊が2つほど並んでいるだけだった住宅が、最終日には色をまとって、更に住宅を増やして形となっていた。

◎子どもたちに向けたアクティビティ、食糧支援

いくつかのバランガイと協力し、子供たちに向けて、ダンスを踊ったり、読み聞かせを行ったり、ゲームをしたりする。普段から公立の小学校に行き慣れている子どもたちにとって、このような取り組みはどのような意味を成すのか。
子供向けのアクティビティをGkは「Paraisong pambata」と呼んでいる。これはフィリピン語で子どもたちへのパラダイスという意味だ。ダンスや、アート、様々なアクティビティを通して、子どもたちが自己表現をする機会の提供、家族や国、神を愛する(フィリピンはキリスト教を深く信仰している)価値観を形成していくことを目的としている。
 特に、被災した子どもたち、家庭環境に問題のある子どもたちはストレス、トラウマや価値観の歪みを抱えやすい。そんな子どもたちが世界中の若者、人とオープンに触れ合い、自己表現をたくさんすることで健康かつ明るく成長していけるようGkはこのアクティビティを行っている。
終わりには食事を提供する。栄養に知識のない私でさえ、野菜がなく、栄養バランスが悪いのではないかと感じる食事であるとわかるものであった。
日本人を珍しがる子どもたちは、つたない英語ながら一生懸命「名前は何?」「日本のアニメを知ってるよ!」と会話をしようとしてくれた。
日本で流行している「ようかい体操」をみんなで踊ると、恥ずかしがることなく皆が真似をして「ようかい!ようかい!」と楽しんでくれた。基本的にネグロス島の言語であるイロンゴ語かフィリピンの共通言語であるタガログ語でおこなわれるアクティビティでは、言っていることのほとんどがわからないものの、ダンスやゲームに積極的に参加し、コミュニケーションを取ることができた。一方で、一生懸命何か伝えてくれていても、子どもたちの表情以外からは何も読み取ることができないことが悔しかった。
このアクティビティが子供にとってどんなものになっているのか、笑顔から楽しんでいることはわかったものの、それ以上はわからなかった。最終的にはフィリピン語で日常会話ができるようになることが目標だが、早急に子供と会話ができるくらいまで必死に努力する。

◎Bayani Nightや建設活動後のイベント

大野さん4

あくまでもボランティアを“楽しむ”ということをGkは大切にしていた。人を笑顔にするには自分が笑顔でいることが確かに大切だと思う。フィリピンの人々は本当にお祭り、ダンス、歌が大好きである。今回のBayani Challengeでも、ボランティア後には毎日イベントが開かれた。
住宅建設を夕方に終え、そのフィールドで綱引き大会や、ココナッツラグビーなどのゲームが行われた。ここでもまた、老若男女問わずに皆が入り混じって誰もが子供のようにはしゃいで楽しむのが印象的だった。
日本人らしさが裏目にでて、盛り上がりについていけず、後ろでうろうろする私を、たくさんのフィリピン人が推してくださり、全種目に参加した。ここでもまた、「Walan Iwanan」を感じたものだった。最終日までには皆に入り混じって全力で楽しむ私がいた。引き続き、そのフィールドでGk公式のダンスを踊り(このダンスはボランティア中も数人が抜かれてずーっと誰かが踊っている)を皆でミュージカルのように踊って、最後に消防車から放水され、びしょびしょ、ドロドロになるまで水を浴びてボランティアの1日のフィニッシュを迎えた。
夕食後は毎日「Bayani Night」というイベントが小学校のステージでおこなわれる。このイベントの中でも前文で何度か出てきた「Sharing」をおこなう。
今日の経験、そこから学んだことなどを前でマイクで話したり、自分の持っている一芸を披露したりする。
フィリピンの人々は本当にそういったことに恥ずかしがらずどんどん前へ出て行くので、コンテンツは尽きなかった。歌やダンス、ラップなどそれぞれの才能をどんどん「Sharing」していてとても盛り上がった。
私はもちろん、恥ずかしくて前へ出るのを拒否したが、最終日にフィリピン人の友人に引っ張っていかれ、友人の歌う後ろで盛り上げ隊に参加した。
周りが思っている以上に人見知りで恥ずかしがり屋の私で、フィリピンに来てからもなかなか積極的に話しかけたり、前に出られなかった。時には感じが悪いと勘違いされることもあったが、明るくてフレンドリーなフィリピンのみんなに助けられてきた。よくわからずにステージに上がったものの、恥ずかしがる理由がないことに気づき、何か殻が破けた気がした。

最後に

フィリピンに来るまで、英語だけが必須だと思っていた。
このボランティアを通して、改めて貧困に立ち向かいたいと思ったことはもちろんだが、言語を学んでよりフィリピンの人を理解して向き合いたいという思いも強まった。来月1ヶ月の目標はタガログ語を必死で学ぶことだ。
この活動に参加するにあたり、「知りたい」という思いだけで動く私を、しっかりとセブ島からネグロス島に連れっていってくれて、生活の隅々を毎日父のように心配して、最後は家まで送り届けてくれたセブGkスタッフのKuya Topertに感謝の気持ちでいっぱいだ。