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国際井上円了学会第3回学術大会を開催しました

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国際井上円了学会第3回学術大会を開催

9月13日、東洋大学白山キャンパス8号館125記念ホールにて、国際井上円了学会第3回学術大会が開催された。国内外からの研究者が集まり、5つの研究発表と、1つの特別講演が行われた。

長谷川琢哉氏個人研究発表は、長谷川琢哉氏(大谷大学)の「スペンサーと円了」という発表で幕を開けた。長谷川氏は、スペンサーの哲学を概観しながら、科学(特に進化論)と宗教の調停という側面に注目した。スペンサーは進化論に基づく哲学を展開しながら、「可知的な現象」の他に「不可知的な実在」を認め、そこに宗教的な神秘を見出したのである。井上円了もスペンサーと同様に、究極的な実在としての真如と現象の間に区別を設けた。このような円了の議論は、スペンサーの議論を受け継ぐものであったと言えよう。しかし、円了はさらに、「不可知的な実在」に留まらない神秘についての解明を目指した。長谷川氏は、この点に、スペンサーにない円了の独自性があると結論付けた。

甲田烈氏次いで、甲田烈氏(相模女子大学)の「『不思議』の相含構造」と題された発表が行われた。甲田氏の問題意識は、驚きを哲学の起点におく西洋哲学に対して、井上円了と南方熊楠の思想は「知の歓び」に満ちた哲学であるという点にある。その上で、井上円了と南方熊楠の構造的な類似性が論じられた。井上円了の哲学は、現象を様々な仕方で論じる「表観」と、直接知としての「裏観」という二つの方向性をもつ。南方熊楠の南方マンダラも、現象から大日を捉えようとするマンダラと、大日の立場に立つマンダラの二つの方向がある。こうした、二つの方向の入れ子構造の中で、知は無上の歓びを得ることになるのである。

佐藤厚氏三番目の研究発表は、佐藤厚氏(専修大学)の「吉谷覚寿の思想と井上円了」であった。吉谷覚寿と井上円了は東京大学での教師と生徒の関係である。佐藤氏は、まず吉谷のテキストを分析しながら、吉谷の井上円了への影響を指摘する。吉谷は、諸宗教や哲学で諸法の原理(世界発生の原理)を論ずるように、仏教にもそうした原理があるとして、小乗教、法相宗、天台宗・華厳宗の三つの原理を分類した。円了はこれに刺激を受け、仏教の三つの立場に哲学の「唯物論」、「唯心論」、「唯理論」を配当させ、仏教哲学一致論を構築した。しかし、皮肉なことにそうした円了を吉谷は批判する。吉谷は仏教の価値に中心を置き、他教との一致を批判したのであった。この師弟間の相克のうちに円了の独自性を見ることができる。

寅野遼氏休憩を挟んで、寅野遼氏(東洋大学)の発表が行われた。「井上円了と中心の問題」と題された発表で寅野氏は、井上円了の哲学的なテキストのみに依拠して、その哲学の中心がいかなるものであるのかを明らかにしようとした。寅野氏によれば、円了は対立するものを包む立場が究極の立場であると論じながら、その立場がいかなる内実をもつことを示すことができなかった。円了の哲学は、空虚な中心をもつ閉じた体系なのである。このような空虚な中心は、あらゆるものを投げ込むことが可能であり、すべてが無作為に併存している。あらゆるものを平板化するグローバルな時代において、中心を取り戻すことこそ重要なのではないかと、寅野氏は問題提起した。

ミュラー氏研究発表の最後は、ラルフ・ミュラー氏の「禅に関するメタ理論的分類」であった。井上円了は、『禅宗哲学序論』を著し、禅を哲学的思想として分析した。禅は「不立文字」や「教外別伝」を唱え、哲学的な思想としての語りを拒否するもののようにも見える。しかし同時に、禅は様々な経典や論書を典拠に用い、悟りの道を理論的に分類する。円了が鋭く指摘したように、禅は真理の探究に導かれていると共に、メタ理論的な分類を行う哲理としての側面を含むのである。すなわち、真理に基づき、探究の階梯を理論的に分類する高次の視点をもつ営みなのである。以上のような発表を通して、ミュラー氏は、あまり顧みられてこなかった円了の『禅宗哲学序論』の意義を明らかにした。

研究発表の後、ウルリッヒ・ジーク氏(マールブルク大学教授)による、「大いなる総合を求めて―1900年頃の哲学」と題された特別講演が行われた。この講演を通してジーク氏は、1900年頃の哲学者たちが一様に「総合」を目指していたということを明らかにするとともに、この総合の営みが第一次世界大戦を通じてリアリティを失っていく思想史的状況を描きジーク氏出した。19世紀後半において最も強い影響力を持っていた思想家であるハーバート・スペンサーは、進化論のもとにあらゆる知を総合しようとしていた。この総合のプログラムには、個人が十分に理性的となり、国家の統制が不要になるであろうというユートピア的な考えが含まれていた。
カント的な認識批判を行い、世の注目を集めた新カント学派の学者たちも、総合を行おうとした。その試みは、例えば、個人の自由と安定した人間共同体を総合するような、ナトルプの教育思想に顕著に見ることができる。彼らの思想も、個人と共同体が調和の内で結合するユートピア的なものであったのである。
ルドルフ・オイケンは、唯物論を否定し、鋭い舌鋒で社会批判を行った理想主義的な哲学者である。彼はカントとヘーゲルの総合を求め、哲学的「普遍的総合」を目指した。彼は自らの目的を達成するような理論を打ち立てることができなかったが、理想主義的な立場による現代文化批判は広く支持を集め、ノーベル文学賞を受賞する結果となった。
井上円了も、東洋と西洋の総合を目指した哲学者として、この総合を目指す時代潮流の中に位置づけられる。彼もまた、啓蒙を信じ、国家と個人が調和した社会を構想した、ユートピア的な特徴をもつ思想家であった。
これらのユートピア思想は、第一次世界大戦による深刻な打撃によって急速にリアリティを失っていった。啓蒙と科学技術の発展がもたらしたのはユートピアではなく、甚大な被害をもたらす戦争だったのである。また、国家と個人の調和のとれた発展が夢物語にすぎないということも明らかになっていったのである。

会場の様子以上のような発表の後、活発な質疑応答が行われた。近現代に関する哲学史で見落とされがちな1900年頃の思想家にスポットを当てることによって、今まで気づかれなかった井上円了の思想史的状況が明らかになるという、大きな成果があったと言えよう。