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寺の長男に生まれながらも洋学に惹かれた少年時代

寺の長男に生まれながらも洋学に惹かれた少年時代

2013年9月24日更新

寺の長男に生まれながらも洋学に惹かれた少年時代

長岡時代に円了に漢学を教えた石黒忠悳。
洋学にも通じていて、西洋という新しい世界を円了らに紹介した

たび重なる困難に遭遇しながらも、哲学館を軌道に乗せようと邁進する井上円了を支えたのは、「諸学の基礎は哲学にあり」という強い信念でした。円了はなぜ、そうした信念を持つようになったのでしょう。

円了は明治維新の10年前、1858(安政5)年に現在の新潟県長岡市で、真宗大谷派慈光寺の長男として生まれました。真宗は世襲制のため、円了も寺を継がなければならない立場にありました。ただし、後に円了は「1日も早く仏教の世界から脱出することを考えていた」と回想しています。

その円了が洋学(=江戸~明治初期に日本に移入された欧米の学問の総称/西洋の学問)に目を向けるきっかけとなったのは、10歳の時。石黒忠悳(ただのり)の漢学塾に入門したことでした。石黒は後に陸軍の軍医総監になった西洋医で、漢学のみならず洋学にも通じていました。円了はこの塾で、西洋の世界と接点を持つようになるのです。

15歳の時に高山楽群社という塾で英語の初歩を学んだ円了は、翌1874(明治7)年に新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)に入学します。戊辰戦争で敗れた長岡藩が、教育に注力して藩を立て直すことを目的に設立したこの学校で、円了は本格的に洋学、特に英語での勉強を始めます。在学中、校風の刷新と自治協和の精神高揚のために「和同会」という組織を創設するなど、円了は当時からリーダーとしての資質も発揮していたようです。

1877(明治10)年にこの学校を卒業すると円了は、京都にあった東本願寺の教師教校に入学します。これは、東本願寺が教団の次代を担う人材を英才教育するために設置した学校です。ただし、この教師教校で学んだ期間は半年ほどでした。この年に東京大学が設立されると、教団は国内留学生として入学することを円了に命じたのです。

当時、東京大学では英語などで授業が行われていたため、入学する者は準備として東京大学予備門で3年間学び、英語などをマスターすることが必要でした。円了は1878(明治11)年4月に上京、9月に予備門に入学します。確かな記録は残っていませんが、どうやらこの予備門時代に円了は哲学に触れる機会があったようです。

そして1881(明治14)年、予備門を終えた円了は、晴れて東京大学文学部哲学科に入学します。この年の哲学科の新入生は、円了ただ一人でした。


新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)時代の円了。
キリスト教に出会ったのもこの時代だった