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教員が語る大学院の魅力(中国哲学専攻 小路口聡教授)

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以文会友、以友輔仁

小路口先生


Q.教員としてご自身の専門分野を踏まえ、「研究者として研究」することの意味とは?

よりよい人生、よりよい社会を目指すために

私の専門は中国哲学です。宋明の時代の儒学思想、主に朱子学と陽明学の研究に携わっています。まず、人文系の学問、とりわけ中国哲学という分野の研究が、現代社会に対して、どのような意味と価値があるのかについて、今日、疑問視する声もあるようです。たしかに、理工系の学問や人文系の中でも法学や経済学などは、われわれが生きている、今現在の様々な目先の課題に対する答え(解決策)を提示してくれるという点では、目に見えて実用性があり、かつ、即効性のある学問だと考えられています。それに比べて、人文系の学問、とりわけ、私が携わっている中国哲学といった学問は、目先の問題について、直接的効果や即効性のある学問ではありません。けれども、人の一生、更には、人類の歴史という、長いスパンで見たときに、それは確実に役に立ち、事実、役に立ってきたと思います。より豊かに、より正しく、より深く、人生を生きようとする人たちにとっては、確実に、有意義な知恵を与えてくれます。何よりも、自らしっかり考えることを通して、自分の人生を、よりよく生きることの大切さを教えてくれます。特に中国哲学の知恵は、必ず学ぶ者の人生を豊かにし、より善い、より価値のあるものにしてくれるでしょう。

そのことは、ほぼ2500年前に活躍した、儒教の祖とされる孔子の言行を記した『論語』という書物が、中国のみならず、広く漢字文化圏の国々、今や翻訳されて世界中の国々で、今なお読み続けられている事実を見れば明白です。

人類は、各時代・各地域において、様々な課題に直面し、何度も窮地に立たされながらも、それでも生き延びてきました。人は窮地に立った時、その解決策を求めて、立ち止まって振り返り、古人の叡智から多くのことを学んできました。そうした過去の多くの人々の、真摯で、切実な問いかけに対して、必ず何らかの答えを与えて続けてきたからこそ、古典と呼ばれる書物は、今日まで読み継がれてきたのです。

さて、『論語』は、われわれが抱えている課題に、いかなる答えを与えくれるでしょうか。まずは、『論語』を手にとって、ひもとくことから始めて見て下さい。そこには、多くの叡智が満載されています。さて、私が専門に研究している朱子学や陽明学の思想は、決して過去の遺物ではなく、現代社会にも十分に通じうる問題提起に満ちた「現代思想」として学ぶべき学問――その文字通りの意味において「実学」――であり、そこに研究の意味もそこにあると思います。

 

Q.教員としてご自身が、研究者になった経緯をご紹介ください。

演習を通して味わう「読む」ことの楽しみ――研究の原点/原動力

私と中国哲学との出会いは、高校生の時にまで遡ります。高校に入って、本好きの友人と出会い、本を読むことが好きになり、じっくり本が読みたい一心で、大学は文学部を選びました。中国哲学を選んだのは、高校生の時に、学歴社会に嫌気が差して、厭世的な気分で読んだ『老子』(先の友人に勧められて読んだ福永光司の『老子』朝日古典選の1冊)の思想に共感を覚えたことがきっかけです。大学に入ってからは、演習で、中国の古典(『論語集注』に始まり、思い出すところでは、『史記』・『近思録』・『伝習録』・『尚書正義』など)を漢文(訓点の無い白文)で読みましたが、最初は無意味な漢字の文字列にすぎなかった暗号のような文章が、辞書を引きながら、ああでもない、こうでもないと考えていくうちに、だんだんと意味のあるまとまりが、いくつか見えてきて、いつしか連鎖反応的に意味が氷解してきて、一つの「思想」を述べた、強固な意味のかたまりに変貌していく様が、なんとも心地好く、深い喜びをもたらしてくれました。大学院での授業では、徹底して原典講読の訓練を行います。単調で、苦しい作業かもしれませんが、努力すればするだけ、大きな見返りがあります。大学の演習で味わった、この単純だけど、深い喜びの体験こそ、今の自分の原点であり、そして、今なお、また、これからも私の研究を支え続けてくれている、原動力です。

Q.教員としてご自身のご専門分野について、現在までにどんなテーマを研究されているのかご紹介ください。

「人間にとって学ぶことの意味」を求め続けて

①陸九淵(1139-92)の朱子学批判の研究。陸九淵は、朱熹(1130-1200)と同時代の思想家で、同時代にあって、朱熹の思想を最もラディカルに批判した思想家。その後、明代の王陽明の「朱子学」批判につながる「心学」の創始者。その成果をもとに、博士論文をまとめ、それを『即今自立の哲学――陸九淵思想再考――』として、上梓しました。

②性善説の現代的意義の研究:①の陸九淵の心学思想の研究を通して、宋明儒学思想における「性善説」の意味を再発見し、その観点から、私の中国哲学研究の原点でもあった、朱熹の思想に戻り、「性善説」の思想の現代的意義について考えてきました。

③王畿(1948-1583)の良知心学と講学活動の研究:現在は、研究の中心を、陽明学に移し、王守仁(1472-1528)の高弟の王畿の良知心学の思想と、彼が精力的に行っていた講学・講会活動との密接な関係性を明らかにする研究を行っています。朱子学と違い、陽明学の特色は、大衆化を遂げたことにあります。上述の研究を通して、陽明学が明代中晩期から清初の中国の民衆社会へ、どのように浸透・伝播していったかを明らかにしていきたいと思っています。

Q.研究者として、つらかったことや、嬉しかったこと?

「以文会友、以友輔仁」

同じ道を志す仲間たちと出会い、互いに切磋琢磨できることです。『論語』の冒頭には、「朋有り、遠方より来る、亦た楽しからずや」(学而篇)とありますし、また「文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く(読書によって友が集まり、友とともに仁を行う)」(顔淵篇)という言葉もあります。今やグローバル化の波に乗って、本学にも多くの留学生が来ております。中国哲学専攻も、現在、その半数が中国からの留学生が占めています。グローバルな環境の中で、国境を越えた、同じ道を志す仲間達との学びは、この上もなく、刺激的で、有意義なものとなるでしょう。

Q.大学院で学ぶことの魅力とは?

現実を見据えつつ、「苦あれば楽あり」と信じて、頑張りましょう

今とは違って、私が大学院に在席していた約30年前は、「課程博士」の制度もなく、後期課程の院生には、「博士論文」の執筆は求められていませんでした。また、指導教授からも、それほど論文を書けということを言われた記憶はありませんでした。成果主義とは無縁の時代でした。今のように、3年で最低5本は書かないといったプレッシャーはありませんでした。その分、深く、広く、学ぶ時間が許されていたように思います。お蔭で、当時流行の文化人類学や宗教学、現代思想などの本を読んで、寄り道ばかりしていました。それを許すだけの余裕が、当時の社会にはあったように思います。とはいえ、30歳が近づいて来た頃から、就職という目先の問題が確実に迫ってきました。週の半分以上、高専や塾の講師のバイトで時間がつぶれていた時が一番苦しかった時代でした。それでも続けていた大学院の演習の時間や院生たちで自主的に行っていた読書会で、漢文を読み、議論しあうことが、私にとっての喜びであり、支えでもありました。かけがえのない時間でした。

Q.大学院で学びを考えている受験生にメッセージを一言。

現実を見据えつつ、「苦あれば楽あり」と信じて、頑張りましょう

大学院も、博士前期課程と後期課程とでは、大きな違いがあります。前期課程は、まだ取り返しがつきますが、後期課程に進むとなると、もう取り返しのきかない道に進むのだ、という覚悟を持つことが必要でしょう。文系の大学院は、長居すればするほど、つぶしがきかなくなります。人文学、特に中国哲学は、その最たる学問です。それが現実です。現在は、研究者として職に就くことは、とても厳しい時代になっています。「中国哲学専攻」というポスト自体が少なくなっています。また、うまく数少ないポストを手に入れることができたとしても、任期制のところも多くなってきています。学位を取れたとしても、就職の保証は何もありません。……と言ってしまうと、夢も希望もありませんが、それが現実です。それでも「己の為にする学」(『論語』憲問篇)を目指す覚悟がある人は、大学院で一緒に学びましょう。


プロフィール

氏名: 小路口 聡(しょうじぐち さとし)

経歴: 現在、東洋大学大学院文学研究科中国哲学専攻 教授

    1991年 広島大学文学部卒業、広島大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。

    2004年より、東洋大学文学部。

専門: 専門は、中国哲学、朱子学、陽明学

著書: 『「即今自立」の哲学――陸九淵哲学再考――』(2006年)。