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東京大学で本格的な哲学研究に打ち込む

東京大学で本格的な哲学研究に打ち込む

2013年10月21日更新

東京大学で本格的な哲学研究に打ち込む

東京大学時代の円了。27歳のときの写真

1881(明治14)年9月に東京大学文学部哲学科に進学した井上円了は、本格的に哲学を学び始めます。哲学は、当時の日本人にとっては新しい学問でした。明治時代の啓蒙家として知られる西周が「哲学」という訳語を創作したのでさえ、そのわずか7年前の1874(明治7)年のことだったのです。

哲学科ただ一人の新入生である円了は、マンツーマンに近い形で哲学の講義を受けます。しかも、日本文化を海外に紹介したことでも知られる哲学者のフェノロサがカントやヘーゲルなどの西洋哲学を、後に日本人で初めて帝国大学で哲学の教授になる井上哲次郎が東洋哲学を、高僧として知られていた原担山がインド哲学を担当するなど、一流の講師陣がそろっていました。

円了は特に西洋哲学にひかれ、そこに追い求めてきた真理があると考えるようになります。ただし円了は、西洋哲学を鵜のみにしたわけではありません。これまで身近に接してきた仏教を、西洋哲学を通して見つめ直すことで、そこには東洋の哲学があることも知るようになります。こうして、東京大学時代に円了は、洋の東西にかかわらず「真理は哲学にあり」と確信するに至ったのです。

では、円了はどんな学生だったのでしょう?

学友の1人は「大変な読書家で、図書館ではいつも彼の姿を見かけたし、騒々しい寄宿舎でも1人、読書にふけっていた」と紹介しています。ただし、寡黙な読書家だったわけではなく、運動会などでは数々の工夫を凝らして皆をアッと言わせたり、さまざまな会合に参加しては積極的に意見を述べたりしていました。その意見がいつも独創的で、皆、彼の意見に傾聴したと、別の学友は述懐しています。

哲学研究に関しても、円了は積極的に行動を起こします。まず、友人たちとともに哲学研究会を組織し、カントやヘーゲルなどを研究し、活発に意見を交わします。1883(明治16)年には発足したばかりの文学会に参加しますが、哲学研究に専念したい円了は文学会に満足できませんでした。

そこで円了は、いずれも東京大学の先輩で、後に哲学者として信望を集めることになる三宅雄二郎(雪嶺)や哲学館の倫理学講師となる棚橋一郎と計画を練り、西周に相談のうえで、1884(明治17)年に哲学会を創設します。メンバーには円了、三宅、棚橋のほか井上哲次郎、後に法学者として知られる有賀長雄が参加。第1回の会合には、西周をはじめとする日本の哲学の黎明期を支えた人々が顔をそろえました。


円了の大学時代の東洋哲学聴講ノート