スマートフォン向け表示
  1. トップページ >
  2. Academics/教育 >
  3. Graduate School/大学院 >
  4. Graduate School of Letters//大学院文学研究科 >
  5. 修了生・在校生が語る大学院の魅力(池原陽斉さん)

修了生・在校生が語る大学院の魅力(池原陽斉さん)

  • English
  • 日本語

文学研究科国文学専攻(現・日本文学文化専攻)博士後期課程修了生

日本体育大学人文科学群文学研究室 非常勤講師

東洋大学文学部日本文学文化学科 非常勤講師  池原陽斉さん 

池原陽斉さん

 大学院選択の基準は、結局どのような研究者に師事したいか


Q.大学院に、進学しようと思った動機・経緯は?

卒業論文を書いたこと、というよりも卒論執筆中の勉強が大学院進学を促したと思う。
学部生時代には、レポート執筆など自分で物を調べてそれをまとめる機会が幾度かあった。しかし、指導教員に教えを乞いつつも、自身の力で資料を探し、物を考え、論を展開させるということに本格的に取り組んだのは、卒業論文が始めてであった。私立高校出身で、母校への思い入れもあったため、4年生進学時には私学適性検査を受けて教員を目指そうと思っていたが、卒論をまとめる楽しさ展望が変わってしまった。もっと知りたい、もっと書きたいと思うようになったのである。そのため、ほとんど就職活動らしきこともしないまま、大学院を目指してしまった。

Q.なぜこの大学院を選んだのか?

博士前期課程に進んだ折は、正直に言って母校の大学院であることが選択の理由であった。専修免許状の取得が目的で、それ以上の考えはなかったからである。真剣に考えたのは、後期課程に進む折である。既に修士論文も書き終え、ここから先に進む以上は研究職を目指したかった。すると、専門的な指導をいただける環境がどうしても必要である。と、ここまで考えてとくに悩む理由もないことに気付いた。自身の専門に関して師事すべき教員がいたからである。大学院選択の基準は、結局どのような研究者に師事したいかであると思う。自分がなにを研究したいのか、その分野の専門家はどの大学に所属しているかを、きちんとリサーチするとよい。                                       

Q.大学院で学んでみて気づいたこと・発見したことはありますか?

大学院に進んで研究を続行しようと思うくらいなので、学部生時代は、まあ、それなりに成績がよかった。自分の研究能力や知識にも、今思えばまことに不遜ながら自信があった。しかし、大学院に入って間もなく、そのような自信は木っ端微塵となった。明らかに自分よりも物を知っていて、明快に物を論じることのできる人がわんさといたからである。「これはまずい」と焦って、自分の勉強を見直すようになった。
私にとって大学院とは、自分がいかに井の中の蛙であったかを気付かせてくれた場所である。自身の知識や考えの至らなさを知ることは、その後の成長につながるはずで、とても大事なことだと思う。大学院は、私にそれを教えてくれた。

Q.大学院の魅力は?

上記の内容と絡むが、自分が愚かであることを気付かせてくれた人たちと出会えたことではないかと思う。それは教員であり、先輩であり、ときには同輩・後輩であった。真面目に物を考え、自身の研究対象に真剣に取り組んでいる人たちとの交流は、大きな糧となった。
前期課程1年の折、大学院のとある演習で発表した。充分に調べものをしたつもりであった。しかし、いざ発表してみると、先輩からの質問に立ち往生した。質問の趣旨が理解できないことすらあった。その場では笑顔で取り繕い(たぶん引きつっていただろうが)授業時間が終わると同時に図書館に駆け込んだ。大学院時代、とくに前期課程はそんなことばかりだったが、負けん気を磨いた時分でもあったように思う。

Q.大学院での学びを通して得たもの

物の調べかた。そして、その調査にもとづき自分自身で物を考える力が向上したことではないかと思う。現代は情報過多の時代と言われる。それだけに、何を信頼して、何を疑うべきかを根拠にもとづいて考えることは、生きる上で重要と考えている。大学院の研究では、「どうしてそう考えることができるのか」を資料にもとづいて論証することが常に求められる。思いつきで物を言っても誰も認めてくれない。大学院での学びは、調査と思考が不可分の関係にあることを教えてくれた。

Q.論文の研究テーマ・授業の内容

博士論文のタイトルは『萬葉集訓読の資料論的研究』。我ながらいかめしい題目であるが、論じたことを端的にまとめれば「漢字文献である『萬葉集』をどう訓めばよいのか、資料にもとづいて証明する」ということになる。文学の論文はとかく感想文的と言われることが多いが、論文という以上は論証が必要であり、再現性を持たせる必要がある。また、根拠をめぐって反証も可能でなくてはならない。博士論文は以上の点を強く念頭に置いて執筆した。以降に執筆した論文も同様である。『萬葉集』は楽しい作品であるが、「楽しい」だけでは論文にならない。どう論証すればよいか。この点が肝心だと考えている。               

Q.指導を受けた教員とのエピソードを教えて下さい。

特定の教員というよりは、大学院時分の指導に関する思い出を。院生時代を振り返ってみると、あまり誉められた記憶がない。むしろ、叱られたり、たしなめられたりした記憶の方がずっと多い。しかし、それを苦痛と思ったことはほとんどなく、むしろ楽しい思い出となっている。
過去のことなので、多少記憶が美化されている可能性はなきにしもあらずだが、叱ってくれた教員に感謝しているのは事実である。研究上の過ちは、正してもらわなければ気付かないことも多い。一人で考え込んでいると独善的になりがちである。指摘してくれる教員はありがたい。院生は、多少叱られることに快感を覚えるくらいで丁度よいと思う。少なくとも、叱られたくない人はあまり研究に向いていないと、私は思う。                                 

Q.大学院での学びが、今どんな形で役立っていますか?

現在、東洋大学と日本体育大学で非常勤講師を務めているほか、国文学研究資料館にも共同研究員として所属している。
東洋大学では、通学部・通信部で、専門の日本の古代文学を講じている。当然ながら、大学院時代の研究が、講義内容の基盤となっている。
日本体育大学では、日本語表現の科目を担当している。どのような文章を書けば相手に伝わるか、誤解を与えにくい文章とはどのようなものか、といったことに注意して指導に当たっている。専門の古代文学とは一見あまり関連がないようだが、実のところそうでもない。
論文を書き、その論文を査読付の学術誌に投稿するに当たっては、アイデアはむろん重要であるが、同じくらいに論理的に文章を構成する能力も必要となる。査読誌に挑戦し、リテイクを求められたこと、不採用となったことは一度や二度ではないが、その際のコメントには、「文章構成が分かりにくい」という趣旨の指摘も少なくなかった。そのたびに自身の文章を見直し、「どう書けば自分のアイデアが伝わるか」を考えてきた。
現在、学生に日本語表現を講じることが出来ているのも、論文を書き続けてきた成果の一部であると思う。   

Q.お金のやりくり方法や授業料などの捻出方法や、生活費のやりくり方法など工夫した点や家族や職場のエピソードなどがあれば教えてください。

博士前期課程2年から高校の非常勤講師、後期課程3年以降は学科のTAを勤め、その収入を生活費に当てていた。
また、後期課程3年には研究業績を評価され、「東洋大学校友会 学生研究奨励基金校友会奨学金」を取得したほか、幾度か返還義務のない奨学金を取得することができた。研究成果によって奨学金を取得出来たことで、アルバイトをする時間を軽減でき、その時間を研究に当てることが可能となったわけだから、その意味でも、院生の本分は研究であると実感している。                                    

Q.今後、東洋大学大学院を目指される方たちへのメッセージを

日本文学を専攻している。報道等でも耳にする人は多いと思うが、当該分野の先行きは決して明るくない。正直に言えば、非常に厳しい状況にある。大学院に進学(とくに後期課程に進学)を志す人は、その点を充分に考え、教員や先輩へのリサーチを欠かさないでほしい。
進学希望者へのメッセージにはふさわしくない内容かもしれないが、研究を続ける(論文を書き続ける)ことは相当に根気のいる仕事である。すぐに成果が出るともかぎらない。そういったことを覚悟の上で進学を決めてほしいと思う。もっとも、私自身は「文学研究はとても楽しい」という気持ちだけで進学したのだから、あまり説得力はないかもしれない。最後は、自分自身の気持ちということになるだろう。  


プロフィール

東洋大学卒業後、同大学院文学研究科国文学専攻(現・日本文学文化専攻)に進学。高校の非常勤講師や東洋大学のTAを勤めながら『萬葉集』を中心とした日本古代文学の研究を続け、2013年3月に博士(文学)の学位を取得した。現在は東洋大学と日本体育大学で非常勤講師を勤めるかたわら、引き続きTAとして学生の教育相談にも当たっている。研究活動としては、科学研究助成費・国文学研究資料館・奈良県立万葉文化館の共同研究に従事している。2016年4月に、2015年の業績で第33回上代文学会賞を受賞した。詳しい経歴・業績はresearchmapを参照のこと。
(掲載されている内容は2016年5月現在のものです)