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教員が語る大学院の魅力(英文学専攻 余田真也 教授)

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視野の拡張と探求の深化

余田先生

 

Q.教員としてご自身の専門分野を踏まえ、「研究者として研究」することの意味とは?

 実学としての文学研究

 文学研究はきわめて多岐にわたりますが、その核心には言葉への関心があります。文学研究とは言語表現のさまざまな魅力や不思議を解明する学問といってもいいでしょう。「文学」といえば、創作としての文芸作品も指しますから、少し紛らわしいかもしれません。なるほど言葉の達人である文芸作家は、日常の言葉から斬新な表現を紡ぎだしますし、その創造的な言葉は日常の言葉とはずいぶん違うようにもみえます。しかし実はそれらを厳密に区別する必要はないのかもしれません。文芸の言葉であれ、日常の言葉であれ、言葉に向き合うときに必要な構えには本質的な差はないと考えるからです。

 文芸作品の読者は、創意を凝らした作家の表現世界を受けとめ、その企みを読み解くことが求められます。作品を適切に理解するためには、テクストの細部を鋭く解析する力とともに、テクストを外部に接続して文脈を再構成する力が必要です。その鍵となるのが「想像力」です。文学研究における想像力とは、手前勝手な空想や荒唐無稽な妄想ではなく、与えられた言葉を手がかりに、作家の思いを多角的に読みとり、言葉の文脈を複眼的に見さだめる力を指します。

 文芸の言葉であれ、日常の言葉であれ、言葉を適切な文脈において能動的に解釈しようとする構えは、たんに文学研究ばかりでなく、この世界を主体的に生きていくために欠かせない術でもあります。言葉への自意識や感受性をどれだけそなえているか、が人生の豊かさを左右するといってもよいでしょう。荒川洋治という日本の現代詩作家は、いみじくも「文学は実学である」と言っていますが、言葉の心髄に迫りながら、人間や社会にも応用可能な読解力を養成する文学研究は、まさに実学といえます。

 上記の内容は、わたしが研究対象として選択しているアメリカ文学の研究にも、もちろんあてはまります。

 

Q.教員としてご自身が、研究者になった経緯をご紹介ください。

 視野の拡張と探求の深化

 わたしは学部生時代の恩師の導きで文学研究者をめざして大学院に進学し、そこでの修養をへて、大学の教壇に立ちながら文学の研究を続けてきました。

 大学院では主に英米文学と比較文学の授業を受講しましたが、いずれも難解な作家や理論家の著作に関する少人数の演習で、授業準備は大変でした。わたしが在籍した大学院は、前期(修士)課程と後期(博士)課程の区別のない一貫制の博士課程で、1年生から5年生までが同じ授業を受講していたので、演習室には独特の緊張感がみなぎり、必然的に切磋琢磨が生じました。授業以外での院生同士の交流や、学外の研究者との関係も刺激的で、学内誌の編纂、学内外の学会や研究会などの活動を通して、さまざまな人と出会い、関心の幅を広げる過程で、研究者としての素養が培われ、理想とする大学人の輪郭が形成されたように思われます。

 その一方で、個人研究の点ではなかなか突破口が見いだせず、修士論文を含めて最初の3本の論文は不本意な出来でした。4本目あたりからようやく自分なりに手応えが感じられるようになりましたが、指導教員から受けた的確な指導や先輩諸兄姉からの助言が励みになったことは言うまでもありません。また大学院在籍中に非常勤講師として教壇に立った2年間は、教員としての自覚を深める貴重な経験となりました。大学院での5年目を終えたときに、専任教員として就職できたことは幸運でしたが、課程在籍中には博士論文の執筆がかないませんでした。それでも、課題として残り続けた博士論文は、その後の研究を進展させる大きな原動力になりました。だいぶん遅れて提出した博士論文を改稿して上梓した単著が、幸いにも少なからぬ出会いを引き寄せるにつれ、ようやく研究者としての自立を実感したものです。

 

Q.教員としてご自身のご専門分野について、現在までにどんなテーマを研究されているのかご紹介ください。

 アメリカ文学の多様な文脈への接続

 学部生の頃は20世紀後期の同時代的なアメリカ文学に関心を向けていましたが、大学院の時期には方法論を鍛えるために、その源流にあたるモダニズム期の文学(たとえばウィリアム・フォークナー)を主な題材にして、批評理論の枠組みを用いて文芸作品の形式的な特性の解明を試みていました。やがて文学を成立させる「文脈」の探求へと力点を移し、たとえばマーク・トウェインなどのキャノン(正典)の文学の歴史性や政治性を問い、文学言説における表象を問題化する研究へと踏みだしました。研究対象もいわゆる主流の文学・文化ばかりでなく周縁の文学・文化にも広がり、とくにアメリカ先住民の表象をめぐる研究は、単著の上梓以降も継続している仕事です。現在はその延長で、現代先住民作家の文学営為における部族性(地域性)と普遍性(越境性)の関係を探求しています。

 

Q.研究者として、つらかったことや、嬉しかったことは?

 優れた研究業績に出会う喜び

 研究生活には、もちろん辛いことも嬉しいこともありますが、研究者というのは基本的には自分の好きなことを仕事にしているという意味では、辛さも喜びにつながりうるでしょうし、逆に辛さのない研究には、それほどの喜びも伴わないのではないでしょうか。

 研究者としてもっとも辛いのは、十分な研究時間が確保できないときです。それは昨今の多くの研究者が共有する辛さでしょう。ただし、時間というのは、いくら多くても有限であり、有限である以上、足りないという事態は生じます。また、研究時間が少ないからといって、優れた研究成果が生まれないというわけでもありません。たしかに、短期間で要領よく研究成果があげられれば、それなりの喜びもあります。しかし、そうした軽業的な業績をいくら重ねてみても、長年の試行錯誤を伴う冒険的で創意にあふれる研究や、広大深遠な射程を備えた地道な研究がもたらす喜びには及ばないものです。価値のある研究には相応の時間がかかっており、そうした業績がもたらす喜びは、当事者だけの感慨にとどまらない影響力を持つものです。惜しみない賛辞を送れる優れた業績に出会うことが、研究者としてのわたしの最大の喜びと言っても良いでしょう。

 

Q.大学院で学ぶことの魅力とは?

 教員や院生との本気の交わり

 大学院は専門性を極める場ですが、自らの「問い」を追求して、理解や認識を深化させるばかりでなく、学問的な関心の射程を拡張して、横断的な知性を涵養する場でもあります。教員は本気の指導を行いますし、院生同士も本気で知的なぶつかり合いをします。そうした交わりを通して醸成される複眼的な思考や学術的な格闘の習慣は、個人的な「問い」を研究共同体の課題へとつなぐ回路を開くとともに、研究者ならびに社会人として自立するために不可欠な礎となるはずです。

 

Q.大学院で学びを考えている受験生にメッセージをお願いします。

 英語読解力を鍛えましょう

 英文学専攻は、英語学とイギリス文学とアメリカ文学の三分野から構成されていますが、最終的にどの分野を専門的に探求するにしても、本専攻における研究ではたしかな英語力(特に文章読解力)が求められています。ネイティヴの英語に対する感度の良さが、本専攻での研究の内実を大きく左右します。したがって、本専攻での学びを考えている受験生は、英米文学や英語学に関する知識を蓄えるとともに、日々ネイティヴの英語に触れて語学力を磨いておいてください。

 


プロフィール

氏名: 余田 真也(よでん しんや)

経歴: 現在、東洋大学大学院文学学研究科英文学専攻 教授

1995年 筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科各国文学専攻単位取得満期退学。

文学博士(筑波大学)

和光大学人文学部および表現学部を経て、2017年より東洋大学文学部

専門: アメリカ文学

著書: 『アメリカ・インディアン・文学地図──赤と白と黒の遠近法』(彩流社、2012年)など

http://ris.toyo.ac.jp/profile/ja.49ce7e9f9582deae1b51360cca9d9053.html

 


(掲載されている内容は2017年6月現在のものです)