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教員が語る大学院の魅力(インド哲学仏教学専攻 岩井昌悟 教授)

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研究とは「疑い」と「先入観にとらわれない自由な思考」

岩井先生


Q.教員としてご自身の専門分野を踏まえ、「研究者として研究」することの意味とは?

 研究とは「疑い」と「先入観にとらわれない自由な思考」

何から何まで疑うところから研究はスタートすると考えています。先行研究の解釈や見解を学ぶことは重要ですが、その受け売りに終わってしまっては何にもなりません。疑うことから、他の研究者の見解を、その根拠とするところに遡って検証したり、他の筋道による説明の可能性を探ったりすることが研究のスタートであり、その結果がそのまま論文になっていくからです。

また、人は大概その生きている時代の制約を受けて、どうしても先入観や特定の価値観にとらわれているものだと思います。そうして自分でも気が付かないうちにたくさんの思い込みが論旨に入り込みます。先行研究に見出した、そのような思い込みによる論旨の破綻を是正することが、研究が進展する糸口になりますが、同時に自分の思考も先入観に歪められている場合が多いことを忘れてはなりません。絶えず自分の思考をチェックすることが肝要です。他人の研究などに触発されて自分の思い込みに気が付かされた時には、頭を殴られた思いがしますが、大きな感動を覚えるので、これも研究の醍醐味です。

 

Q.教員としてご自身が、研究者になった経緯をご紹介ください。

 『スッタニパータ』との出会い

中学生の頃、読誦していたお経(浄土三部経)の内容が分からないことが癪に障り、『真宗聖典』に入っていたそのお経の漢文書き下しを通読してみましたが、当然のことながら、何が書かれているのかさっぱり分かりませんでした。

高校に入って本屋が身近にある環境になって、お経の参考文献を探していた時に、たまたま中村元先生訳の『ブッダのことば』(岩波文庫)が目にとまり、「数多い仏教書のうちで最も古い聖典」という売り文句に惹かれて購入しました。『スッタニパータ』(経集)というのが原題で、「パーリ語」なる聞いたこともなかった言語から翻訳されているらしいということで大変興味が湧いて夢中になって読みました。当時「犀の角のようにただ独り歩め」が私の座右の銘になったほどです。

しかしながら、その文庫本の半分が注釈になっていて、しかもその注釈にはパーリ語原文が頻繁に出てくるのです。当時の私からすれば文庫本の半分が無意味なページになっていたわけで、それがまただんだん癪に障るようになり、そしてとうとうパーリ語が学べる大学を受験しました。

大学に入ると先輩から「パーリ語を読めるようになるにはサンスクリット語も習得しなければならない」と言われて、まずはそちらの方に力を注いだのですが、結局そこから抜け出せなくなり、博士後期課程修了までは、サンスクリット語原文をチベット語訳の助けで読解しなければならない文献が主な研究の対象になっていましたが、博士課程終了の後に諸事あって、だんだん研究の対象がパーリ語の文献の方に移り、教員になった今はパーリ語を教えています。

 

Q.教員としてご自身のご専門分野について、現在までにどんなテーマを研究されているのかご紹介ください。

 「部派ごとの見解の相違とその展開」

仏教教団は釈尊滅後100年に分裂し始め、最終的には18~20の「部派」を形成しました。これらの部派の仏教は、後の大乗仏教から「小乗仏教」という蔑称でくくられますが、それぞれの部派はかなり見解を異にしています。そういった諸見解の一部は間違いなく大乗仏教にも引き継がれています。

部派間の見解の相違の一例として「一世界一仏の原則」(一世界に複数人のブッダの同時共存をありえないとする原則)をめぐるものあげられます。この銀河系にブッダが一人出世しているまさに同じ時代に、例えばアンドロメダ銀河にブッダが、一人だけですが、存在していてもよいか否かという議論が部派間で起こりました。「南方上座部」と「説一切有部」という部派は「存在していてはならない」と主張する側にいて、銀河系にブッダが出世している時には、宇宙全体でブッダは銀河系にいるその一人だけしか存在できないとします。

一方「大衆部」という部派が「存在していてもよい」と主張した部派の代表ですが、これと同じ見解が、釈尊が娑婆世界に出世していた時に、同時に極楽世界には阿弥陀仏がいた(そして今もいる)とする信仰の前提となっています。今日でも「ミッキーマウスは世界に一匹(一人)だけ」という設定をめぐる言説が、「一世界一仏」をめぐる言説とまったく同様の展開を見せていて、今も昔も人間って変わらないなあと感じます。

 

Q.研究者として、つらかったことや、嬉しかったことは?

 ドイツ留学

私はドイツのマールブルクに留学していた、あの最高の2年間を、一生涯忘れることはないでしょう。これ以上はないという環境に囲まれ、すごくモチベーションが上がりましたし、とにかく毎日が充実していました。

 

Q.大学院で学ぶことの魅力とは?

 恩師との交流、研究者同士の友好

学部時代はどうしても大勢の中の一人ですが、大学院に入れば分母がすごく小さくなります。大学院で、私は学部時代とはまったく質の異なる、高度で密なご指導を恩師から頂戴しました。また学部時代は、残念なことですが、勉強を頑張ると周囲から浮いてしまうことがあります。しかし大学院ではそのようなことはあまりおきません。同じ分野に懸命に取り組む友人たちにきっとめぐまれます。

 

Q.大学院で学びを考えている受験生にメッセージを一言。

 各自が研究主体

研究においても競争はつきものです。能力的な格差を見せつけられる場面もあるでしょう。

しかし、自分より勝れた人材がいるのだから、研究はそちらに任せてしまおうなどと考えるのは無意味です。(文系の)研究で大事なのはプロセスであって、結果ではありません。自分が興味を持っている対象なのですから、自分で解釈し、自分が自分の持っている疑問を解消するのです。例えば、自分にとって最高に興味深い本があって、自分で読ますに他人に読んでもらって、その感想だけを聞くなんてバカバカしいとは思いませんか?

 


プロフィール

氏名: 岩井 昌悟(いわい しょうご)

経歴: 現在、東洋大学大学院文学研究科インド学仏教学専攻 教授

1992年東洋大学文学部印度哲学科卒業、2001年東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻博士後期課程修了

2007年東洋大学文学部専任講師、2010年准教授、2017年より教授

専門: 専門は仏教学、初期仏教、仏伝

論文: 「一世界一仏と多世界多仏」『東洋学論叢』(東洋大学文学部紀要第65集)(2012年)など

http://ris.toyo.ac.jp/profile/ja.eebd838be7aba2d5f090a220942e4e9b.html

 


(掲載されている内容は2017年5月現在のものです)