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アルド・ベネデッティ教授による特別講義を実施しました

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アルド・ベネデッティ教授による
「イタリアでの建築設計」および「ラクイラ巨大地震その後」について
(東洋大学短期海外招聘教授制度による特別講義)

特別講義本学科の櫻井義夫先生のコーディネートにより、イタリア・アブルッツオ州の州都であるラクイラから、Aldo Benedetti先生をお招きしての特別講義が行われました。イタリアも日本と同様に地震国で、ラクイラは2009年に大地震にみまわれました。このレターでは「ラクイラ巨大地震その後」の講義内容を中心にご紹介します。

ラクイラは、1200年代ころに開かれた街で山岳地帯に位置し、現在は人口 約7万人です。歴史的な建物やモニュメントを有した中心街区、そのまわりには雄大な自然が取り巻き、景観の観点からも非常に良いバランスで都市が構成されていました。しかしながら、戦後には中心街区をこえて新しいまちが徐々に広がり、それに対して批判的な意見を受けながらも都市のスプロールを止めることができない現実がありました。

特別講義の様子そして今回の大地震、実はこれまでにも何度か地震にあってきましたが、2009年の地震では、ライクラの中で様々な被害が起き、309人の方が亡くなり、避難者は48,818人となりました(2009年8月)。建築、歴史遺産、芸術作品等も、数多くダメージを受けました。特に都市構成やその歴史として象徴的な存在である教会が、一部崩壊するなど、多大な被害を受けました。また1970年代に建設されたRC造のホテルは完全崩壊しました。構造もさることながら、地盤や地質の性格をおさえていなかったのが露呈したといえます。

地震後には立ち入り禁止区域が設定され、2日間で全員が退去を強いられ、その管理は陸軍に任されることになりました。私物を取りに帰るにも、陸軍に請願書を出して、陸軍の同伴のもと取りに行くことになる、このような状態が3年間続きました。

都市の復興にあたって、まず保存修復をする建物を一つ一つ分析し、どこをどのように直すかを決定することから始められました。実際にはさらなる崩壊を防ぐため、建築物の周りに足場のようなものが張り巡らされました。それらは構造家や技術者たちが自分たちの感性で推し進めたので、彼らにとっては自然な成り行きだったかもしれませんが、都市景観としては全く別なものに変わってしまいました。誰のために、どのように保存修復するかということが1つの分野の人たちに任されてしまい、そしていまだこのような状態にあります。

また一方で興味深いのは、イタリア各地から消防隊が現地入りし、それぞれ独自のやり方で保存修復を始めました。木を使ったり、またその組み方も地域性のようなものの痕跡が残され、修復アートとでもいうようなものです。

このように復興が進められながらも、誰も住まない幽霊のまちのような状態で、ただただ救助隊が痕跡を残していった、その戦いの跡のような見方もできます。持ち主としては自分の所有物を運用できないままに、ただ荒廃していく、それを見続けなければなりません。このような状態が続いたため、家主たちは組合をつくり、早く復興するよう国に請願することを始めました。また市民たちが共同体をつくり、自分たちで片づけをするなど、復興の活動を始めました。

 

特別講義一方で、中心街区がブロックアウトされて追い出された市民たちはどこへ避難したのか。日本であれば応急仮設住宅が手配されるところですが、イタリアでは今回の地震で5029のテントと137のキャンプが用意されました。いわゆるテント村が、スタジオや駐車場、陸上競技場等に設けられました。もちろんテントの性能は限られており、ラクイラの冬は雪が降り、気温が-10度を下回る時もあります。テントだけでは不十分なため、長期的な避難のための緊急対策も取られました。

緊急の法令も施行されました。中心街区に住んでいた市民たちを移住させる計画が進められました。19の地区を設定し、約15000人規模の移住です。新しい居住区の集合住宅は免震構造になっています。また町中にあった学校も郊外に再建し、大学も教育の場を失ってしまい、まちの外に作らざるを得ないという重たい現実がありました。

復興プロジェクトの中には、日本政府の支援を受けて、板茂氏の設計による音楽大学のオーディトリウムをプレゼントするというプロジェクトや、同時並行でレンゾ・ピアノ氏も別の場所で、学生たちが積極的に関わってまちのオーディトリウムを作るというプロジェクトがありました。これからさらにスポーツセンター、市民のための施設も計画をしつつあり、これにはベネデッティ先生もボランティアながら携わっているそうです。

ご講演の最後には学生たちとの質疑応答の時間を取りました。

学生からの質問:「移住した人たちは元に戻れる目途が立ったら、本当に戻るのでしょうか。それとも、そのまま移住先に住みつくということもあるのではないでしょうか。また、これからの保存修復にあたり、伝統的なものを極力守っていかれるのか、それともモダンな建物を組み込んでいくのでしょうか。」

ベネデッティ先生:「震災時に小さかった子どもたちの多くは、7年も経って、戻りたいという意思は持ち合わせていません。また高齢の方々は希望を失い、自分たちが戻れることはないだろうという絶望感を持っているでしょう。そしてその中間世代は、みんなが戻りたいと思っています。また、今後の保存修復にあたって、壊さざるを得ない状況や、保存修復にもルールがあり前と同じように同じ場所で作ることが決まっているものもあります。復興が進み、避難者が元のまちに戻り、住み始めている人たちもいますが、当初の見込みより人口が戻ってきておらず、必要と思って建てられた家が余っている状況です。都市全体としての価値も低減してしまっているといえるでしょう。実際に、これは都市計画、建築計画のみならず、社会学や社会制度をも巻き込んだ、まちの未来そのものの在り様が問われています。非常に複雑なことです。」

(記録:菅原麻衣子(空間デザインコース・准教授))